奈良県)天理市が柳本飛行場・朝鮮人強制連行の説明版撤去 設置から20年、何が変わったのか
天理市の戦時中の軍事施設、柳本飛行場跡に、市と市教育委員会が1995年設置した説明板がこの4月、市によって撤去された。説明板には、飛行場建設で朝鮮人労働者の強制連行が行われ、朝鮮人女性の慰安所が置かれていたとの記載があった。市は撤去の理由について、「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される」とする。設置から約20年で何が変わったのか。
在日批判の団体の街頭活動で知る
市が撤去を決めたきっかけは、2月ごろから市の意見箱などに寄せられた、説明板に対する批判のメールや電話。強制連行はなかったとして、撤去などを求めるものだった。一方、説明板の基となる事実関係の調査に関わるなどした人たちが撤去を知ったのは、「在日特権を許さない」などと主張する団体が5月に奈良市で実施した街頭活動で明らかにしたときだった。
柳本飛行場の正式名は大和海軍航空隊大和基地。建設は1944年9月に始まり、終戦の45年8月まで続き、1200メートルの滑走路などができた。工事は勤労奉仕によって進められ、労働者の宿所もあった。
説明版はステンレス製、縦80センチ、横1メートルで、同市遠田町の公園内に設置されていた。市史から抜粋した飛行場の説明に加えて、「多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって、柳本の地へつれてこられ、きびしい労働状況の中で働かされました」「『慰安所』が設置され、そこへ朝鮮人女性が、強制連行された事実もあります」などの記載があった。当時の朝鮮人労働者らから聞き取りした証言の一部も引用されていた。
撤去に抗議している「天理・柳本飛行場跡の説明板の撤去について考える会」の事務局の川瀬俊治さん(66)によると、教員を中心とした「奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会」は、飛行場建設に従事した当時の朝鮮人労働者らからの聞き取り調査などを基に91年、冊子「朝鮮人強制連行と天理 柳本飛行場」を発行した。これを踏まえて、市の教員らでつくる市同和教育研究会(現在は市人権教育研究会)が市、市教委と交渉、説明板設置に至ったという。
市に寄せられた説明板に対する意見はどのようなものだったのか。
市によると、撤去を決めたのは4月18日で、同日中に撤去したという。「撤去について考える会」が市に抗議して新聞などで報道があった6月27日、記者は市の情報公開制度に基づき開示請求した。市はメールについて、送信者の名前など個人を特定する情報を除いて開示した。撤去決定前に寄せられたのは2月2日〜4月16日の4件だった。電話によるものは記録がないとした。
批判メール、「戦時徴用」と主張
これらのメールは、強制連行については戦時徴用だったとし、当時、朝鮮は日本に併合されており、戦時徴用は日本人にも同様に行われていたと強制性を否定。慰安婦については、根拠は本人たちの証言のみで一次資料は見つかっていないなどとした。説明板について、日本国民をおとしめるものなどと主張、撤去や修正を求めた。ただ、いずれも柳本飛行場の強制連行に関する事実関係への具体的な反論はなかった。
6月27日までに12件のメールが寄せられたが、撤去後は撤去に反対するメールも2件あった。市によると県内より県外からのメールが多かったという。
市は4月22日、検討会を開き、説明板への問い合わせに対する回答文をまとめた。それによると、どのような資料を根拠に設置されたのか、どのような経緯で現在の場所に設置されるに至ったのか、調査したがはっきりしない▽さまざまな歴史観がある中で、「強制性」については全国的に議論されており、国もあらためて検証する方向を示している▽国の動向も見ながら専門家による検証を見守る▽設置しておくと、市、市教委の公式見解としてとらえられるので、いったん取り外し保管している―などとした。
このとき、政府は、従軍慰安婦問題について反省を表明した93年の河野談話の作成過程に関して、検証作業を進めている最中だった。設置から時間が経過し、市役所内では説明板が存在していることへの認識はあまりなかったといい、あらためて扱いについて協議したという。
市は撤去に当たって、「発掘する会」などに相談や連絡はしなかった。会が存在しているかどうか把握していなかったためという。「撤去について考える会」の事務局によると、「在日特権を許さない市民の会」が5月10日に近鉄奈良駅前の行基広場で実施した街頭活動で、説明板の撤去が明らかにされ、それによって知ったという。
「在日特権を許さない市民の会」がインターネット上で公開している当日の映像によると、演説者の一人が柳本飛行場の説明板の存在に触れ、「抗議することによって4月18日に撤去された。教育委員会も強制連行、従軍慰安婦があったと言えなくなっている」などと報告していた。同会はこの日、日の丸や旭日旗を掲げて、在日韓国・朝鮮人を批判する主張を繰り返した。
市の人権教育指導指針にも記述
市は、説明板について根拠、経緯がはっきりしないとしているが、市と市教委が人権教育に関し、93年に策定した「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)幼児・児童・生徒に関する指導指針」の中でも、「本市に在住する韓国・朝鮮人のほとんどは、戦前・戦中のわが国の国家政策による歴史的・社会的経緯の中で在日を余儀なくされてきたのである。とりわけ、柳本飛行場建設にかかわって多数の朝鮮人が強制連行により労働と多大の犠牲を強いられた経緯をもっている」と明確に述べていた。
市によると、86年に県教委が示した「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)児童生徒に関する指導指針」を受けて各市町村版が策定されたという。指導指針は今も生きているというが、現在、学校現場では外国人に特化せず、幅広い人権教育が行われているとし、こちらは見直したり、改訂したりする考えはないとする。
政府は6月20日、検証結果を受けて、河野談話を継承すると表明したが、市の説明板撤去の考えは変わらない。山中由一・市長公室長は「検証によって逆に疑義が深まったところもある。両方の意見があり、何が真実か分からない。市独自で検証はできない。専門家による検証を待つ」と説明する。
一方、「撤去について考える会」事務局の川瀬さんは「市長が替わると扱いも変わるのか。説明板に対し文句を言った人の話が撤去の根拠になっている」と批判する。
設置当時の市長は市原文雄氏(在任92〜2001年)。現在の並河健市長は13年10月に就任した。
戦前・戦中の日本と韓国の関係では、日本は1910年、韓国を併合し、植民地化。土地調査事業を実施し、広大な農地、山林を接収、一部を日本の国策会社や日本人に払い下げた。皇民化政策を進め、日本の神社への参拝や日の丸掲揚、宮城遥拝、創氏改名などを強いた。朝鮮に対し、1943年に徴兵制を施行、1944年に国民徴用令を適用した。
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