こんにちは、暇なニート主婦です。
Twitterやってた時にふと、
『どんなに良い記事だろうが、誰一人傷つける事も、不快感がない記事なんてないんだよな〜と思う、今日この頃。自分の思う事を誰にも遠慮しないで書きたいという、当初の気持ちを忘れてる気がする。方向性を見失ってるかもな。最初に思った気持ち大切にしたい。』
と呟いた。
私はネガコメや、人にどう思われてるのかを気にしすぎて当初の真っすぐな気持ちを忘れてるんじゃないかと思い始めた。
人は言う。
『私は傷つけないような事を書くようにする。言葉は難しいからちゃんと選んで発信しないといけない。』私も言ってた。
でもだんだん、それを考えすぎている自分が、何の為にブログを書いているんだろう・・と思うようになった。
特にプロのライターになりたい訳でもなく、有名になりたい訳でもない私は、自分が自分で、思った事を記事にして、批判なり、助言なり、共感なりされたいという気持ちで使うはずではなかったのだろうか。と、ふと立ち止まって考えてみた。
ある方のブログで、『いい子ちゃんの文章を書こうとしないでもいい』というのを見かけた。私はハッとした。
昔からいい子になろうとして、人間関係に疲れてしまい、病気にもなったというのにブログでもいい子になろうとしていたのだ。(もちろん病気になってからは、いい子をやめた)
ブログを始めるきっかけは言いたい事自分の考え方、バカな事、いろいろ頭の中で考えている事を文章に載せて、いろんな人に見てもらいたいという自分の中の自己顕示欲を満たすツールとして、使う為でもあったのに、いつのまにか人に気を使って、文章を選んで、書いて、まるで今までと同じように生きてきた、いい子ちゃんを演じるようになっていたのだ。
私は初めての記事でプロフィールを載せた
とりあえず初めてのブログを書いてみた - 暇なアラサー主婦のひまな話
辛口な記事も多いかも?喧嘩上等〜
と書いてある。うん、今見返してみると、全然違う気持ちやん!と一人ツッコミをかましそうな勢いである。
ここで、私は私。自分の書きたい事、言いたい事、全て出したかったんだという欲求を再確認した。(批判と批評は、誹謗中傷ただの罵倒暴言とは、意味が違うと思ってるので、そういう話ではないです。)
タイトルの話に戻るが、
本当にどんなに良い記事でも必ず一人は傷つく人もいるだろうし、不快に思う人もいるはずだと思う。
例えば、
私は福山雅治が嫌いだ。なので、映画のレビューをした時に、下手な演技が!顔が邪魔していて役に入り込めていない等と言ったとする。
これに対して共感もあるかもしれないが福山ファンにとってはひどい、傷つく!不快!となるだろう。私も、好きな俳優のドラマが酷評されてるのを見ると悲しくなる。
でも、私にとってはブログでぐらい、本当の気持ちを話したかった。(リアルで、福山ファンが多いから、口が裂けても言えなくて・・まあ言った所で、私が嫌われるとかはないのだけど、やっぱり遠慮してしまうよね。)
この話は突拍子もないのかもしれないけど、どんな些細な事でも人が何かを言う事で、他人が傷ついたり、不快な気持ちになる事は避けられないのではないかと思った。
例えば、子育てのとても良い話の記事。子供が欲しくても授かれなかった人からしたら、悲しい気持ちになる人がいるかもしれない。
例えば旦那の愚痴の記事。結婚したいのに、結婚出来ない人からしたら、不快になる人がいるかもしれない。
例えば育児パパのとても良い記事。自分の夫が全く育児をしない人が見たらずるい!と思う人がいるかもしれない。
例えば自分が体験(旅行でも趣味でも仕事でも)した記事。それができない人から見たら、羨ましい、悔しいと嫌な気持ちになる人がいるかもしれない。
例えば自分の猫の可愛いという記事。猫が好きなのに飼えない人にとっては親ばかな話だ!と毛嫌いする人もいるかもしれない。
私のいじめ体験の記事も、病気の体験記も、もしかしたら、今とても辛い人にとっては不快な記事だったかもしれない。
いろいろ例えばの話をしたけれど、人間、その日の気分や、その時の自分の状況によって、同じ文章を見ても感想が違ってくると思う。そういう意味ではリアルでだって、生きていればいろいろあるだろう。
私もなかなか結婚出来なかった頃(同棲から結婚至らなくて)、超絶貧乏だった頃、自分が落ち込んでる頃、病気が辛かった頃、結婚するっていう報告を受けても、素直に喜べない自分がいたし、子供を見るのも嫌だったし、人が外食してるのも悔しかったし、だけど、自分が今良いなと思える状況に立ってみると、子供の話も可愛く思えるし、外食の記事も楽しく見える。
状況によってこんなにも捉え方が違ってくるのだから、リアルあろうが、文章であろうが、誰一人傷つける事なく不快にさせる事なく生きていく事なんてできないと思った。聖人君子みたいな人なんていないだろうとも。
だから私は思った。自分の気持ちを文章にして、ブログに書く事は誰の為でもない、自分のために書いてるんだと。
だから、例え一人でも傷ついたり不快になる人がいたとしても、私は私の文章を書いていこうと思う。だって、それがブログを始めた理由だから。
結局、タイトル通り、どう考えても、傷つけないようにと思っても、どんなに良い記事だろうが、誰一人傷つける事も不快にさせる事のない文章なんてないのだろう。
喜怒哀楽を出したっていいじゃないか。
だって人間だもの。
しゅふを
余談
前にも話したけど、作り話とか、人をあざ笑うような事はあり得ないと思っているから、例外だけどね。まあ、作り話とか、嫌な記事とかはスルー力をだんだん身につけられてきた今日この頃。
そして、プロフィールにも書いたけど、辛口多いかも〜喧嘩上等じゃけん!とオノマチばりに、言ってみた。もう一回言っとくけど、私が辛口を言うって意味は、批判と批評は、誹謗中傷や、ただの罵倒とか暴言も、意味が違うからね。(ネガコメ、ただの罵倒にはまだまだ凹むし・・罵倒暴言はただただ酷いと思うし。)
と、いうわけで、私は私、いい子になろうと力まずにこれからは好きに書いていこう〜と思った暇主婦、ある夏の日のお話。
- 作者: トーベ・ヤンソン,サミ・マリラ,渡部翠
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おだやかな人生なんてあるわけがないですよ。BYスナフキン