7月30日にマツダ スタジアムで開催される対中日戦は、「ピースナイター2014」として行われます。
「ピースナイター」は今年で7年目を迎えます。
平和について考えるきっかけとなることを願っています。
『ピースナイター2014』
≪日時≫
平成26年7月30日(水)対中日ドラゴンズ戦 試合開始18:00(15:00開門予定)
≪内容≫
・「ピースポスター」を来場者全員に配布
5回裏終了時に「ピースポスター」を掲げ、球場全体をグリーンに染めます。
広島女学院高等学校、修道高等学校、広島学院高等学校、安田女子高等学校、崇徳高等学校、生協ひろしま組合員小中学校の有志の皆様がグラウンドいっぱいに大きな祈りの輪を作ってくださいます。
原爆ドームと同じ高さ25mに当たる席の方には、赤色のピースポスターを掲げていただき「ピースライン25」を表現します。
※昨年の様子
・ピースワッペンの貼付
当日は、カープの監督、コーチ、選手と審判員の皆様がユニフォームの袖にピースワッペンを付けてプレーします。
・中国新聞社での連載「生きて」で自身の経験を語られるなど、平和への思いを発信されている広島東洋カープOB「山本一義さん(※1)」による始球式
≪2014年度ピースナイター実行委員会≫
公益財団法人広島平和文化センター・生活協同組合ひろしま・株式会社中国新聞社・広島電鉄株式会社・株式会社中国放送・株式会社広島東洋カープ
※1【山本一義さん】
1961年、地元広島東洋カープに入団。
レギュラーを獲得すると巧打の4番打者として活躍。
タイトル獲得はなかったが、打率ベストテンには5回、3割2回をマーク。
地元出身、生え抜きのスター選手として大きな役割を果たし、チームの主将を務め、1975年の初優勝を見届けて現役引退。
引退後1976年~1979年の広島一軍打撃コーチ時代には、古葉竹織監督とともに高橋慶彦を球界屈指のスイッチヒッターに育成し、球界の先駆けとなった。
1938年7月生まれの山本さんは、終戦当時、天満町(現西区)の自宅から三入(現安佐北区)へ疎開をされており、当時小学校1年生でした。