広島原爆:爆心500m圏、生存145人 本紙調査
毎日新聞 2014年08月01日 15時00分(最終更新 08月01日 18時06分)
「己斐(こい)の山に集合しろ」。誰かの声を聞き、西へ向かった。黒焦げの路面電車の中では女学生がつり革を持ったまま焼け死んでいた。その晩、山の上から見た広島市街地を見て、「一人になってしまった」という思いが込み上げてきた。自宅は、両親や姉がいたはずだった。
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広島駅東側に住み、生き残った2番目の姉の夫婦に引き取られた。レストランで洋食の技を身につけ働いた。妻司女子(しめこ)さん(2008年死去)とラーメン屋を営み、娘2人を育て上げた。
「原爆が落ちなかったらさ、もっと幸せで朗らかな世の中だったんじゃないかな」。長女は幼いころから大学病院への入退院を繰り返した。甲状腺の異常だと診断され、今でも薬が手放せない。被爆との因果関係は不明だが、長女は「お父さんの被爆を背負ったからだ」と反発、家を飛び出したこともあった。
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川岸まで押し寄せる遺体を、家畜のように口と鼻の穴に針金を引っかけ、収容した69年前。「人を人と思わないんだよ。戦争は嫌だね。また同じことを繰り返しているでしょ。生きているのが嫌になる」【高橋咲子】