「anon」と見えているので、ははあ「Canon」だなとわかる図。
いや、本当はCanonでも別のメーカーでも何でもいいのだ。
正直な話をしよう。
今回の本題はそこではなく、腋の下の魅力についてである。
どういう訳か世の中には、男女を問わず腋の下にビビッと反応してしまう種類の人間が存在するのだ。
ある女性芸人など「腋の下を他人に見られることに対して異常なまでの生理的抵抗感」を持っているそうである。
筆者も勿論、ビビッと反応してしまう側の人間で、「見られる」はともかく不意打ちでいきなり「見せてくる」ことには驚き以上の動揺を感じる。
CMを見ていて、急にトリンドル玲奈が「おーい!」という感じで腕を挙げて腋の下を見せてきたりすると、気功の先生に吹き飛ばされる弟子のような精神的圧迫を感じる。
もし「おーい!」というポーズのポスターが渋谷駅の通路にズラーッと並んでいたら、それはもう、
「爽やか感50%:わいせつ物陳列感50%」
くらいに捩れた、奇妙な心境に陥ってしまう。
それにしても、単にツルツルしているだけの領域に、なぜこれほど心を揺さぶられてしまうのであろうか。
なぜ、これというポイントのない平凡な空間に、息を呑むほどの美を感じてしまうのであろうか。
悩みつつも「腋」というカテゴリーを追加してしまう。
そんな夏の日の午後である。