岡本玄
2014年8月1日15時42分
25年前、米国の国連本部で懐中時計が盗まれた。広島で被爆した男性の父の形見だったが、米国が落とした原爆の恐ろしさを訴える「無言の証人」として展示されていた。憤る娘に男性は言った。「憎んでも、いいことは一つもない」。いま、米国に住む娘はその教えを胸に抱き、日米の懸け橋になろうとしている。
男性は広島市の美甘進示(みかも・しんじ)さん(88)。19歳の時、爆心地から1・2キロの自宅で被爆した。焼けた自宅から見つかったのは、被爆直後に行方不明になった父・福一さん(当時63)の懐中時計。原爆が投下された「午前8時15分」過ぎを示す針の影が焼き付いていた。
「多くの人に懐中時計を見てもらい、平和への気持ちを新たにしてほしい」。38年後の1983年、進示さんの思いが込められた時計は海を渡り、米国・ニューヨークの国連本部の見学コースに置かれた。だが、当時27歳だった次女の章子さん(52)が国連を訪れた89年5月、なくなっていることに気づいた。懐中時計の鎖と鍵は進示さんの手元に残っているが、時計が戻ってくることはなかった。
大切なものを奪われた怒り、許そうとする心、そして和解から生まれる絆。被爆から69年。そして、懐中時計が見つからないまま流れた四半世紀の歳月は、日本が誓った平和と不戦への歩みと重なる。
■元米兵と握手「やっと和解できた」
「きのうの敵は、あしたの友になれます。人種、言葉、立場が違っても、みんなで許しあえれば、恐ろしい戦争はふせげます」。米国のサンディエゴに住む美甘(みかも)章子さん(52)は6月下旬、広島市の市立神崎小学校で約140人の子どもたちにやさしい言葉を使って語りかけた。
広島大学を卒業後、渡米して心理学を学んだ章子さん。臨床心理医としての話のテーマは「許す心とヒロシマ」だった。真剣な表情で耳を傾ける子どもたちに対して、章子さんは4年前からサンディエゴで開いている平和式典への思いを伝えた。「世界の安全を守るため、できることをしたいのです」。その言葉は、19歳で被爆し、広島市で暮らす父の進示さん(88)にも向けられていた。
原爆が落ちた時、巨大な火の玉が見え、熱湯をバケツで頭からかけられたような熱さに全身が襲われたという進示さん。自宅の焼け跡で、進示さんの父、章子さんから見て祖父にあたる福一さん(当時63)の懐中時計を見つけたのは被爆から約3カ月後だった。原爆で家族も家も失った進示さんにとって、唯一の形見となった。
核兵器は一瞬にして街を破壊し、たくさんの人を殺害し、残された人を放射能の恐怖にさらす――。20年後の1965年、進示さんは核廃絶と平和の大切さを訴えるため、懐中時計を広島平和記念資料館(広島市中区)に寄贈。懐中時計は83年、原爆の熱線で変形したビール瓶や学生服などとともに、展示用として国連本部(米ニューヨーク)に貸し出された。進示さんの手元には、懐中時計の鎖と鍵が残った。
6年後の89年5月。国連を訪れた際、懐中時計がなくなっていることに偶然気づいた章子さんは激しい憤りを感じた。ところが、進示さんは穏やかにつぶやいたという。「どんなに悔しく、つらく、腹が立っても許しなさい。与えられた試練から、何を学び取るかが大事なんだよ」
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朝日新聞社会部
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