篠田麻里子の事例に学ぶ芸能人プロデュースブランド問題
cakes 7月31日(木)16時46分配信
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篠田麻里子 |
AKB48の卒業に際し、「ファッションの仕事がしたい」と公言していた篠田麻里子。実際自身がプロデュースするブランド「ricori」を立ち上げたものの、この7月で全店舗が閉店したことが大きく報道されました。篠田麻里子の件にかぎらず、次から次へと誕生する出てくるプロデュースブランドは、なぜ生まれてしまうのでしょうか。
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●ブランドを立ち上げる? 大川隆法に霊言を下ろされる?
今や一流芸能人の証は、ドラマの主役を張る、何社ものCMオファーを受ける……だけでは物足りない。自分の名をかざしたブランドを立ち上げるか、幸福の科学・大川隆法氏に霊言を下ろされるか、いずれかを獲得して初めて一流だ。最近、現役芸能人の霊言まで下ろし始めた大川氏は、『人間力の鍛え方 俳優・岡田准一の守護霊インタビュー』『俳優・木村拓哉の守護霊トーク 俺が時代を創る理由』『魅せる技術 女優・菅野美穂 守護霊メッセージ』と著作を連発しており、かつては「フライデーに張り込みされる」だった一流芸能人の証は「大川隆法に下ろされる」に変わりつつある。こんなこと続けていたら訴状が相次いで届きそうなものだが、「『守護霊の霊言』とは、本人の潜在意識にアクセスしたものであり、その内容は、その人の潜在意識で考えている“本心”」(幸福の科学HP)とのことであるから、霊言は著作権法をすり抜けているのかもしれない。
●ファミマの向かいにデイリーヤマザキ、に近しい露骨なサバイバル
芸能人の名をかざしたブランドショップやコラボ商品の類いは、とりわけ女性芸能人を一歩先へと連れ出す事業としてスタンダードになっている。代官山では梨花のブランドショップ「Maison de Reefur」の向かいに、辺見えみりのブランドショップ「Plage」があるそうで、ファミマの向かいにデイリーヤマザキ、に近しい露骨なサバイバルが繰り広げられているという。そんな中、「ファッションの仕事をしたい」とAKB48を卒業した篠田麻里子は、自身がプロデュースするブランド「ricori」を立ち上げたものの、この7月で店舗全ての営業停止を余儀なくされてしまった。アパレル不況が叫ばれる昨今、この業界で成功を収めることは極めて難しく、一度の失敗をこれほど突つかれるのは酷だろう。プロデュースした彼女が「去年までアドバイザーとしてお手伝いしていた」と逃げるようなコメントを出したり、閉店決定後に開かれた会見で事務所スタッフが「閉店に関する声がけがあった場合には写真撮影を中止する」との措置を講じたりと、ヘタクソな責任逃れが彼女に刺さる矢を鋭くしているが、本当の内情は、大川隆法ばりに「本人の潜在意識にアクセス」しなければわからない。
●ほしのあきプロデュース「大人でもかわいく着られるオリジナルキティパーカー」
こういったブランドプロデュースはブランドを背負う当人とブランドを背負ってもらう側の「WIN-WIN」から始動しているはずで、それが「LOSE-LOSE」になった途端に一方の「LOSE」ばかりが突かれるというのは、有名税だとはいえ、なかなか雑な展開である。ふと思い出したのは、数年前までフジテレビの深夜に放送されていた番組「限定品コラボネーゼ」。鈴木紗理奈・秋本祐希・マリエが司会を務めたこの番組では、毎回女性芸能人がブランド商品をプロデュースし、完成品を視聴者が購入できるようにしていた。一例を挙げると「ほしのあき・大人でもかわいく着られるオリジナルキティパーカー」「熊田曜子・大きくてもシーンを選ばない欲張りバッグ」などなど……。
●「うーん、もうちょっとガーリーなピンクがいいですぅ」
番組内で見せた芸能人側とブランド側とのとっても緩い折衝は、「WIN-WIN」の危うさを教えてくれた。なにせ、「ガーリーなピンク」「ふんわり感」「ちょっとしたパーティでも使えるような」といった間接的な言語でブランド商品が次々とプロデュースされていくのだ。材質や色合いを知り尽くすブランド側は、芸能人の雰囲気語りにテキパキと応えていく。幼少期、「キミの描いたデザイン画がそのままミニ四駆になるぞ!」という夢のような企画に心躍らせた記憶があるが、あれと同じことをやっている。緩いやり取りをしっかり見せておきながら、完成品を掲げたタレントが「このレベルに持ってくるのに試行錯誤を繰り返しまして」と充実した語り口なのには毎度ずっこけさせられた。要するに芸能人プロデュースものというのは「調子に乗せちゃう側」の体制が徹底されていなければ、ここまで乱立しないわけである。
●運転手ではなく、助手席で指示を出す役
知名度を利用しようとする色んな人からの思惑が向けられる人気芸能人は、投じられる沢山のメリットとデメリットとタフに対峙し続けている。篠田が在籍したアイドルグループなど、あらゆる思惑が蓄積してくる最たる存在だろう。だからこそ、自身のブランドをプロデュースするという卒業後の選択は、もう他人の思惑から抜け出して自分で運転していきます、という宣言としてスムーズに受け入れられたわけだ。だがしかし、これまで後部座席に座って運転を任せてきた彼女が運転席に移った……ように見えて、(「限定品コラボネーゼ」が教えてくれたように)実は移ったのは助手席にすぎなかったわけだ。「次の交差点を左折」「3つ先のICで降りよう」というように、方向と行先の指示はできても、アクセルとブレーキを踏めるのはやっぱり運転席に座る別の人なのだ。
●突然のお別れで好都合に宝物化された後部座席の人たち
スピード違反で切符を切られたり、車検を受けずに整備不良で事故を起こした場合において、助手席の人はどこまで責められるべきなのか、というのが今回のマリコ様の事例から考えるべき議題。調子のいい時は「私が運転しています!」と張り切っていたくせに、という突っ込みはもちろんあるだろうけど、そもそも運転席には別の人が座っていたとしっかり気付いておきたい。最もかわいそうなのは、閉店決定後の彼女のブログに「最高のスタッフに恵まれたこと、ずっと私の財産であり、宝物です」と突然のお別れを書かれて好都合に宝物化された後部座席の人たちではあるけれど、「WIN-WIN」の終わらせ方として、目立つ側の「WIN」に「LOSE」を押し付けた、表に出ない「WIN」の存在ってとってもズルいと思うんである。
武田砂鉄
最終更新:7月31日(木)16時46分
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