3年前の原発事故は何だったのか。私たちは納得いく答えをまだ得ていないではないか。

 そんな国民の不満が反映された議決とみるべきだろう。

 福島第一原発の事故をめぐり検察審査会が、東京電力の元幹部3人について、「起訴相当」とする議決書を公表した。

 いったん不起訴処分とした東京地検は、起訴するかどうか改めて判断することになった。

 刑事責任の追及がどうなるかはさておき、この議決には、事故について徹底究明しようとしない政府と国会、東電に対する社会のいらだちが映し出されているのは確かだろう。

 政府と国会には、事故に関する膨大な情報を集めて、教訓を引き出す権限と能力がある。国民が与えているのである。

 にもかかわらず、政府も国会も、原因究明を求める国民の思いにまったく応えていない。

 その不満は、世論調査からも読み取れる。朝日新聞社による7月の全国世論調査では、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の再稼働について「賛成」が23%、「反対」が59%だった。

 安倍首相の政策に事故の教訓が生かされていると思うかとの問いには、そう思う人が19%、否定が61%だった。

 政府と国会が事故直後、別々につくった事故調査委員会は、いずれも1年前後で活動を終えた。どちらも引き続き究明を求めたが、今に至るまで具体的な動きはないに等しい。

 これだけの事故を起こしながら、駆け足の調査で済ませていいわけがない。両事故調が集めた証言録や資料も死蔵されたままである。

 関係者の記憶が薄れぬ前に、早く本格的な調査を再開して教訓をきちんと示すべきだ。

 東電元幹部が問われている容疑は、業務上過失致死傷罪である。事故の避難途中に入院患者が死亡し、住民が被曝(ひばく)したなどとして、福島県内の被災者らが告訴・告発したものだ。

 刑事責任を問ううえでは、地震や津波の予見可能性などの立証が重みをもつ。だが、教訓を引き出すうえでは、そうした司法の視点だけでなく、幅広い視野からの検証も重要である。

 住民が安全に避難できるかどうかは、原発を再び動かすかどうかをめぐる最大の焦点のひとつだ。なのに、再稼働の前提となる基準には今も、避難態勢の整備は含まれていない。

 あのとき、住民に何が起きたのか、電力会社の対応はどうだったのか。あらゆる角度から、事故の徹底検証を進めることが不可欠である。