2014年07月30日

補足

 一個前に書いた「『許してあげて』について」で書いた“共通点”でもう一つありました。
 母が不幸になってほしいとか、死んでほしいとか、そういうことを望んでるわけじゃないということ。むしろ「幸せになってほしい」と思ってる。私とは別のことで幸せになってほしい。幸せを見つけてほしい。私の中で、私の人生で、私のフィールドでお母さんの幸せを見つけたり実感したりしようとすることをやめてほしい、ということ。

 だけど、こういうことをちょっと言ってしまうと、聞いてる人は
「お母さんのことが好きなんだね」
「お母さんと愛し合ってるからこその、悩みなんだね」
「いい親子関係だよ」
「私はお母さんが亡くなってるから、うらやましい」
「絆が強すぎるんだね」
「ちょっと誤解し合ってるだけなんだね」
とかそういう感じのことを言ってきて、妙にしんみりしたり、やれやれ、みたいな顔してほほえんだりして、「いい話」として納得してしまったりする。

 「え、そうじゃない、ぜんぜんちがう!」と思っても、なんか何も言葉が出てこなくなって、「・・・・・・」となってその話が終わってしまったりする。

 「母がしんどいの人」(特に『親と離れないと自分の人生がダメになると自覚したばかり』の段階の時や、『自覚はできてるけど環境的にどうしても諸事情で親と物理的に離れることができない』状況の時)は、親に対して生理的拒否反応が体などにすごく出る。「私は諸悪の根源ではない」という自尊心のようなものが、生まれて初めて暴れ出してる状態。
 だけど脳みその中にはまだ「私は親の言う通り、諸悪の根源かもしれない」という洗脳が残っている。
 「自尊心」に体ごと引っ張られてるんだけど、髪の毛先は親元にあり、ぎゅーーーっと髪だけがゴムみたいに伸びている状態。ちょっとでも気を緩めると、すぐにバチーンと「親の洗脳」に戻ってしまいそうで、恐ろしい。体はどんどん前に引っ張られているので、自分の心身が切り裂けそうな、とにかくギリギリの状態。
 
 だから、「私は悪くなかったんだ、親の言動がおかしかったんだ」と意識的に思う必要があるので、まずは「親がした行為」がどんなにおかしかったのか、確かめたくなるし人に話して同意してもらいたくなる。敢えて「毒親」と呼ぶ必要がある。
 そうしてないといられないから、人に話すんだけど、そこで「そんなにお母さんのことばかり話すってことは、お母さんのことが好きなんだよ」とか言われると、一瞬でゴムがバーンと親元に戻ってしまいそうになるっていうか、もうゴムごと自分の体がはじけ飛んで崩壊するような感じがする。マジで「バルス」並みの威力がある。だから慌てて思考停止して頭を真っ白にして一旦フリーズする必要があるんだと思う。

 そこで反論しようとしたら、もう半狂乱になってしまいそうで、恐い。号泣会見の野々村議員みたいになること(人に伝わらない伝え方、「ああ、こんな娘じゃお母さんも大変だね」と思われる危険がある話し方)を一番回避しなければならないので、黙り込むしかなくなる。
 だから、「お母さんに別に不幸になってもらいたいわけじゃない」ということ自体を人に言わないようになる(私はそうでした)。

 カルト宗教を脱会した人が、「騙されてた、つらかった」と話している時に、「そうは言ってもあなたは尊師のことが今でも好きなんですよ」とは、誰も言わないはず。だけど「母がしんどい問題」だと、バンバンッに言われる。これはもう、言う人が悪いってことじゃなくて、仕方ないから、もう同じ仲間で「あるあるネタ」として認識したほうが今のところはいいかな、と思っています。
 母親や家庭が自分にとって「カルト教団のようなものだ」というのは、説明がとても難しい。だけど本当にそうで、私は本名を名乗るのが苦痛になってしまった。親と同じ苗字は、私にとって「ホーリーネーム」のような「あの頃の自分」を象徴するものになってしまい、呼ばれるだけで呼吸を整えなきゃいけないような、響きを聞くだけで全身に悪寒が走るような、異常状態だった。仕事では名前を変えたりできるけど、友達は親と同じ苗字で呼んでくる。呼ばないでほしい、とはなかなか言えなくて、自分では発声しない、ということをしていて、ものすごく不便だった。
 
 「私にとってお母さんは、カルト教団や北朝鮮のよう」と話す人は多い。だけどお母さん本人にそれを伝えることをしてる人はあまりいない。私にそんなこと言われたお母さんがおかしくなっちゃったらどうしよう、っていうのがやっぱりある。
 成人した娘に拒絶されてることで悩んでるお母さんが、娘と良好な普通の関係になるには、自分が娘にとってカルト教団や北朝鮮のような存在になっているということを自覚する必要があると思う。娘の“ご機嫌”をとるために旅行に誘ったり、プレゼントするのは逆効果。娘からすると恐すぎる。
 だけどそんなことを自覚するなんて大変すぎるから、娘のことは一旦置いておいて、自分の楽しみを見つけるのがいいと思う。お母さんが幸せになってくれれば、娘は母を思いきり恨むことができ、昔のいやなことも存分に恨みきって、前に進むことができる。その「前」が、母との和解、とは限らない。娘がどんな「前」を選んでも、それは娘の自由だ。

 「母に期待してるからそんなことになる」とか「母に対して幻想を抱きすぎ」もよく言われるフレーズだけど、母に期待してガッカリするなんて小学生時代にやり尽くしてきてんだよ、幻想なんてお母さんが先にぶっ壊してくれてたよって感じ〜。そんなんじゃなくて、カルト教団脱会とかストーカー対策とかそっちに近い話なんだよね。
 それに、人間同士の関係で、自分にとっていやなことをしてほしくないと相手に期待する、求めるのは当たり前のことだと思うんだけど、「実母」だとそうじゃないって、おかしくないですか。

 ちなみに私は「脱洗脳」体験記が大好きで、洗脳が解けていくのを読むと、スーーっと爽快な気分になる。
面白かったのは、中島知子さんの霊能者騒動の霊能者と一緒に暮らしてた千主ひかるさんの手記「自称霊能者に支配された561日」と某宗教団体の幹部だった手持望さんが描いたコミックエッセイ「カルトの思い出」。
posted by tabusa at 14:34| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
田房さんお疲れ様です…としか言いようがないです。

「嫌い」はあんまりだから、やっとの思いで「しんどい」「重い」という言葉に落ち着いたのではないかと思っています。当然本人には言えません。距離を置こうと頑張っているところです。

長期間、出口なき悩みを味わいました。病気にもなりました。

当事者・外野問わず通じないことに関しては諦めがあります、うまくかわせればいいと。
「許さない!」ではなく「お願いですから手放してください(涙)」なんですけどね…
Posted by さこ at 2014年07月31日 01:01
田房さんの理知的な文章を読んで本当に救われています。
私が自分ではイーーとなって解きほぐせない、母との長い間の感情のもつれに光を当てて明晰に分析してもらっているようなサッパリ感で泣きそうです。
ここ3回にわたる更新は本当に胸がパッと晴れました。
ありがとうございました。これからも頑張ってください。
Posted by C at 2014年07月31日 03:43
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