2014年7月30日(水) の予定

私の「平等」は、君達の「差別」

何故、「差別」がいけないのか?

実は「差別は良くない」と言うのは、間違いであり、正確には「正当な理由もなく、特定の対象(者)に対して、不公平、不平等な扱いをする(不利益を与える)事が良くない」のである。

世の中に、1000人の人間がいれば、1000人とも違う人間である。なので、色々な基準や視点で、差異があるのは当然だ。

受験だって、学力の差異を測る手段であるが、これをある見方をすれば「差別」とも言えるし、努力(勉強)した分だけ結果になるのだから、「平等」とする見方も出来る。

共産主義の発想では、人よりも長時間、危険できつい、汚い仕事をやった人間も、安全で楽ちんな仕事をやった人間も、同じ賃金にするのが「平等」(=経済格差・貧富の差を生まない)と説く。
反対に資本主義(自由主義)では、人よりも危険できつい、汚い仕事をやったら、それに見合う高額の報償を貰うのが「平等」と説く。
勿論、結果として能力の低い人間と、高い人間との間に「格差」は生じる事になる。長期的には貧富の格差の発生は許容範囲に入れざるを得ない。
(ちなみに、それを補う為に「福祉」を導入し、高額所得者はより高額の納税を課せ、貧困層に対して様々な補助を与えるなどしている)

ただ、宜しくないのは、おじいちゃんがもの凄く優秀で、事業を成功させて億万長者になったが、その遺産や企業を相続しただけの無能な息子や孫が、単に「裕福層」に生まれただけの理由で、富を独占し、逆に「貧困層」に生まれただけで学校にも通えずに、文字も読めない、書けないで、低賃金で重労働に従事し、病気をしても、薬を買う事も出来ずにいると言ったような、このような格差を生む事だ。


幸い、日本に「本人の努力で脱する事の出来ない貧困」は存在しない。

貧しい家庭の子供とか、友達は実際にいたが、貧困ゆえに本人がいくら努力しても、人並みの生活すら出来ないようなモノではない。


確かに、裕福な家庭の友達は、免許を取ったら親に新車のスポーツカーを買って貰っていたし、その反対に貧しい家庭の友達は、高校に進学する事も出来ずに働いていた奴もいる。

これが「差別」と言えるのか、どうかは、その人の思想によって変わるであろう。


今日、読売新聞を見ると、「平均の半分以下の収入しかない層を貧困層と言って、日本では6人に1人が貧困層」「クリスマスにおにぎり1つの子供と、スマートフォンを持ってゲームに興じる子供がいて、別の世界の子供」と言う記事が載っていた。

確かに、子供の視点に立ったら、同じ学校に通う、同じ歳の友達なのに、「なんで、こんな差別があるの?」と見えてしまうだろう。


私は共産主義者でも、共産党員でもないが、子供の目から見て「この国には差別がある」と見えてしまうような状況については、残念に思うし、様々な政策を施して改善して欲しいとも思うが、でも、資本主義においては、貧しい人間を見て「キチンと勉強しないとあんな風になるぞ」「一生懸命、働かないと、あんな風になるぞ」と言う考え方が正しいとされるのも事実。
厳しい言い方をすれば、「貧困は怠けた結果」でしかない。(勿論、努力しても、貧困になった人も沢山いるが)


ある見方をすると、北朝鮮は日本と比べると、格段に「平等」である。
国民の99%は、全て貧困層で統一されて、「格差」は殆どないからだwww

逆に、日本に「格差」はあるものの、本当の「貧困層」(先ほど述べた、貧困ゆえに努力しても貧困から抜け出せないような)は無くなったので、これを指して「日本は世界で唯一、社会主義を成功させた国」と評される事もある。


少々、長くなったが、とある事象や状態、状況が「差別」なのか、どうかは、その国家の体制によっても違うし、文化や伝統によっても違う、又、個人の思想信条や、思想信条とか大げさなモノでなくても、考え方によっても違うものだ。



在日は「日本で差別される」と言う・・・

在特会の小宮山氏がしばしば演説するが、「祖国に帰って、本当の差別を受けて下さい」と・・・


本当に、日本で暮らしていて、差別を受けていると言うのが本当なら、在日は「子供が差別を受けるのを承知の上で、日本で居住を続ける」事を選択している事になる。

私が親なら、自分が差別を受けても耐えるかもしれないが、子供が差別を受けるなら、子供の為に祖国に帰って来るだろう。

在日は、「日本で差別を受ける」と言うのなら、自分の親に「同胞愛に満ち溢れた祖国が待っているのに、何故、差別を受ける日本から帰らないの? 私が差別されても平気なの?」と文句を言うベキであろう。

在日が、「日本で差別を受けている」と言いながら、祖国に帰還しない理由は何故か?


祖国には、「本当の差別」が待っているからである。


「差別を止めろ」「差別を許さない」と声高に叫ぶ人達は、「本当の差別」に対して何故、抗議の声を挙げないのか?


「仲良くしようぜ」は立派な事だと思う。でも、それは日本に対して「仲良くしよう」と言うより、祖国(北朝鮮と韓国)に対して「仲良くしようぜ」と言うのが先である。
朝鮮人同士が、仲良く出来ないのに、他民族である日本人と仲良く出来る道理もない。
38度線に行って「仲パレ」をする「覚悟」もなく、祖国の統一すらする「覚悟」も持たない連中が、日本に「仲良くしようぜ」と言う資格も無い。
台湾と「仲悪くしようぜ」と国交を断絶したのは、韓国であるが、韓国に対して「台湾と仲良くしようぜ」と何故、言わないのか?

口で言うだけなら、誰でも立派な事を言える。言うのなら、実行しないと、俺は信じない。


「差別」と戦う事は、口で言う程、簡単なものではない。


世界では、「本物の差別」と命懸けで戦った人達が沢山いる。そして、その為に殺された人達も沢山いる。

ガンジーも、「本物の差別」と命懸けで戦った偉人である。

君達が「俺は差別を戦っている」と言う言葉は、ガンジーや、多くの差別と戦って来た先人達に対する冒涜である。


本当に差別と戦うのなら、「本物の差別」と戦え!


北朝鮮の同胞が、この瞬間も「本物の差別」によって、飢えで命を失い、拷問で命を失い、処刑されて命を失っている。

韓国では、在日を「パンチョッパリ」と呼んで「同胞じゃない」と本物の差別をしている。


日本の安全な場所で、「差別やめろ」だけ叫んでいて、差別がなくなるなら、人類からとっくの昔に差別は根絶されているよ。


冒頭で述べたが、在日が日本で差別を受けるのは、「それなりに理由」があるからだ。
日本に「理由もない差別」など、(今は)殆どない。

竹島や拉致の問題で、今日、交戦状態に入っても良い関係にあるのが、日韓、日朝である。

一旦、日韓戦争、日朝戦争になれば、君達は敵国の外国人だし、少なからずの「工作員」となる外国人である。

君達が、祖国に「竹島を日本に返せ」「拉致被害者を日本に返せ」と声を挙げていたのなら、まだ、酌むべき事情があると言えるが、朝鮮人は、北も南も在日も、どれもこれも、「反日」の勢力でしかない。


「正当な理由があって、それなりに差異のある扱い」を受けているのを「差別やめろ」では、君達の言う「差別」はなくならない。

煙に水をかけても、煙は消えない。
煙を消すには、燃えている火に水をかけないと意味がない。

燃えている「火」こそ、在日の「反日」であるし、具体的には「日本に居て、日本に感謝もせず、差別だ差別だと文句を言って、様々な特権にあぐらをかき、日本人を逆差別している」事である。

もう遅いけど、「強制連行なんて嘘をついて御免なさい」の一言も言えない連中だ、差別されない方が不公平だろうw

「強制連行された」と嘘を言って来た朝鮮人と、「自由意志で日本で暮らす事を選択した」と言う台湾人と、「平等」に扱う方が不公正だw
これを「平等」に扱ったら、「正直者は馬鹿を見る」事になる。


朝鮮人には、朝鮮人に相応しい対応をする。これが私の「平等」である。


【投稿者】
川西大了

【注意】
活動の告知ではありません。
ミクシーにて全体公開で書いた日記の転載です。

登録番号
No.748
日時
7月30日(水)
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