第二次世界大戦終盤の1945年8月6日午前8時15分ごろ、広島上空に巨大なキノコ雲が発生した。原爆が世界で初めて実戦で投下され、43秒後に爆発したのだ。原爆を投下し基地に戻ろうとしていた米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」内では歓声がわき上がった。この時24歳で航法士として搭乗していたセオドア・バン・カーク氏は「神よ、爆弾をちゃんと爆発させてくださり感謝します」と祈った。
搭乗員12人のうち、最後の生存者だったバン・カーク氏が28日、93歳で死去した。同氏は原爆の惨状を目にしてから反核主義者に変わった。2005年に受けたAP通信のインタビューでは「戦争や原爆では何も解決できない」と語った。
しかし、自身が原爆投下に加担したことに対する謝罪や遺憾の意は最後まで同氏の口から出ることはなかった。生前、「原爆投下は明らかに戦争を早く終え、それ以上の人命被害を防ぐための『やむを得ない選択』だった」と言っていた。日本本土に戦線が広がる「最悪の事態」を防ぐには避けられない選択だったということだ。
日本はこれまで、自国が不道徳な手段の被害国であることを認めさせようと「エノラ・ゲイ」搭乗員たちに対し執拗(しつよう)に謝罪と遺憾の意の表明を求めてきたが果たせなかった。最後の生存者の死で「心理的な補償」を受ける可能性が完全になくなってしまったのだ。搭乗員たちは生前、「もし原爆を投下せずに日本本土を攻撃していたら、より多くの死傷者が発生しただろう」(後尾機銃手ジョージ・キャロン氏)などと、原爆投下で戦争が早く終わり、多くの命を救うことができたという考えを崩さなかった。
07年に92歳で死去した機長ポール・ティベッツ氏は「搭乗員で原爆投下に携わったことを後悔していた人はいない」と述べた。日本は機長の息子ジーン・ティベッツ氏から謝罪の言葉を引きだそうと努力しているが、ジーン氏も強硬な広島原爆不可避論者だ。