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ライフ
【自作再訪】草間彌生さん「水玉」 描くことで救われた人生
2014.7.28 11:30
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幻覚…見たものをスケッチブックに描いて、恐怖や驚きを鎮めた
水玉の作品で世界的に知られる前衛美術家、草間彌生さん(85)。1959年、美術の本場のニューヨークのギャラリーで開いた個展で水玉絵画を発表した。展覧会は美術評論家やメディアから高く評価され、まったくの無名だった草間さんは米国で一躍有名になった。この成功を契機に水玉のアーティストとして世界で活躍することになった。(渋沢和彦)
幼いころから水玉を描いていました。10歳ころにスケッチした母の絵が残っていますが、無数の水玉が顔や着物にあります。幻覚で水玉が見えたのです。田んぼのあぜ道を歩いていても景色の中に水玉が見えてきました。スミレの花が人間に見え、話しかけてきたこともありました。見たものをスケッチブックに描いて、恐怖や驚きを鎮めたのです。それが私の絵の原点です。
《個展など地元で発表を続けていた草間さんは、57年11月、28歳のとき、芸術家になることを目指して単身でアメリカに渡った》
画家になることに反対した母は、金持ちのところにお嫁に行け、と盛んに勧める。師弟関係がうるさく、しがらみだらけの画壇にも息が詰まり、アメリカなら仕事を続けられるかと思いました。戦後まもない頃、地元の松本市内の古書店でジョージア・オキーフの絵が掲載されていた画集を見つけたこともアメリカ行きにつながったのです。「この人が助けてくれるかも」と思い、東京のアメリカ大使館に行き、住所を調べ、自分の水彩画などを入れて手紙を書いたのです。そうしたら激励する返事がきました。それが渡米を決意させることにもなりました。
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