「作品づくりにおけるプロデューサーの役割の重要度が高まってきている。それは、世の中の多くのビジネスシーンでも言えるのではないか?」よしもとクリエイティブ・エージェンシーでナインティナインやロンドンブーツ1号2号のマネージャーを担当し、現在は様々な起業家や職人、クリエイターといった「人」のプロデュースをする佐藤詳悟氏が、各界で活躍するプロデューサーにインタビューをする本企画。
それぞれの道のトップを走る人たちには、理屈では語れないこだわりや考え方、運や直感がある。そうした力を持つプロデューサーを“妖怪プロデューサー”と銘打ち、ビジネスの教科書には決して載らない側面から、その人となりを解剖していく。
第1回目のゲストは、スタジオジブリプロデューサー・西村義明氏。「竹取物語」を原作とした『かぐや姫の物語』や、先日公開されたスタジオジブリの最新作品『思い出のマーニー』のプロデュースを務めた人物だ。
作品が当たって喜ぶやつは、一生懸命やっていない人間
――「映画」は非常に長い時間をかけて作られるものだと思うのですが、それが完成した時、「儚さ」のようなものは感じるのでしょうか?「思い出のマーニー」が公開されている今の心境を教えてください。
西村 「僕らは、一体何を作ったんだろう」、そういう思いです。映画が公開される時というのは、自分でも気持ちの整理がつかなくなる瞬間です。映画制作において監督とプロデューサーの関係は母親と父親に例えられることがよくあるんです。映画はそのふたりの間に出来た子ども。その例えで言うのなら、僕の今の気分は、結婚式を迎えた新婦の父親みたいなものですね。いざ父親として結婚式を迎えると、たくさんの人が娘に対して色々なことを話してくれます。娘さんはこういうところが素敵だとか、こういう性格だとか。そこで初めて知ることも多くあって、自分だけの娘と思っていたものが、「ひとの手に渡ったんだなぁ」という感慨もある瞬間です。そこから先は、自分の手から離れた存在になっていく。なので、映画が完成して公開を迎える時というのは、新婦の父親のように一種の喪失感が訪れる瞬間でもあるんです。映画に限らず、ものづくりって喜びに溢れていると思っていたこともありますけど、真剣にやればやるほど、終わった後に虚しさが残る。そういうもんですよね。だから今、とても虚しいですよ(笑)
――「虚しい」というのは、どういう意味ですか?
西村 全てを出しきって、作品をつくるわけじゃないですか。お客さんに楽しんでもらうためにはどうすべきかと色々と考えて、ぐーっと詰め込んで、全てを出し切る。だから映画を作り終えたときは、空っぽなんです。
――わかります。僕は千原ジュニアのライブに5年間かけて、終わった後一週間ぐらい鬱になりました。
西村 以前、宣伝プロデューサーを務めた映画が公開された時に、お客さんがたくさん来てくれたんですよね。そのとき、鈴木敏夫さん(スタジオジブリ代表)から「西村、今の気持ちはどうだ?」と聞かれました。「ホッとしています」と答えたら、「正解だ。映画が当たって喜んでいる人間は、一生懸命やっていない人間だ」と言われたんです。一生懸命やった人間は、「お客さんが来てくれて、みんなに迷惑をかけなくてよかった」と、ホッとするだけ。自分がやってきたことが報われたことより、みんなが喜んでくれて良かったなという思いで、ホッとする。アニメーション映画の制作の面でいえば、職業人生が30年あったとしたら、ひとつの作品をつくるのに自分たちの時間を短くても2、3年費やすわけです。そうすると、それぞれの人生の10分の1に値するものが作れたかどうかが問われる。だから、スタッフの尽力に報いるという意味でも、いい映画になってよかったな、と思うだけです。
若いことは言い訳にはならない。考えて考え抜かないといけない。
――この作品をいいものにしたいという想いで、長い時間を費やすわけですが、モチベーションを保てるものですか?
西村 先ほど話したようにアニメーション制作は短くて2、3年を費やしますし、そのほとんどは面倒な仕事です。そこでモチベーションを保つなんて無理なことです。一種の使命感なり、必ず面白くなるはずだという初期衝動を覚えているかどうか。脚本や絵コンテを作っている時は、"これは面白い!"っていう興奮状態の中でやっていて、不安や喜び、期待が渦巻くんですけど、大変な仕事であればあるほどモチベーションはどうしたって減じていく。そのときに初心を思い出せるかどうかは大切だと思います。この映画は面白くなる、作る意義があるものだと思っていた当初の自分を信じ続けることができるかどうかだと思います。
――入り口にはモチベーションの高い自分がいて、スタートしたら流れていくのでしょうか?
西村 流れていくということはないですね。アニメーションの現場は、日々問題が起こります。人間がたくさん関わっていると、どうしても問題を持つ個人がでてきます。気が滅入ったり、いなくなってしまったり。そういう時、一人ひとりに目を配るのが僕の役割ですから。
――「思い出のマーニー」でいうと、400人ぐらいのスタッフを細かく見ているという
ことですか?
西村 理想はそうですね。パッと見た時に、誰が元気で誰が元気じゃないかを見分けることが必要です。現場に入った時、「何か空気が違うな」とかですね。宮崎駿さんが映画をつくる時は、そういった心配はほとんどいらないんです。監督として恐いので、現場が締まるのです。『思い出のマーニー』を作った米林宏昌監督は、人柄がよく人徳もある監督で、宮崎さんとはタイプが違います。そうすると、現場の重しがなくなります。だから、福岡伸一さんの言うところの動的平衡みたいに、僕が恐い人間にならざるを得ないんです。
――それは、どのように身につけたものなんでしょう?
西村 『かぐや姫の物語』で高畑さんと一緒に過ごした8年間が、僕を大きく変えたのかもしれません。高畑監督は、宮崎さんや鈴木さんでさえ緊張する人なんですよ。日本のアニメーションのあらゆることは、高畑さんが作り上げてきたと言っても過言ではない。恐ろしく博識で、そして甘えを許さない。その高畑さんと仕事をすると、地に足がついていない生意気な部分や底の浅さを攻められる。例えば映画の感想を聞かれた時に、ひと言「良かった」じゃ済ませられない。何が良かったのか、何が良くなかったのか、あのシーンにはどんな意味があったのかを絶えず問われます。経験が浅い中でも、自分なりに考えて答えを出さなければいけない。高畑さんは弁証法で考えを作っていくんです。人と話して、最初に自分が考えていたことを否定しながら真実の解にたどり着こうとする。その対話に付き合うことは、いわば訓練ですから、高畑さんとは常に訓練をしていたようなものです。映画制作の現場では、たった1カットについて2週間も話し合うこともあります。このアングルでいいのか、なぜこれはしっくりこないのか、何が正解なのかを延々と話し続けるわけです。そのときに若いことは言い訳にはならない。考えて考え抜かないといけないんです。自分より40歳も年上の「知の巨人」と8年間も過ごせば、必然的に肝っ玉が据わってくるんですよ(笑)。
プロデューサーは、無責任になれる責任者
――プロデューサーには、物事を多角的に捉え考え抜く能力が必要なのでしょうか?
西村 理屈ではなく、いいと思ったかどうかを大事にしたほうがいいですね。脚本や絵コンテを作っていると、いいと思っていたものが、1か月後にはあれ?と思うことがあります。パッとみて思った時の感覚を覚えていられるかは、映画制作にはこれがとても大事なんです。色々な問題があって、現場が潰れそうになることもあります。その時に、あの時の自分が、もしくはチームのみんなが「絶対にいい物ができるからこの映画をつくりたい」と思っていた感覚を思い出すことができるか。あとは、長丁場になるとスタッフだけではなく、自分も滅入りますよね。なぜ滅入るかといったら、自分の人生が大事だから滅入るんです。10年経ってもこの作品が完成しないかも、と思ったら滅入るのは当然です。そこで、自分の人生を自分のものだと思わなければいいんです。他人の人生だと思えば、無責任な意見を自分に対して言えるわけです。プロデューサーにはそういう主観的な情熱と客観的な冷静さが必要なんだと思います。プロデューサーは、映画の責任を一番担っている人間ですが、最も無責任な存在になれるかどうかも、プロデューサーの大事な要件なんだと思います。でも、これはすごく難しい。ぼくはそれを(ジブリ代表の)鈴木さんから学びました。
――ジブリにはたくさんのいいお手本があって、教育されるというよりは、自分から学ばないといけないのですね。
西村 教育はないですね。しごきはありますけど(笑)。教わらないとできない人は、教わってもできないんじゃないでしょうか。自分に好奇心がなければ、前には進めない。好奇心は、植えつけることができませんから。例えば、なぜ春と夏の緑は違うのか、北海道の緑はどのような色をしているのか。こういったものに反応できるかどうかというのは、自分の感度の問題ですよね。