※長いです。それと、過去性犯罪に遭われた方はフラッシュバックにご注意下さい。
小学校高学年の頃だったと思う。
親と喧嘩して、夜8時くらいに家を飛び出したことがあった。
行くところもなく街中をふらついてたら、男に家まで送ってあげると話し掛けられ、車に押し込まれた。
車に乗せられた後の記憶は前後関係が曖昧。
家がバレるのはまずいと思ったこと。
仕事の帰り?え、小学生なの?大人っぽく見えるね、などとニヤニヤしながら言われたこと。
怖がらなくて良いからねと、免許証を目の前にかざされたが、よく見えなかったこと。
耳を塞ぎたくなるような卑猥な話を延々とされたこと。
タダで送ってもらおうなんてムシが良すぎると言われたこと。
伝えた家の方向とは違う、人気のない、小さな川のそばで車を停められたこと。
ドアを開けて叫ぼうとしたが、手で口を塞がれたこと。
男の手のひらに唇が触れて気持ちが悪かったこと。
その後男は私をどうにかするのを諦めたのだろう、何もしないからこういうことはやめてくれと言ってドアを閉め、運転を再開して元の道に戻った。
解放されるまでずっと、男の吐く暴言を聞き続けることになった。
私は謝ったり黙ったり、時々相槌を打ったりしながら、降りる許可が出るのを待った。
最終的には自宅から少し離れた交差点で、家のすぐ側だからと嘘を吐いて“降ろしてもらった”。
男は窓を開けて「気を付けて帰るんだよ」などと言って手を振った。
私は「送ってくれてありがとうございました」と頭を下げた。車が走り出してからも、しばらくそのままの姿勢でいた。
ナンバーが見える位置で顔を上げたら、通報するつもりだと思われるかも知れない、怒って戻って来るかも知れないと思った。
顔を上げた後も、男の車が小さくなるまで見送った。これだけ離れれば、例え男の車が引き返して来ても何とか逃げられる、そう確信出来るまで。
それから家まで全速力で走った。
親には話せなかった。部屋でひとりになってから、恐怖と悔しさと、誰にも言えない苦しさとで泣いた。
今回の岡山の誘拐監禁事件について、被害者はテレビを見て寝転がっていたのだから誰も傷付いていないだの、
なんぼなんでもくつろぎすぎだろwなどの揶揄、非難、
「抵抗していないのだから合意」みたいな意見が散見された。
11歳の子供に。この先何年も閉じ込められていたかも知れなかったし、命を取られてもおかしくなかった状況から生還した被害者に、
一体何を求めているのか。
手足を縛られてぐったりと衰弱した様子で保護されたなら文句はないけど、とでも言うのか。
彼女が生きて帰って来られたのは、彼女の行動が、彼女の選んだ選択肢が、間違っていなかったからだ。
意図してのことかどうかは分からないが、生き残ったのだから正しかったのだ。
パジャマを着て、アニメを見ることを選んだから、彼女は帰って来られた。
他のどんな行動が犯人をどう刺激したかなんて誰にも分からない。
私は誘拐未遂の後、何度も何度も思い返して自分を責めた。
何故無理矢理にでも車から飛び出して逃げなかったのか。何故お礼なんか言ったのか。もしも名前を覚えていたら。
顔を上げてナンバーを見ていれば。何度も何度も、何故ともしもを繰り返した。
そして当時は分からなかったことが、成長と同時に分かるようになってくる。男が自分に何をしようとして車に乗せたのか、
あの時どんな悍ましいことが起こり得たのか、だんだん解ってくる。その度にあの出来事は私を傷付ける。まるで時限爆弾のようだ。
私はあの時の自分を褒めたい。褒めて抱きしめてやりたい。
あなたは上手に立ち回ったんだよ。何も間違ってなかったんだよ。悔しかったね、警察に突き出してやりたかったね、
でもあなたが殺されず、犯されず、怪我もせず生還したということは、そういうことなんだよって、慰めてやりたい。
【追記】
ブコメで暖かい言葉を下さった方、ありがとうございます。
どんな言動が加害者を刺激し、逆上させるか、相手や(もっと言えば同じ相手であっても)状況によって、全く変わってくるだろうと思います。
私の場合で言えば、車のドアを開け叫ぼうとしたら相手が怯みましたが、ほんの少しの差で殺意を抱かせてしまったかも知れません。
逆に、ずっと黙っていたらもっと早く開放されたのかも知れません。
何が吉と出るか凶と出るか全く分からないのです。
とにかく、間違った行動に出たから被害に遭ったとか、被害が増幅したとか、そういうことが言いたかったのではありません。
もし不快な思いをされた方がいらしたら、大変申し訳ありませんでした。 ‹2014-7-22 23:31›
【追記2】
「助かった=正しかった」としてしまうことは危険なのでは、といった趣旨のコメントが数件ありました。
前回の追記は「大人でも正しい行動を取ることは難しいのにあなたはよくやった」という旨のコメントを頂いた時点で「しまった、迂闊だった」と思い書き足したものです。
この日記を書いた時、岡山の事件の被害者を揶揄、非難する声に心底腹が立っていました。それは今も変わりませんが、加害者のターゲットにされて、深刻な被害を受けることになってしまった人への配慮を欠いていたと思います。ごめんなさい。
これは「自分の考える被害者像と違う。だから被害者として認めない」という声にNOと言いたくて書いたもので、
「助からなかった人、深刻な被害を受けた人は、正しくなかった」と言いたかったわけではありません。そんな考えは毛頭ありません。
一方、「運が良かったから助かった」と言い切ってしまうことも出来ませんでした。
自分が遭った件に関しては、確かに運が良かったのだろうと思いますし、思えますが、
自分以外の誰かの被害に対してそれを当て嵌めることはどうしても出来ません。 ‹2014-7-24-12:43›