いつか朝日が昇るまで

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「妥協」には積極的な意味合いがあるよね

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以下の結婚について記事を読みました。結婚は「妥協」することでできるという記事です。しかし,この「妥協」にはいくつかの「妥協」が入っているので,まず整理しないといけません。

妥協をしないと結婚は出来ないと思う

 

一般的に「結婚は妥協の産物だ」と言った場合,相手に対して妥協をするという意味に取られます。最後に出てくる同僚はそう考えて「ひどい」と言ったのでしょう。しかし,この記事を書いた方は妥協というのは「現実との妥協」という意味で使っているようです。「理想はばかり追っていてはだめだ。現実と折り合おう」という意味でしょう。つまり,「結婚生活は妥協しなければ継続できない」という意味です。

 

しかし,「妥協をしないと結婚は出来ないと思う」というタイトルにしてしまうと「妥協して結婚した」という意味になってしまい,先ほどの同僚と同じように言いたいことは伝わらないでしょう。だから本当は「結婚を継続するには妥協が必要だよね」にすべきでしょうね。

 

この記事を書いた方が「結婚を継続するには妥協が必要」と言いたいという前提で考えると,「妥協」という言葉があまりにも悪い意味でつかわれていることに気づきます。例えば冒頭部分。

 

■妥協をしないと結婚は出来ないと思う
と僕は妻に言った。

妻はショックを受けた顔で、「あなたがそんなことを思っているなんて。私に対しても、子供に対してもそう思っていたの?」と聞いた。
僕はもう一度「でも、妥協しないと結婚できないよね」と言ったら、妻は「まあそうね。常に更なる高みを目指すのならば結婚なんてしないもんね。」と言った。
僕と妻はそういう話をする間柄だ。

 

「結婚で妥協」=「さらなる高みを目指せない」としています。しかし,妥協というのは本来以下の意味であり,そこに停滞するという意味は含まれておらず,むしろ物事を前に進めるという積極的な意味が含まれています。

 

 妥協(だきょう、英語 compromise)とは、何かの物事を進めるにあたって、関係する双方の意見が食い違い、そのままではそれ以上の進展が望めそうもないときに、いずれか一方が自身の意見を取り下げたり、あるいは双方が互いに相手の意見を一部容認して、歩み寄りして、問題の打開を図ること。本当は不本意なことではあるが、窮地を打開するために、自分の主義主張を取り下げ、相手に一歩譲ること。

 妥協 - Wikipedia

 

だから結婚で妥協,すなわち現実と妥協することがなぜ高みを目指すことができなくなるのか,また理想が手に入らなくなるのか疑問です。むしろ理想に向かって現実を前に進める積極的なやり方として「妥協」という言葉が使われるべきだし,そうやって結婚生活を継続しているのです。

 

それで改めて結婚生活は妥協が必要であると言われれば,それはその通りでしょう。子どももできれば自分の意見だけで行動できなくなるし,自分のことばかりも考えていられません。しかし妥協することで前に進めるというのは,現実を前に進めるという積極的な意味合いであり,そうすることで自分が得られるものがあるから妥協するのです。そうでなければそもそも結婚を継続する意味などありません。この記事を書いた方も以下のように書いています。結婚生活そのもの不満はないのです。

 

僕は妻を愛している。と文章にしたら恥ずかしいんだけれども、多分、愛していると人に言いきれるぐらいには愛している。
同じぐらい、子供を愛している。こっちは恥ずかしくはないけれども、多分子供を愛しているのは当然と言う世間の目があるから、すんなり書けるんだと思う。

 

結婚生活が妥協の産物?それで大いに結構です。しかし「結婚なんて妥協だよね」とマイナスのイメージを持たせることにどんな意味があるのでしょうか。妥協には積極的な意味があるはずで,それで得たものも多いはずです。

 

あなたは結婚生活で失ったものしかないですか?得たものはないですか?得るものがあるから妥協することで結婚生活を継続しているのではないですか?妥協に悪いイメージをつけるな。そんなことを仕事帰りに考えながらこの記事を書きました。皆さんはどうでしょうか?