6000キロ漂流看板、岩手に帰る!震災津波被害から3年4か月
津波で漂流した看板が里帰り―。2011年3月11日の東日本大震災の津波で海に流され、約6000キロ離れた米ハワイ・オアフ島に漂着した、岩手県田野畑村の村営住宅の看板が30日、村に帰り、役場職員らが笑顔で出迎えた。田野畑村役場によると、看板は昨年10月に米国当局が回収したが、「やりとり」に時間を要し、返還まで実に約9か月かかったという。
約20人の役場職員が見守る中、村役場にトラックが到着した。梱包された木箱が降ろされ、中から幅約2・9メートル、縦約30センチの木製の看板が登場。“返還交渉”にあたった田野畑村建設第2課の細川聡技師(50)は「被災地に気を使っていただきありがたい。無事到着して、ほっとしました」と胸をなでおろす。
全壊した木造2階建てアパートの2階に取り付けられていた看板には「しまのこし村営住宅」という青い文字の板が横書きで貼り付けられていたが、津波でほとんどがはがれ落ち、残った「し」や「村」などを手掛かりに特定されたという。
昨年10月18日、米ハワイ・オアフ島の海岸に漂着した看板をハワイの当局が回収。細川さんに「東日本大震災による海上漂流物の特定依頼」と書かれた手紙と、1枚の写真が届いたのは11月12日だった。
看板発見から“里帰り”まで約9か月かかった。村役場からの要望は、まず岩手県庁を通し国交省や外務省、ホノルルの日本総領事館を通じようやく米国当局にたどり着く。逆も同じルート。返還方法などを巡る「やりとり」は10回以上に及んだ。最終的に米国当局の計らいで、ハワイアン航空が無償でホノルル国際空港から仙台空港に輸送。約6000キロ離れた島から、ついに看板が帰ってきた。
住宅があった島越地区は震災の津波で、駅舎などが流された。いまだに漁港などは更地状態で復興には遠く、今回は派手なセレモニーを控えた。
村は看板を役場で保管し、震災の教訓を伝えるために展示することも検討している。村では12年にも、津波で流されたバレーボールが漂流して、米アラスカ州沖で発見されていた。