蚊取り線香:「日本の夏」の必需品 開発までの道のり
毎日新聞 2014年08月01日 10時43分(最終更新 08月01日 13時00分)
◇渦巻き型で長時間燃焼 夫婦のアイデア結実、輸送コストも低減
エアコンがまだ家になかった子どもの頃、夏は窓やドアを開けて風を通したため、蚊取り線香が必需品だった。昭和の香りがする日用品と思っていたが、発明は明治23(1890)年だという。当時の品が残る大阪市西区の大日本除虫菊本社を訪ねた。
社名よりも、商標の「金鳥」が有名だ。「キンチョール」のコマーシャルを思い浮かべる人も多いだろう。同社の創業者、上山(うえやま)英一郎氏が、殺虫成分を含む蚊取り線香を世界で初めて開発し、「金鳥香」の名で販売したのが商標の由来だ。上山氏のひ孫の上山久史専務(58)が、蚊取り線香が生まれたいきさつを教えてくれた。
◇米国から除虫菊
英一郎氏は1862年、現在の和歌山県有田市のミカン農家の七男坊として生まれた。上京後、慶応義塾で福沢諭吉の薫陶を受けたという。1885年1月、「世界にミカンを輸出したい」と考え、地元で上山商店を設立した。その時はまだ、除虫菊を手にしていなかった。
同年、米国の種苗業者が、日本のミカンの苗を求めて福沢諭吉を訪ねた。連絡を受けた英一郎氏は、この米国人を和歌山で手厚くもてなし、ミカンの苗を渡した。すると翌年、米国から除虫菊の種が送られてきた。「この種で財を成した人がいる」とのメモが添えられていた。
除虫菊の花には殺虫成分が含まれる。当時、除虫菊を乾燥させて粉にしたノミ取り粉が世界で売られていた。牛や馬などの家畜のほか、人にも使っていたという。
除虫菊を栽培してみた英一郎氏は「日本人を悩ませている蚊にも効くのではないか」と考え、除虫菊を利用した蚊よけの開発に着手した。当時、蚊を避ける方法は、寝床を覆う「蚊帳」と、煙で蚊を追い払う「蚊やり火」ぐらいしかなかった。
乾燥させた除虫菊を火にくべてみると、蚊が落ちた。使いやすくするため線香に混ぜる方法を思いつき、細い棒状の蚊取り線香を1890年に発売した。上山専務は「日本に仏壇線香という文化があったからこそ、蚊取り線香ができたのだろう」と話す。そういえば、現在の渦巻きの蚊取り線香は、仏壇に供える線香とは似ても似つかぬ形だ。今まで疑問に思わなかったのは、渦巻きの蚊取り線香がそれだけ生活に入り込んでいたからだろう。