2013年9月18日 (水)

★はじめに★

このブログは、私の教師修行のつもりで始めました。学級通信に書きたい記事(メインとしての記事だけではなく、紙面を埋めるための記事としても)や、生徒に語りたいことの「引き出し」を増やそうと思ったからです。

当初は、一日一つのお話を書くことにしていましたが、やはり毎日は無理でした。これからもなるべく書き足していきたいと思っています。

目標は365個のお話を書くことですが、授業日は200日程度なので、200個にしようかなあと最近思っています。

また、同じ内容のサイトが http://mikadukitusin.blog.fc2.com/ にあります。こちらの方は、目次のようなページがありますので、タイトルで選んでいただけると思います。

2013年8月 2日 (金)

186 同情する心が先?

最近、通勤する途中の車の中で、興味深いラジオのニュースを聞いた。生後10か月の赤ちゃんにも同情する心があることが実験で分かった、というニュースである。

生後10ヶ月の赤ちゃんって、君たちはイメージできるだろうか。まだ立って歩くことはできないが、「ハイハイ」で部屋中を動き回り、ひょっとしたら「つかまり立ち」もできるかもしれない。もう少しすれば「赤ちゃん」から「幼児」と呼ばれるようになるころだ。

さて、その生後10か月の赤ちゃんにどんな実験をしたのだろうか。京都新聞の記事を以下に引用する。京都新聞のこの記事のサイトはこちらです。写真もあります。

生後10カ月の赤ちゃんも、攻撃を受けている犠牲者に同情する行動を取ることが、京都大などの研究グループの実験で分かった。人は生まれつき「善」である可能性を示唆する結果といい、米科学誌プロス・ワンで13日発表した。

グループは、教育学研究科の鹿子木康弘助教、文学研究科の板倉昭二教授、大学院生の奥村優子さんら。

乳児に球体や立方体などが動くアニメーションを見せた後、同じ形のおもちゃを見せ、どちらに関心を寄せるかを調べた。

他の物体を追いかけてこづいたり、押しつぶそうとする攻撃行為があると、乳児20人中の16人が攻撃者から逃げる「犠牲者」と同じ形のおもちゃをつかんだ。攻撃行為がないアニメだと、選ぶ物体に差はなかった。

子どもは1歳半になって言葉を話せるようになると、言葉や表情などで同情的な態度を示すことが分かっている。成人に今回と同じ実験をすると、「強いから」と同情とは別の理由で攻撃者を選択する人が多かった。

鹿子木助教は「人間の生まれ持った本質は、苦境にある他者に同情的態度をとる『善』である可能性が高い。文化や社会的な経験で、原初的な同情的態度から、より複雑な行動に変化すると考えられる」と話している。

私が車の中で聞いたニュースでは、次のことも伝えられた。ニホンザルの子どもたちは、傷ついたサルがいると、そのサルに近づいていこうとすることが確かめられているということだ。同情する感情は霊長類にとって本能というべきものかもしれないと、そのニュースは伝えていた。

僕たちには仲間を思いやる心、そして集団内での自分の位置づけや優劣を気にする心の、相反する二つの心をもっている。

いじめはもちろん、後者の心が生むものである。

今回紹介した実験結果は、仲間を思いやる心の方が根源的なものだ、ということを教えてくれているようで、ちょっとうれしい気持ちがする。

185 上原選手語る「嫌がらせをして喜ぶやつは、弱い人間だ」

ちょっと前に、上原選手のことを紹介した。(183 上原選手の背番号が19番である理由

上原選手はスポーツの盛んな高校に進学した。しかし、こんな悩みもあった。日本の部活動でよくある、上級生の下級生に対する「しごき」などである。

「しきたり」と称してしごきを加える運動部ならではの上下関係には辟易(へきえき)し、やり切れなさを感じたものだ。(※1)

あるときは、こんなこともあった。高校時代の上原選手が、練習が終わって片付けをしていたとき。数名の先輩が近寄ってきて、いきなり蹴りを入れられたのだ。

他にも、監督やコーチがいない時には、グランドを走らされたり、正座をさせられたり。

上原選手はこう語る。

憂さ晴らしなのかどうか知らないが、こういう嫌がらせをして喜んでいるような者は、本質的に弱い人間である。目的意識が低く、向上心も希薄。リーダーとして仲間を統率する力も持ち合わせていない。だから、チームを強くして行く戦力には、大抵の場合、なり得ないのだ。(※2)

この言葉、私たちも心に留めておきたいものだ。しかし、上原選手のいた高校はスポーツ名門校。理不尽なしごきをする先輩たちも、もともとは大きな志をもって、入学してきたのだろう。

そこでの過ごし方、気持ちの持ち方によっては、後輩をしごいて憂さ晴らしをするしかない存在になってしまうのだ。気をつけたいものだ。

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(※1)『闘志力。』上原浩治・三省堂

(※2)同書

2013年8月 1日 (木)

184 夏休みの終わりがつらくならないために

ボクシングの元世界チャンピオンの辰吉丈一郎さんがこんなことをいっている。

「ボクにとってのトレーニングは、歯を磨くことと同じだ。大人でも子供でも、朝起きれば歯を磨くし、夜寝るときにも歯を磨く。それと同じこと、習慣である。」

多くの人は歯を磨くことは習慣になっているはずだ。歯を磨かないまま床に入ると、落ち着かない気分になる人がほとんどだろう。

辰吉選手にとってみればトレーニングをすることは、歯を磨くのと同じ、当たり前のことになっているのだ。

私の知人にも、ジョギングが習慣になっている人たちは、「走らないと落ち着かない」と口にする人が多い。

さて、何かを始めるとして、それが習慣になるのはどのくらいの期間が必要なのだろうか。「私は○○をするのが習慣になりました」と言えるのは、どのくらいの日数が必要なのだろうか。

ネットで調べてみても、いろいろな説がある。3か月、とか1年とか。短いもので3週間というのもある。ネットで「習慣 3週間」という検索ワードを入れると、かなりの数がヒットする。『3週間続ければ一生が変わる』という本もある。

私は「習慣化は3週間」説に賛成したい。毎年、いまごろの季節にそれを実感する。

今、夏休みになったばかりである。突然増えた自由時間に、なんとなく落ち着かない気分になっている人もいるのではないか。「今日は午後から何をしようか」なんて。(すみません、とても忙しい人もいると思います)。

しかし、夏休みが始まって3週間ぐらいになるとどうだろう。3週間後というとお盆前くらいか。

このころになると、自由な時間があるのが当然、ダラダラするの(私のことです)が習慣になってしまっている。これまでさんざん時間があったくせに、「せっかくの夏休み、もうちょっと楽しまないと」という気分になってしまうと同時に、「あ~あ、もう少しで新学期かあ・・・」という憂鬱な気分にもなってしまう。

ダラダラするのが習慣になってしまったのだ。ダラダラすると落ち着く。宿題や勉強をすることがひどくおっくうになってしまう。新学期のことを考えるのなんて苦痛でしかない。

これを防ぐにはどうしたらいいか。何の答にもなっていないけど、ダラダラしないこと、欲を言えば、普段の生活、それ以上に忙しい生活をすること。(こんな内容のことを以前、このブログでも書きました。「157 8月31日がつらくならない方法

今年こそは、夏休みになっても、自分で自分にハードな日常を課したいと私は考えている。今年こそは充実した夏休みにしたい(と、毎年思っているんだけど)。

183 上原選手の背番号が19番である理由

メジャーリーグ、ボストン・レッドソックスの上原浩治投手、今年も活躍中である。首位を走るチームのクローザーという大役を引き受けている。

上原選手の輝かしい経歴については、「Yahoo!スポーツ MLB - 上原浩治」を見てください。

この上原選手、巨人に在籍したときの背番号は19番。そして、現在のレッドソックスでも19番をつけている。

なぜ上原選手は19番をつけているのか。それは自分の19歳のころを忘れないようにしているためである。

19歳の時に、上原選手に何があったかというと、実は大学受験に失敗して、浪人して受験勉強をしていたのだそうだ。

実は上原選手、プロになってからの輝かしい実績に比べて、高校生の時はそれほど注目されていたわけではない。

寝屋川市の公立中学校を卒業した上原選手は、自宅から近くの、スポーツの盛んな東海大学付属仰星高校に進学した。

高校時代の上原選手は、控えのピッチャーで、公式戦で投げたのは3試合だけだった。同学年に、後に日本ハムで活躍する建山義紀選手がいたからだが、上原選手自身にもあまりポジションにこだわりがなかった。

高校卒業後はプロになりたいとは思っていなかったが、野球を続けたい思いは強かった。そこで、大学に進学することにした。大学は大阪体育大学を目指した。

大阪体育大学にした理由は、家計を考え、実家から通えるということ、そして推薦入学の枠があったからだった。野球ばかりで勉強などまったくやっていなかったのだ。

ところが、チームメイトの一人が、急に大阪体育大学の推薦を願い出てしまった。このチームメイトの方が学校の成績がはるかにいい。

推薦枠からはじかれた上原選手は、一般入試で受験するが、結果は不合格。

上原選手は浪人することにした。そして後に、この一年間の浪人生活をこう語っている。

私は本当に死に物狂いで参考書と首っ引きになり、問題集と格闘した。それこそ過去の十八年分を一気に取り戻すつもりで、机にかじり付いていた。間違いなく、あの一年間が人生で最も真剣に勉強したと断言できる。(※1)

この一年間、上原選手は野球も封印した。硬式ボールを触ることもなかったが、週三回スポーツジムに通って体作りに心がけた。

そして、翌春、上原選手は再チャレンジした大阪体育大学に合格する。

しかし、普通に考えれば、一年間浪人生活を送るというのは、スポーツ選手にとっては特にマイナスであろう。

上原選手が浪人生活を送っている間に、同学年の高橋由伸選手や川上憲伸選手たちが、進学先の大学で頭角を現している。

しかし、このあせりにも似た感情を、上原選手は大きな力へと変えていく。「自分も追いつけるように頑張らなければ」というモチベーションにつなげたのだ。上原選手はこう語る。

受験に失敗することなく、すんなり大学へ進んでいたら、上原浩治の人生は全く違っていたことだろう。同い年で活躍する選手へ、対抗心も燃え上がらなかっただろう。(※2)

「何、くそ」という心の大切さを学んだのが、この19歳の浪人時代にであるというのだ。上原選手はこう述べる。

浪人時代の一年間こそ、上原浩治の礎であり、人生の要である。私は十九歳のこの年を生涯胸に刻みつけるために、プロ野球選手になって背番号「19」を背負った。(※3)

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(※1)『闘志力。』上原浩治・三省堂

(※2)同書

(※3)同書

2013年7月31日 (水)

182 マエケン 試合前のこだわりの数にびっくり

カープのエース、前田健太投手の書いた本、『エースの覚悟』(光文社新書)を読んでいたら、次のようなことが書かれていた。それは、前田選手が「試合前の儀式として必ずやっている“ルーティン”」(同書)である。その内容を以下に紹介したい。 

・コンビニで買い物をする      
・夕食に豚ヒレの唐揚げを食べる      
・寝る前に決まった音楽を聴く      
・同じパジャマと下着を着る      
・当日は試合7時間前に起床      
・お風呂につかって携帯でブログチェック      
・朝食に豚の生姜焼きを食べる      
・食後に風呂とトイレ掃除(勝ち運を高めるために身の周りを清めます)      
・定刻に同じシャツを着て球場入り      
・ブルペンは必ず真ん中で45球を投げ込む(球数はそれ以上でもそれ以下でもダメです)      
・塩で体を清めて左足からグランドに入る      
・ベンチの側で「マエケン体操」      
・ファイルラインを左足でまたいでマウンドへ      
・プレートに触れて祈る      
・手を胸に当てて祈る      
・右肩とグラブに念を送る      
・右手を上げた後、両手を広げて屈伸 

前田選手は「これらが全部できて初めて一球目が投げられるんです。」と述べている。  

この数にびっくりした。一つ一つのことを実行することはそれほど難しくないし、「儀式」と前田選手も言っているように、直接ピッチングに結びついていないものが多い。  

しかし、プロの選手としての練習やトレーニング以外に、試合の前日から必ずすることが、これだけもあるのだ。感銘を受けた。マウンドで一球目を投げるまでに、こうやって気持ちを高めていくんだ。  

私は陸上競技をしていたときは、普段の練習以外のことで、前田選手のように「一投目を投げるまでこれをやる」と決めたことは、ひとつもなかった。真剣さが全然違うんだなあ。   

2013年7月27日 (土)

181 決断おめでとう

このクラスのある人が、生活日記にこんなことを書いていた。

「進路先は○○高校に決めました」

この人は二つ希望しているところがあって、迷っていたのだが、一つの高校に決めたというのだ。もちろん、これから先、いろいろなことを考え、また進路希望の変更があるかもしれないが、今、とりあえずは一つの高校を目指すことに決めたというのだ。

私は、「決断、おめでとう!!」とコメントを書いた。

なぜなら、人は、何か大きなことを成し遂げるためには、「○○をする!!」と決断しなければならないからである。「決断すること」が成功のための第1条件である。それができたので「おめでとう!!」なのだ。

松坂大輔というピッチャーがいる。甲子園、プロ野球、メジャーリーグで活躍した大投手である。松坂選手が高校時代に次の言葉を座右の銘にしていたそうだ。

「目標が、その日その日を支配する」という言葉である。

人はいったん目標を決めたら、その目標を実現するために、毎日することが決まってくる。高校時代の松坂選手なら、野球部の一つ一つの練習メニューに集中することはもちろん、食事や睡眠にも気をつかう。夜ふかしなどはできない。また、授業もいいかげんに受けることはできないだろう。テストの点が悪ければ、補習を受けるハメになり、野球部の練習に支障をきたす。だから授業をないがしろにできない。(※1)

人は目標を決めたら、一日の過ごし方が少しずつ変わってくるということだ。最初に紹介した「進路先は○○高校に決めました」と日記をかいた人も、決断する前は、夜そのまま寝ていたかもしれない日も、少し勉強して寝るようになるかもしれない。

休日なんかに友達と遊んでいて、これまでは友達とダラダラしている時でも、「じゃあ、俺、帰るわ」とその場を後にするかもしれない。

このクラス、最初に紹介した人だけではない。すでに決断した人も何人かいる。オープンキャンパスの申し込みも、締め切り日の何日も前に提出し終わっている。掃除や授業態度も二年生の時よりも格段に進歩している。おそらく「決断」したんだろう。行動を見れば分かる。
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(※1)このへんのことは、想像で書きました。

2013年6月22日 (土)

180 とりあえず18分間がんばってみないか?

おもしろい本をみつけた。『18分集中法』というタイトルだ。菅野仁さんという大学の先生が書いた本。
 
内容は単純。嫌いな勉強でも、とりあえず18分やってみようじゃないか。18分やって、「もう無理!」だったら、そこでやめればいいし、「もう少しやってみようかな」と思ったら、少し休憩してもう一度18分やってみる。ただそれだけ。

この本を書いた菅野仁さんの悩みは、気が向かない仕事を後回しにしてしまい、「明日の日曜日は仕事をしてやる!」と意気込んでも、日曜日になるとダラダラとした生活をしてしまい、結局何もしなかった、ということがよくあったこと。菅野さんは大学の教授だ。大学の先生でも、私たちとまったく同じ悩みをもっているんだ。

そこで菅野さんが編み出したのが、嫌いなことでも18分間まずはやってみて、それを続けるかどうかは、18分やった後で決めよう、という「18分集中法」。

みんなもおぼえがあるだろうが、嫌いでやりたくないことって、本当はとりかかかるまでが大変なんだ。「18分だけ」なら、とりかかることができる。実際に18分間やってみると、次の18分間もがんばろうという気になるものだ。たとえ本当に最初の18分間で終わったとしても、何もしないことに比べたら大きな違いだ。

この方法のおかげで、菅野さんは時間の使い方が効率よくなり、自分が本当にしたいことに時間をかけることもでき、人生が豊かになったそうだ。

それはいいけど、なぜ18分なのか?15分でも20分でもなく、なぜ18分なのか。これは菅野さんが、試行錯誤したり、学生さんたちにも協力してもらって実験した結果、導き出された数字なのだそうだ。

昨日から期末テスト週間。君たちにも試してもらいたい。ただ、それには18分たったことを教えてくれるタイマーが必要だ。お家の台所にあるかもしれない。なくても、今は100円ショップで買うこともできる。やってみたらどうだろうか。

2013年1月21日 (月)

179 目標を達成したから強くなるのでなない。人は、目標を達成する過程で強くなるのだ。

今年の箱根駅伝で優勝した日本体育大学。翌日の新聞記事の中にこんなことが書いてあった。

復路は首位でタスキをつなぎ東京・大手町にゴールした◆その直後、チーム全員が整列しコースに一礼。「みなさんに支えてもらったから」と話す姿がさわやかだった◆それもそのはず。別府健至監督がこの1年指導してきたのは、あいさつやトイレのスリッパをそろえるといった生活の基本。練習前にグラウンドも清掃する◆「当たり前のことをいかにきっちりやるか。見えないところを徹底することで、ダレた雰囲気がなくなった」。(「よみうり寸評」『読売新聞1月4日』

もう一つ。今度は京都で行われる全国高校駅伝の話だ。

去年の(先月だけどね)全国駅伝に三重県代表として出場した伊賀白鳳高校のことを伝える新聞記事がある。長年同校を指導してきた町野英二先生が去年の6月にお亡くなりになったのだが、そのことについての次の新聞記事を読んでほしい。

「良き競技者である前に、良き高校生であれ」。一九七六年、伊賀白鳳の前身・上野工の監督に就任した町野さんは、自身で考えて行動する「自主自立」の精神を繰り返し説いた。

グラウンド片隅の練習用具や荷物は一つの乱れもなく、整然と並ぶ。あいさつも、指先まで伸ばした手をももの横に付け、深々と頭を下げる。当初は県予選でも低迷していたチームを全国駅伝二十三回出場、最高四位の名門に育てた。

(中略)

(現監督である)中武監督は言う。「何もなかったかのように、以前と変わらず練習に取り組んでくれた。これが、先生の求めていた強さなんでしょうね」。(「恩師への思い胸に全国高校駅伝へ 伊賀白鳳高男子陸上部」『中日新聞2012年12月22日』)

この新聞記事は本番のレース前の記事である。本番のレースでは伊賀白鳳高校は、ゴール前のデッドヒートを制して、過去最高の3位に輝いた。監督の逝去を乗り越えて、過去最高の成績を収めた選手たちの心の強さに感銘を受けた。

なぜ、競技だけではダメなのだろうか。なぜ掃除などをきちんとやることが競技力につながるのだろうか。

この学級通信でも、以前、012 大舞台になるほど私生活が結果に出る というお話を紹介した。2009年の夏の甲子園大会で優勝した沖縄県興南高校のキャプテン我如屋さんの話だ。

「朝起きてから寝るまで、何一つ手を抜かない。『大舞台になるほど、私生活が結果に出る』と思うからだ。」とあった。

有名な陸上競技の指導者であった原田隆史先生は、掃除などの奉仕活動は心をきれいにするだけではなく、心を強くするものだと言っている。そして、自分にできることをどれだけ長く続けたかということが、心の強さに比例しているのだという。(『夢を絶対に実現させる方法!』)

原田先生は、エベレスト登頂に成功した人に、こんな質問をした。

「エベレストに登頂するというすごい目標を達成したら、心は強くなりましたか?僕はならないと思うんですけど、どうですか?」

これに対して、登山家はこう答えた。

「同感です。でも、エベレストに登って、やっぱり僕の心は強くなったんです。登頂するためのプロセスで、心は強くなったんです」

これを聞いた原田先生はこう述べている。

これは、大発見でした。つまり、エベレストに登るために何年にも及ぶ計画を立てて、それにしたがって毎日を懸命に過ごす。その日々の努力の継続で、心は強くなるというのです。

スリッパをきちんとそろえる、きちんとあいさつする、などの自分にできることを、気分が乗っているとき、機嫌がいいときだけではなく、常に続ける。その継続が心を強くするんだなあ。

そういえば、メジャーリーグの松坂大輔投手は高校球児だったころ、次の言葉に出会い、その後の松坂選手の座右の銘になった。

目標が、その日その日を支配する。(※1)

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(※1)『Wikipedia』「松坂大輔」

2013年1月13日 (日)

178 格闘ゲームの世界チャンピオンが教えてくれる、自信をつける方法 その②

前回の学級通信でも紹介したように、梅原さんは小学校時代は腕力が強かった。しかし、中学校に入学すると友人たちは部活などに取り組む、いわば「健全な」中学生になっていく。

小学校の時は、腕相撲でもかけっこでも、だれにも負けない梅原さんだったが、中学校2年生の時には、こんな出来事があった。君たちがよく教室でやっている腕相撲だ。

以前の梅原さんなら、教室で何人かが腕相撲を始めたら、「おう、お前ら、やってるな」と横綱気分で参戦していけたのだが、中学校2年生ともなると状況が一変していた。部活に励んで、どんどんたくまくしくなっていく同級生に勝てる気がしなくなったのだ。

小学校の時は平気で負かしていた友達に、「梅原、勝負しようぜ」と挑まれるありさまだ。それどころか、「いや、今日は腕が痛いから・・」と、負けるのが怖くて逃げる自分になっていたのだ。

そういう言い訳も通用しなくなり、ある日、とうとう腕相撲をさせられることになる。梅原さん曰く、明らかに弱そうな、教室の男子で10番目ぐらいの強さの友達を相手に選んだのだが、その友達にもあっさりと負けてしまう。ゲームばかりして、ご飯もろくに食べなかった梅原さんと、部活で鍛えた友達たちとの力関係は逆転してしまったのだ。

友達は聞く。「ウメ、なんでこんなに弱くなっているの?」

梅原さんは、このときの屈辱感を今でも思い出すことがあるという。

こんな屈辱感から梅原さんはどうやって立ち直ることができたのか。

結論から言えば、ゲームをとことんまで追求することにしたのだ。梅原さんはこう語る。

俺は部活もしなければ勉強もしない。代わりにゲームをしている。それならば他の人間が部活や勉強に注いでいるのと同じぐらいの、いいや、それ以上のやる気と情熱を持ってゲームに向き合わないと、あまりにもかっこうわるいじゃないか。 (※1)

ゲームのプレイ時間を増やしただけではない。分析と攻略にも時間をかけた。野球やサッカーでプロを目指している人たちと比べても恥ずかしくないと思えるくらいに打ち込んだ。

梅原さんは自信を得た。それは、ゲームが強くなったからではない。

自分が「ゲーム」という厳しいフィールドを選び、高みを目指して、徹底的に技術を追求しているのだという、自分の取り組みに対する自信である。

梅原さんは次のように言っている。

苦手なことにも臆せずぶつかって、真摯に克服していったことで自信がつき、一人の人間として堂々と振る舞えるようになったのだ。「俺は、誰に見せても恥ずかしくない努力をしている」と。 (※2)

そうなんだ。私自身も、これまで劣等感を感じたのは、「口で偉そうなことをいくら言ったって、自分自身は少しもがんばってないじゃないか」と思い知らされる時だった。自分がどういう取り組みをしてきたかは、自分が一番よく分かっている。

ところで、私は梅原さんが、著書の中で、格闘ゲームの「練習」をするという表現を多く使うことに気がついた。

みなさん、ゲームの「練習」なんですよ。つまり、気分が乗らない時でも、自分から取り組むということだ。

実際、梅原さんは365日のうち、363日ゲームの練習をする。残りの二日はおおみそかと元旦。この二日間は家族との時間を大切にしているそうだ。

人はどう思おうと、自分はやっている。これが本当の自信と言えるのだ。梅原さんの本を読んでそう思えてきた。

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(※1)『勝ち続ける意志力』梅原大吾著 小学館eBooks

(※2)同書

2013年1月 7日 (月)

177 格闘ゲームの世界チャンピオンが教えてくれる、自信をつける方法 その①

お年玉はどのくらい貯まりましたか?何に使いますか?せっかくだから大切に実のあるように使いたいですね。私のようにお年玉を「あげる」立場の人間としては。

もし、君がお年玉でゲーム機やゲームソフトを買うと言ったら、お家の人はどんな顔をする?あなたのお金なので、「絶対ダメ」とは言われないかもしれないが、まあ、多くのご家庭では、そういい顔はされないであろう。

そして、手に入れたゲームで遊んでいると、「宿題は終わったの?」「もう今年は受験生になるのよ!」などの小言が飛んで来ることは、私の家も含めて、大いに考えられる。

これがもし、同じ勉強しないのでも、外でサッカーボールを追いかけ回したりするんだったら、そこまで文句言われないかもしれないね。

ゲームに対して、私たち大人がこういうふうにマイナスととらえる風潮の中で、対戦ゲームの世界チャンピオンになり、初の「プロ」として活躍している人がいる。梅原大吾さんという人だ。

梅原さんは去年、『勝ち続ける意志力』という本を出した。内容は、タイトル通り「一度勝つのと、「勝ち続けること」は天と地ほども違うということが語られた本である。

この本を読んだ私は、梅原さんが自信をつけていく過程にとても感動した。今回はこのことを紹介したい。

さて、梅原さんは高校生の時、アメリカで行われた「Evolution2004」という世界最大の格闘ゲームの祭典で、見事にチャンピオンになった。「Street Fighter 3rd STRIKE」というゲームなんだけど、知ってる?私は全くわからないが。

このときの大会で事実上の決勝戦と言われた、アメリカ最強のジャスティン・ウォンさんとの対戦では、圧倒的に不利な状況からの逆転勝ちを収めた。その様子はYoutubeで今も見ることができる。

そこまでになった梅原さん、5歳のときに出会った「スーパーマリオ」がゲームに没頭する生活のきっかけだった。

小学生になっても、当然生活の中心はゲーム。小学生時代の梅原さんは腕力が強く、回りの友人を力でゲーム仲間に引き込んでいったところもあったらしい。

ところが、中学校になって、これまで遊んでいた友達は部活に行くようになった。梅原さんは一人で電車に乗って、ゲームセンターに通うようになる。そして、明けても暮れても対戦ゲーム。部活で汗を流す友達は、身体も鍛えられて、だんだん梅原さんの腕力も通用しなくなる。

そして今の君たちと同じように、そろそろ「進路」というものが頭にちらつくようになる。梅原さんは次のように語っている。

ゲームに熱中している自分はおかしいと思ったし、みんなから後ろ指をさされているようないたたまれなさがあった。(※1)

こんな気持ちになった梅原さんが、どうやって自分の中に自信を育てていったのだろうか。(次号に続く)
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(※1)『勝ち続ける意志力』梅原大吾著 小学館eBooks

2013年1月 2日 (水)

176 松井秀喜選手が語る一番の思い出

先日、ある新聞記事に目が留まった。松井秀喜選手の引退を伝えるニュースだ(※1)  

この記事に意外なことが書いてあった。   

引退発表の記者会見の場で、松井選手は、20年間のプロ野球生活で一番思い出に残ることは「(巨人時代に)長嶋監督と2人で素振りした時間」と答えたのだ。   

巨人の4番バッターとして活躍した後、アメリカに渡り、2003年あこがれのヤンキースの一員になった時ではなかった。   

また、2009年にワールドシリーズでMVPを獲得し、優勝パレードの主人公の一人として、ニューヨークの数十万人の人々に迎えられた時でもなかったのだ。   

松井選手はプロ1年目から、長嶋監督の自宅で、遠征時はホテルの監督の部屋で、毎日ほぼ欠かすことなく素振りをしてきたことを一番の思い出にあげたのだ。   

以前、この学級通信でも松井選手の素振りについて取り上げたことがある。(052 松井秀喜のすごさ~ある若手選手は見た http://mikadukitusin.blog.fc2.com/blog-entry-35.html )   

松井選手は、ここ数年は両ひざの故障などで、出場機会が減ってしまい、去年7月に、タンパベイ・レイズから戦力外通告を受け、そのまま引退した形になる。

戦力外通告を受ける少し前の6月、マイナーリーグで10代の若者たちに交じって、ラストチャンスにかけて汗を流しているときも、ホテルの自室に戻ってからの素振りを続けていたという。(※2)   
   
このとき、松井選手はこう語っている。

「僕のバッティングの原点はすべて長嶋監督とやってきた素振りにある。プロ1年目からメジャーに渡ってプレーする間も、実はやっていること、目指しているものに変わりはないんです」(※3)

真摯な取り組みを20年間ブレることなく続けてきたことに改めて驚く。   

これだけではない。松井選手は周囲の人に対する配慮もブレなかったようだ。   

今季限りで引退するソフトバンクの小久保裕紀選手はこう語っている。   

打っても打てなくても、たくさんの記者に対応している姿は後輩ながら勉強になった。(※4)   

巨人の高橋由伸選手は次のように言った。   

好不調にもかかわらず振る舞いが全く変わらなかった先輩の姿に感銘を受けた。(※5)

   
松井選手のバット製作を手掛けた久保田五十一氏も次のように述べる。   

(松井選手がプロ入りして)以来20年、私たち用具担当者にも変わらず丁寧に話し掛けてくださいました。素晴らしいバットの使い手とお会いできたことに心から感謝しています」(※6)   

     

私は、自分にいいことがあったりして、機嫌がいいときには、人に優しくできる。でも、自分がおもしろくないときに、どういう自分でいられるか。

松井選手の才能は真似できないが、周囲の人に対する、このブレない姿勢は、ほんのちょっとでも真似したい。   

そう考えながら、2013年の目標を検討しようかな。   
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(※1) 『読売新聞』2012年12月29日
(※2)『“頑固”が支えたプロ生活20年――。    
松井秀喜が最後まで貫いた己の美学。』http://number.bunshun.jp/articles/-/321412?page=2)    
(※3)同サイト    
(※4)『読売新聞』2012年12月29日    
(※5)『読売新聞』2012年12月29日    
(※6)『バット職人・久保田氏「素晴らしいバットの使い手」』http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121228/bbl12122812450005-n1.htm

2012年12月21日 (金)

175 なりきる!!

石井裕之さんというセラピストが講演会でこんなことを話していた※(1)。

石井さんがサラリーマンだった頃、一緒に勤めていた女性に恋をしたそうだ。

でも、その女性は石井さんのことは全然気にかけていなかった。

そんなある日、石井さんは、そのあこがれの女性と外回りの仕事に出ることになり、二人きりで車に乗ることになった。

石井さんは、いろいろと話しかけてみるのだが、彼女はそっけない。空回りしているぎこちない空気が車の中を支配している。

せっかくのチャンスがしぼみかけているそのとき、石井さんは次のように思ってみたそうだ。

「今、すでに自分はこの人と付き合っているんだ。恋人同士なんだ」と。そう思い込むようにした。そして、すでに恋人同士であるかのように話しかけたりしてみたそうだ。

すると、どうだろう。あれだけきごちない雰囲気の車内が、しだいに打ち解けた感じになっていったそうだ。そして、この一日で彼女と仲良くなり、本物の恋人になったそうだ。

石井さんの話を聞いたとき、私はある生徒のことを思い出した。陸上部の顧問をしているときに出会ったA君である。

中学校に入学して、陸上部に入ってきたA君はどちらかというと小柄な少年だった。そして、なぜか両手の中には、ずっしり重い5㎏の砲丸があった。片手で持つのもつらそうである。

「先生、僕、砲丸投げやりたいんです!!全国大会へ行きます!!」

私はというと、心の中では「そりゃ、全国大会は無理だよ。普通の大人以上の体格と筋力とスピードが必要だよ。君の身体じゃ無理だ。」とは思いながらも、「そうかあ!!がんばれよ!!」と答えた。

1年生の彼が、重たい砲丸を投げると、すぐそこに「ボテッ」と落ちる。全国は遠い、遠い。

彼は毎日練習に励んだ。「先生!!全国へ行きます!!」「そうかあ!!」、そして「ボテッ・・」。

いつまでたっても、「先生!!全国へ行きます!!」「そうかあ!!」「ボテッ・・」。

A君は中学2年生になり、3年生になった。体が少しずつたくましくなり、記録も少しずつ伸びていった。そして中学3年生のとき、とうとう県の選手権で表彰台に上り、地域大会へ出場するまでになった。地域大会というのは、例えば東北大会、関東大会、近畿大会などの大きな大会である。さすがに全国大会は無理だったが。

今思えば、A君には他の選手とは違う一面があった。彼は中学1年の終わり頃から、学校の体操服ではなく、陸上競技ウエアで部活の練習をしていたのだ。そして、「ボテッ・・・」のころから、すでに足には「投擲シューズ」という砲丸投げ専用の靴を履いて練習していたのだ。陸上部に入っている人は分かると思うが、中学校のうちは、砲丸投げをする選手でも、専用の靴を買って履く人は少ない。

砲丸を投げても、すぐそこに「ボテッ」と落ちる、そんな選手だったけど、陸上競技ウエアを着て、専用のシューズを履いている彼のハートは、すでにいっぱしの陸上競技選手だったのだ。

そして、いつの間にか「ドーン!!」と発射された砲丸が、「ズドーン!!」と地面に落ちる、そんな選手になっていったのだ。

セラピストの石井さんも、陸上部のA君も、現実はどうであれ、「なりきる力」、「演じる力」の偉大さを教えてくれる。私も見習いたいけど、なかなかこれが難しい。すぐに現実が頭をよぎり、「どうせ、ダメだろう」と思ってしまうのだ。

デール・カーネギーという、アメリカで多くの成功者の人生を研究して、多くの本を書いた人がこんなことを言った。

本当に勇気があるかのように振舞う。こうすれば元気が出てきて、「自分だってあれくらいのことはできるのだ」という気になるから妙だ。

石井さんやA君のようにはできなくても、この言葉は実践できるかな、と思っている。
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※(1)『人生を変える!「心のブレーキ」の外し方』DVD版

2012年12月20日 (木)

174 新庄選手のグラブ

君たちは新庄剛志というプロ野球選手を知っているだろうか。端正な顔立ちと派手な振る舞い、そして攻走守の三拍子そろった有名な選手だった。阪神、米メジャーリーグ、そして日本ハムで活躍した。

ウィキペディアには「一般的な野球選手のイメージとはかけ離れた高いタレント性とショーマンシップ、奇抜な言動で知られる。」とあるように、華のある、注目を集める選手だった。敬遠のボールを打ってサヨナラヒットにしてしまったこともあるし、1イニングに満塁ホームランを2回も打ったこともある選手だ。

ついこの間、そんな新庄選手に関するコラム記事を見つけた。以下、少し引用する。

日本ハムなどでプレーした新庄剛志さんは、福岡・西日本短大付高から阪神に入団した際に7500円で買った外野グラブを、2006年の引退まで17年間愛用。「商売道具を大切にしろ」という父・英敏さんの教えを守って補修を重ね、英敏さんが昨年亡くなると、ひつぎに入れてささげた。(12月18日読売新聞・スポーツ面)

新庄選手というと、派手なイメージがある。普段もブランド品で身を固めていそう。使っている道具もそうとう高そうだが、実は7500円のグラブをずっと修理しながら使っていたんだなあ。

ところで、いくらなんでも7500円は安過ぎると思った人もいるだろう。私も息子が中学校の野球部(軟式)で使うグローブを買いに行ったとき、1万円ぐらいの物を買った記憶がある。その値段でもそんなに高級な価格帯ではなかったのを思い出した。

いくら何でも硬式野球の、それもプロが使うグラブが「7500円」は、本当かなあと思ってネットで調べてみた。

すると、福岡にある、プロ用のグラブを作っている会社が、地元出身のプロ相手ということで、ほとんど原価に近い価格で新庄選手に売ったのではないか、ということだった。

実際のグラブの価格はもっと高いのだろうけど、父親の教えを守り、17年間大切に一つのグラブを使い続けたこと自体、すごいことだと思うし、新庄選手のイメージを勝手に作っていた自分にも気がついたのである。

2012年11月30日 (金)

173 「非選抜アイドル」の仲谷さんが教えてくれたこと~幸せは他人が運んでくれる

何という本に書いてあったか、忘れてしまったが、こんなことが書かれてあった。

「自分に幸せを運んでくれるのは、いつも他人だ」というのである。

私たちが「うれしい」とか「幸せだ」とか感じたときのことを思い出してみよう。その「うれしさ」や「幸せ」は、自分以外のだれかがもたらせてくれたのではないか、というのだ。

友達が自分のことをほめてくれたら、すごくうれしくなる。友達のおかげである。

君が入試に合格できたとする。確かにそれは君ががんばったからだけど、やはりそこには、君を選んでくれただれかがいたから、その幸せがあるわけだ。

先日、AKB48の仲谷明香さんが書いた「非選抜アイドル」(新書)をとても楽しく読んだ。この本を読むと、あらためて「幸せというのは他人が運んでくれるんだなあ」と感じた。この本の内容を少し紹介してみたい。

仲谷さんは、小さいときは東北の盛岡で生まれ育った。自由奔放に育ったのだが、七歳の時、両親が離婚して千葉県に引っ越してきた。

仲谷さんは慣れない環境の中で、家に閉じこもりがちになってしまった。そんな仲谷さんを助けてくれたのはアニメだった。仲谷さんは夢と希望があふれるアニメにどれだけ救われただろうと述懐している。

「自分がアニメに救われたように、私もアニメを通して誰かを救いたい」と仲谷さんは考えるようになった。そして声優になりたいという夢をもつようになった。

しかし、中学生になっても仲谷さんはなかなか学校に行けない日々が続いていた。仲谷さんのお母さんが声優の専門学校に通わせてくれたが、学費が高く、途中でそれもやめざるを得なかった。

久しぶりに中学校に行ったある日、「あっちゃん」という、仲の良かったクラスメイトが、アイドルグループに入ったという話を友達から聞いて驚く。いうまでもなく「あっちゃん」とは前田敦子さん、アイドルグループとはAKB48のことである。

そこで仲谷さんはAKB48のことを調べてみた。すると、AKB48とは、ただ単にそこでアイドルとしての活動をするのが目的ではなく、将来的にもっと大きな夢をかなえるためのグループだということがわかった。たとえば、ほとんどのメンバーは歌手や女優になる夢をもっていたりする。

仲谷さんは、「AKB48に入れば、私も声優になれるかもしれない!」と思うようになった。

仲谷さんは、オーディションにチャレンジし、そしてめでたく合格し、AKBのメンバーとしての活動を始める。ダンスや歌のレッスンなど、プロとしての厳しさを思い知るようになる。それでも、トレーニングを積み重ねた後の公演に、達成感を感じるようになる。

そんな仲谷さんには苦手にしていることがある。それはみんなもよく知っているように「総選挙」をはじめとする人気獲得競争である。でも、中谷さんは「人気を得る」ことに一生懸命になれなかった。

仲谷さんは悩んだ。人気獲得競争から逃げ出せば、いずれAKBでやっていけなくなるかもしれない。

仲谷さんは一つの結論を出した。AKBの基本はあくまで「公演」なのだ。公演のことだけを考えるようにしよう、と。

仲谷さんは、目の前の「公演」に気持ちを集中させることにした。人気獲得活動はどうしてもできなかったが、踊りと歌にがんばることなら、どこまでもできた。そう考えて一層努力を続けていった。自分のパートだけではなく、見よう見まねで他のメンバーの歌や踊りもできるようになっていた。

すると、AKBのメンバーのうちのだれかが、病気やケガなど公演に出られなくなったとき、その代役を臨時に勤めて穴を埋めるということもできるようになった。

自分がすべきことに一生懸命に取り組む姿はだれかが見てくれている。

仲谷さんに外部の芸能プロダクションから移籍の声がかかった。AKBのメンバーにとっては、外部の芸能事務所に所属することが、一人前の芸能人として活躍するための必須条件なのだ。でもこんな話は選抜メンバーならまだしも、仲谷さんのような「非選抜メンバー」には夢のような話だった。

仲谷さんに声をかけた「Mousa」という芸能事務所の経営者は、「僕は長く芸能人としてがんばり続けられる人と一緒に仕事がしたい。それには努力が不可欠だから、それができるあなたに声をかけた」と語ったそうだ。

地道な努力が実を結んだと感じた仲谷さんは、その後も公演のトークの下準備をはじめ、公演を大切に考えた努力を続けていく。

すると、声優を目指している仲谷さんに、大きなチャンスを運んできてくれた人がいた。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」の作者の岩崎夏海さんである。岩崎さんはこの本のオーディオブックの朗読者に仲谷さんを抜擢してくれたのだ。岩崎さんはもともとAKBの関係者で、仲谷さんが舞台裏で努力する姿を見ていたそうなのである。

このオーディオブックの朗読に一生懸命に取り組んでいると、さらに「もしドラ」のアニメの声優のオーディションも受けられることになった。これも岩崎さんが制作者に推薦したからだという。

実際のオーディションでは、一緒にオーディションを受ける人たちの中に、有名な声優さんたちがたくさんいることにびっくりする。アニメの世界では、有名な声優さんもオーディションを受けるのが当たり前なのだそうだ。

プロの声優さんたちと一緒に受けたオーディションが終わった後、仲谷さんは受かるという自信は全くなかった。AKBとしての多忙な生活の中で、オーディションを受けたことも忘れる日常に帰っていったのだ。

そんなある日、「合格」の知らせを聞く。名のある声優さんたちを押しのけて、なぜ自分合格したのか。後で理由を聞いてみた。

オーディション中に音響監督から「もっとこういうふうにやってください」という指導が入るのだが、その指導を一番謙虚に受け止めたのが、仲谷さんだからだという。「今は最初は下手かもしれないが、どんどんうまくなる可能性を秘めている」、そう制作サイドは判断したのだという。

そして今も活躍を続けている仲谷さんである。

この文章の始めに、「幸運は他人が運んできてくれる」ということを書いたが、もちろん、じっとしていれば幸運がやってくるわけではない。仲谷さんも悩みに悩んで、「今、自分ができること、すべきことは何か」ということを考え、努力を重ねていったのだ。そんな姿はきっとだれかが見てくれている。

2012年8月13日 (月)

172 見えない分かれ道はそのへんに

ロンドンオリンピックも終わりました。

読売新聞にちょっと興味をひかれた記事がありました。

タイトルは「『弓道部なかったから』で始め、つかんだ『銀』」とありました。(※1)

アーチェリーで銀メダルを取った古川高晴選手を紹介する記事です。

古川さんは中学生のときに、たまたま通りかかった公園で弓道大会をやっていたそうです。その選手たちの格好よさにひかれて、家に帰った古川さんは、家族に「弓道をやる」と宣言しました。

でも、進学した高等学校に弓道部はありませんでした。アーチェリー部はあったので、「弓を使うことは同じだから」とアーチェリー部に入部したのだそうです。

話は変わりますが、5月4日の読売新聞にはこんな記事もありました。今度は竹内洋岳という人を紹介した記事です。世界に8000mを超える山が全部で14座あるのですが、そのすべてに登頂したというのです。日本人初の快挙です。

全14座を登頂する過程で、竹内さんは雪崩事故に遭い、仲間を失い、自分も再起不可能といわれるぐらいの大けがをしながら、今年5月に快挙を成し遂げました。
 
竹内さんが山登りを始めたのは、高校生になって山岳部に入部したからです。でも、強い意欲があったわけではありません。その高等学校は新入生は全員どこかの部活に入らないといけなかったそうです。

部活動のオリエンテーションが終わって、どこかの部に入らないと家に帰れません。中学校時代は帰宅部だった竹内さんは、文科系の部活も考えましたが、各部の名簿の前は大行列でした。そんな時、山岳部の前はガラガラでした。「並ぶのが面倒だった」竹内さんは、すぐに山岳部の名簿に名前を書き込んだのだそうです。

本当に人生って不思議です。アーチェリーの古川さんが、もしその日、公園のそばを通らなかったらどうなっていたんでしょう。通ったとしても、その日は急ぐ用事があって、立ち止まって弓道の試合を見る気がなかったら・・・。進学先の高等学校に、念願通り弓道部があったなら・・・。

竹内さんの話もそうです。もし、山岳部以外の部活の前に人が並んでいなかったら・・・。

今、二人のお話をしましたが、実は、大人はみんな「今、振り返ってみたらあそこが分かれ道だったよな」と思えるものをもっています。その時は目には見えない分かれ道が、人生を重ねて振り返ってみると、はっきり見えるのです。

本当に人生は不思議です。見えない分かれ道は、君たちの日常生活の中にこれからたくさん現れることでしょう。

非常に、平凡で説教くさい言い方ですが、「今いる場所で精一杯やってみること」、これが大事なのかなあ
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(※1)『読売新聞』2012年8月4日

2012年8月11日 (土)

171 そう思うのは、君にふさわしいか?

君がプロゴルファーだったとする。今、ちょうど熾烈な優勝争いをしているところだ。

最終ホール、君は無事にパーであがった。君のライバルは今からパーパットを打つところだ。

ライバルがこのパットを外せば、君の優勝。何千万円もの優勝賞金が手に入る。

ライバルがこのパットを決めれば、君とスコアは同点。これからプレーオフ(延長戦)に入る。

さあ、ライバルがパットの構えに入った。距離は、決めても外しても不思議はない、微妙な距離である。

このとき、君ならどう思うか?

私だったら、当然「お願い!!外してくれ~!」だ。何千万円だぞ。

しかし、こういうとき本気で、「決めろ!」と相手の成功を心の中で叫ぶ人もいる。その人はタイガー・ウッズである。

私はこの話を苫米地英人さんという脳科学者の本で知った。

苫米地さんによると、タイガーウッズは自己イメージがすごく高い選手らしい。だから、ライバルが失敗すれば自分が優勝するという時でも、次のように思うのだそうだ。

「入れろ!!この俺と優勝争いをするようなやつが、こんなパットを沈めないでどうする!!」と。

タイガー・ウッズにとってみれば、ライバルの成功を祈る方が、「自分にふさわしい」考え方だと思っているのだそうだ。

でもなー、タイガーウッズって特別なんだろうなあ。だって、サッカーでPK戦になったときは、相手チームが蹴るときは「外せ、外せ!」って普通思うよな。

だけど、タイガー・ウッズの話は、これから先ちょっと思い出そうかなって思っている。

私にも、だれにも意地悪な心が出てくることはある。ちょっと人の不幸がうれしいと感じるとき、こう思ってみよう。

「そういうふうに考えることは自分にとってふさわしい、似合っていることか?」

「いや、俺には似合わない。」そう思いたい。

2012年8月10日 (金)

170 めんどくさいから1000回って言ってるだけで、本当は1000回以上やってますよ

数日前、あるトーク番組に東山紀之さんが出演していた。東山紀之さんはジャニーズ事務所に所属し、三人組グループ「少年隊」の一人である。君たちは知らないかもしれないが、お父さんお母さんは知っているよ。

番組の中では、東山さんが45歳にもかかわらず、体脂肪率10%以下にキープし続けている肉体の秘密なんかに話が及んだ。

毎日腹筋を1000回やっているんだって。そのテレビに一緒に出ていたタレントが、東山さんのお腹を触ったら、筋肉でガッチガチに固かったそうだ。

あるタレントが、「東山さんは腹筋を一日1000回やってるそうですね?」と聞くと、東山さんはこう答えた。

「(答えるのが)めんどくさいから、聞かれると『1000回』って言ってますけど、本当はそれ以上やっていますよ」と。

かっこいいよなあ。

「めんどくさいから(人に聞かれると)1000回って言ってるだけで。本当はそれ以上やってますよ」かあ。
こういうセリフが言えるってかっこいいよなあ。

2012年4月 3日 (火)

169 車の運転と入試~当日だけきちんとするのは無理

君たちはきっと将来車の免許をとるはずだ。ご存じのように、運転免許を取るためには、たいてい自動車学校に通う。

最初は自動車学校の敷地内にあるコースで練習する。そして仮免許の試験に合格すると、いよいよ一般の普通の道路に出るわけだ。

初めて路上を運転したときのことは忘れない。他の車とすれ違うだけで、「うわぁー!」と叫び声をあげてしまいそうになるくらい怖かった。こんなのって私だけ?

それが今ではどうだ。

運転しながら缶コーヒーを飲んだり(いけないけどね)、CDに合わせて歌を口ずさむこともある。朝は仕事の段取りを考えながら運転している。

免許取り立てのころは、「ここでブレーキ踏んで、クラッチ踏んで(昔の車にはペダルがもう一つついていたのだ)、ギアを変えて、などと一つ一つ考えながら運転していたのに。

人間の脳はすごいなあ。慣れると、あれほど考えながらやっていたことが、無意識のうちにできるようになるのだなあ。

と、ここで、突然話が変わるのだが。

君たちの中で、入試の日だけきちんとすればいい、と思っている人がいたら、それは違う。良い、悪いというのではない。入試の日だけきちんとするというのは無理なのだ。

服装や行動をはじめとして、当たり前のことがきちんと日頃からできている人は熟練したドライバー。これから受ける入試のことだけに集中することができる。

でも、入試の日だけきちんとしようという人は、免許取り立てのドライバー。服装、行動、言葉遣い、持ち物、すべてに気を配らないといけない。

一番大事な入試、つまり一日中テスト問題に取り組まなければならないという大事を前にして、それは無理だ。絶対にどっかにミスが出てしまう。

実際、A君は入試当日制服に名札を付け忘れて来てしまった。その他は見違えるほど、完璧な服装だったんだけどなあ。B君はスリッパ(上靴)を忘れてきてしまった。

普段すべきことが意識しないでできるようにしておこうよ。

2012年3月14日 (水)

168 さあ入試が始まったというときに、腕時計が止まっている!!

もう今から10数年も前のことだ。市内の私立高校の入試の日のできごとだ。入試が終わって三々五々出てくる生徒たちを待っていたら、一人の女子生徒が泣きながらやってきた。 聞けば、テスト中に消しゴムを机から落としてしまい、どうしていいか分からなくなってしまった、後の問題が解けなくなってしまった、というのだ。

まあ、この女生徒の失敗に対して、「なんで、手を挙げて試験監督官に拾ってもらわなかったの」とか、「そんなこともあると考えて、消しゴムは複数持っていくべきだったね」なんてことは後になってから言えること。その子にとっては、本当に気が動転する出来事だったんだろうなあ。

この生徒の入試の結果も残念なことになってしまったのは、よく覚えている。

ところで、つい最近、うちの奥さんからこんな話を聞いた。夕方のローカル局のテレビ番組で、視聴者からのこんなお便りが紹介されたそうだ。そのお便りを書いた人は、大学入試の受験生。先日のセンター試験の時に体験したことがお便りには書かれてあった。

さあ、いよいよ本番のセンター試験が始まったというそのとき、自分の腕時計を見て、その人は顔面蒼白になった。時計が止まっている!

試験会場を見渡しても壁には時計がない。あせって腕時計を振ってもたたいても秒針は動かない。電池が切れてしまったのか。よりによって、こんな時に止まらなくても…。

その人は決心した。時間配分なんて言っていられない。解いて解いて解きまくるしかない!

そして、センター試験が終わった。結果は?自己採点をしてみると、その人にとっての自己最高点が続出。予想以上の高得点だった。

「ピンチはチャンス」などという言葉は、まさにこの人のためにある言葉と思える。勝手にこの人の思いを想像すると、きっと思いがけない不幸を前にして、一瞬のうちに覚悟を決めたに違いない。「もうやるしかない!」と。時計がないという状況が、自分でもびっくりするような集中力を生んだのだ。

やるしかない。

大学受験生と中学生を比較しちゃ可哀想だけど、最初の消しゴムで失敗しちゃった女生徒が、もし「消しゴムがなくても、しゃーない。やるしかない!」と覚悟を決めていたら、ひょっとしたら違う結果になっていたかも。これも後になってから言えることなのだが。

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