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【社会】

平和かえる 原発さる 反戦折り込む

平和への願いを込めてサルとカエルを折る榎本さん=東京都墨田区内で

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 「戦争さる」「平和かえる」−。太平洋戦争末期の東京大空襲で家を失った東京都墨田区の榎本喜久治(きくじ)さん(80)はこの夏、折り紙で作ったサルとカエルに言葉を添えて、出会った人に配っている。「声高には訴えたくない。折り紙とともに、さりげなく思いを伝えられたら」と話す。 (奥野斐)

 榎本さんは一九四五年三月十日未明の東京大空襲で、江東区亀戸の自宅を焼かれた。自身は愛知県上野町(現東海市)に疎開して無事だった。東京に残っていた父や祖母ら四人は家を焼け出された壮絶な体験の中で生き延びたからか、戦後、家族の会話で戦争にふれたことはなかった。

 東京に戻り、大学の仲間らと戦争について話す中で、榎本さんは「空襲経験を伝えることが一生のテーマだ」と意識した。小学校教諭になってからも、体験や思いを自分なりに教え子に伝えてきた。

 折り紙は三十代のころからの趣味。カエルは約三十年前から、子どもや友人に贈ってきた。年配の女性に「財布に入れている」と喜ばれたり、集会で配りたいという市民団体に百個まとめて渡したりもした。

 サルは九二年、日本政府が自衛隊の海外派遣を認める「PKO協力法」を制定した年がさる年だったことから思い付いた。子猿を抱く母猿を「子どもの命と未来を守る」と書いた紙に貼り、脇に憲法九条の条文を入れた。「少し強いメッセージを伝えたくてね」。しかし、政治色が強かったからか反応は良くなく、配るのはやめていた。

 今年、政府が集団的自衛権行使容認へと動く中で、「黙っていられない」と再びサルを折り始めた。この間、東京電力福島第一原発の事故や垂直離着陸輸送機オスプレイの飛来など、平和を揺るがす出来事が増え、折り紙に添える言葉に「原発さる」も加えた。

 東京空襲犠牲者遺族会の副会長を務める。七月十二日に空襲遺族らが集まった会合でもサルを配り、「おもしろい」「広げるべきだ」と好評だった。「皮肉だが、二十年前より平和を意識せざるをえない状況になっている」。危機感を覚えた。

 八月は、戦争体験者や遺族が集まる機会も多い。いつでも手渡せるよう、折ったカエルとサル、材料の折り紙をかばんに入れて持ち歩く。「小さなことでも一人一人が意思を示すことが大事。私の場合はしゃれを交えてね」

 

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