洗脳 地獄の12年間からの生還 Tosh1 |
『洗脳 地獄の12年からの脱出』
カルト集団に絡め取られたロックスターによる赤裸々な告白本だ。同時にカルト問題を世に啓発する本でもある。
狡猾な手口でカルト集団に全財産を奪われ、自己破産にまで追い込まれたTosh1、稀代のボーカリストが遭遇した凶悪カルトの実態が赤裸々に記されている。
Tosh1本人が著書の中で『カルト詐欺集団』と呼ぶホームオブハート(HOH)に、身も心も搾取され続けた12年間は想像を絶する過酷なものだった。
洗脳騒動の際、Tosh1本人の周辺では何が起こっていたのか?著名人が絡んだカルト問題としてだけではなく、他人を操る卑劣なカルト集団の手口が判る本だ。
著書の中でTosh1は、HOHのMASAYAこと倉渕透や妻(当時)の守谷香から受け続けた罵倒や暴力に関し、時系列に沿って詳細に記している。
HOHの広告塔時代のTosh1と取材中の本紙・藤倉善郎主筆(2007年) |
著書には、セミナーの中で記憶を歪められ家族への憎悪を植え付けられたTosh1が、MASAYAに支配されていく過程が克明に記されている。
X JAPANからの脱退、解散、HIDEの死、世間を賑わせた騒動の背後でTosh1はMASAYAと守谷の恐怖支配の下で喘ぎ苦しんでいたのだ。消費者金融からの多額の借り入れ、全国津々浦々を巡るドサ廻り、組織のロボットとして酷使され続ける日々、人間関係をズタズタにされたTosh1は奴隷として金を稼ぎ続けた。
Tosh1の稼いた金で贅沢な暮らしをするMASAYAと守谷香。巷で言われているような「Tosh1はMASAYAに妻を“寝取られた”」ということではなく、最初からTosh1を狙ってMASAYAが守谷を派遣したのではないかとの疑いも著書内には示されている。
1998年、Tosh1の洗脳騒動がマスコミを賑わした。2004年には、HOH内で日常化していた児童虐待が告発され社会問題となった。HOH被害者からの民事訴訟やHOH側からの名誉毀損裁判、Tosh1は当事者として否応なく訴訟合戦に巻き込まれていった。
2006年には、X JAPAN再結成に絡んだ利権にもMASAYAが首を突っ込んできたという。
脱会会見(2010年1月) |
2009年、長年に渡る過酷な奴隷生活により体調を壊したTosh1は、MASAYAと守谷の支配環境からの逃亡を決意し実行する。一旦は連れ戻され監禁されたものの協力者の助けもあり脱出に成功、代理人を立てHOHとの縁を切った。
2010年1月18日、Tosh1は「MASAYAとの決別」「守谷との離婚」「自己破産」について記者会見を開いた。
被害者団体との共同記者会見(2010年4月) |
今もTosh1を広告塔にした勧誘を続けているというHOH
「勧誘の手を広げてゆく彼らの常套手段を絶対にやめさせなければならない」
Tosh1は著書を出版した理由を綴る。
帯にはこうも記されている
「二度と僕のような犠牲者をださせないために、今、マインドコントロールされ苦しんでいる人とその家族のために、僕はすべての真実を、今、語る」
Tosh1は本の末尾に記した
「人はどんな時でもやりなおせる」僕はそう信じている
関係者によると、この本の企画に際しては、出版社からTosh1に持ちかけたわけではなく、Tosh1の方から出版したいとして版元を訪ねたそうだ。
カルト問題に絡んだ人権侵害を追及し続ける弁護士として知られ、同書のあとがきを記したリンク総合法律事務所の紀藤正樹弁護士は筆者に語った。
「著名人としてこれだけのことを書いた人はいない。普通は書けない。敢えて実名で書くことで名誉棄損の裁判を起こされることも危惧されるのに、よく書いてくれた。この本を作ってくれただけでも尊敬に値する」
HOHの脱会者で、MASAYA・MARTHこと倉渕透グループの問題を考える会(旧、ホームオブハートとToshi問題を考える会)の山本ゆかり代表はTosh1の著書を読んだ感想を以下の様に話した。
「同じ脱会者としてTosh1が体験してきたことを改めて読むのは胸が苦しくなる様な気持ちだった。当時を思い出すこともあり、いろんなこの10年も思い出した。これを書くのはとてもしんどくて苦しくて辛い作業であったことは私たちには想像がつきます」
カルト被害の救済に取り組む山本代表はこう付け加えた。
「最後に『やり直せる』と書いてある。いい言葉で締め括ってくれた。12年カルトに居ても辞められる。他のカルトの脱会者にも励みになる」
Tosh1の本で記述された場面の幾つかには筆者も臨場していた。
・2001年、Tosh1がボランティアと称しCDを売り歩いていた老人福祉施設で
・2008年、東京高裁の法廷でMASAYAの狼狽ぶりが失笑を誘った証人尋問でTosh1が妻(当時)の守谷香と手を繋ぐようMASAYAに言われて法廷に入ってきた場面
・2010年、本紙が正面中央に陣取った被害者団体との共同記者会見。控室で本紙藤倉主筆とTosh1が歴史的和解。その際筆者が2001年に都内老人福祉施設で遭遇した話をすると笑っていたTosh1。当時は彼がこれ程の過酷な環境を生き抜いたサバイバーであったとは理解できていなかった。本書を記したTosh1の信念に敬意を表したい。
(文中敬称略)
1 コメント:
おめーの臨場とかどうでも良すぎるんだが
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