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【記憶の中に】『ごちそうさん』は本当だった、大空襲の夜に救援電車が走った…規定違反、消された運行の歴史
熱風と火の粉が舞う中、心斎橋駅に逃げ込み、救援電車で梅田に向かったという別の女性は「交通局の当時の方々のおかげで今、元気に過ごしております」と回顧。「地下鉄は救いの神」という声もあった。
当時は、空襲時に市民を地下鉄の駅構内に避難させてはならないという決まりがあった。理由について、交通局の担当者は「地下鉄駅はもともと避難先として想定されていたが、東京大空襲で地下鉄のトンネルが破壊されたことで、やはり構内を使わない方がいいということになったようだ」と説明する。大阪大空襲の4日前に起きた東京大空襲では、10万人以上が死亡したとされ、東京の下町などが焦土と化した。
地下鉄は深夜から未明にかけて電気が止められていたため、通常なら電車を走らせることはできない。だが、地下鉄に電気を送る変電所職員の証言などによると、当夜は「特別な指示」があり、終電後も電気が送り続けられていたという。
残念ながら運行に関する資料が残っていないため、どの時刻に何本が走ったのかや、運行のきっかけが職員の機転だったのか市民の要請だったのかなどは定かでない。資料は終戦直後、軍の指示により焼却処分されたという。地下鉄駅に市民を避難させること自体が規定違反となることが影響したのか、運行が語り継がれることもなかった。
失われてなかった助け合いの精神
それでも、凄惨(せいさん)な状況の中で救援電車が避難者を乗せて走ったことは、半世紀のときを超えて史実として浮かび上がった。それを可能にしたのは、関係者らの数々の証言だ。証言がなければ、救援電車の存在は歴史から忘れ去られていた。
非常時でも、冷静な判断と助け合いの精神が失われなかったことを示す逸話は、後世に生きるわれわれの心をも打つ。同時に、歴史を語り継ぐことの大切さを感じさせられる。
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