在留資格「永住者」を有する外国人が、生活保護法に基づく生活保護の申請をしたところ、大分市福祉事務所長から申請を却下する旨の処分を受けたとして、却下処分の取消し等を求めた事件について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、2014年7月18日、これを認めた福岡高等裁判所の判決(福岡高判平成23年11月15日判タ1377号104頁)を破棄し、外国人は生活保護法に基づく生活保護の受給権を有しないとの判断を示した。
最高裁判決は、背景も含めて検討すると、生活保護法、行政事件訴訟法の解釈にとどまらず、日本における外国人の権利を考えるうえで重要な示唆を与えるものであるが、判決に至る経緯に関する正確な知識と一定の法的なリテラシーがないとやや理解に難しい面がある。筆者は、本稿を書くにあたり、インターネット上の判決に対する反応を少しながめてみたが、生活保護受給者、外国人に対する根強い偏見も手伝ってのことか、不正確なとらえ方をする向きも少なくないようである。そこで、以下、この判決の背景、ロジック、判決によって明らかになった課題について、できるだけわかりやすく解説を試みよう。
争点の所在
「処分の取消しの訴え」(行政事件訴訟法3条2項)にいう「処分その他の公権力の行使」について、判例は、公権力の主体である国または公共団体が行う行為のすべてを指すものではなく、「その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」をいうとしている(最判昭和39年10月29日民集18巻8号1809頁)。
したがって、行政庁に対して諾否の応答を求めて「申請」をした場合であっても、それが法律上の権利ではない場合は、「申請」は任意の行政措置を求める趣旨に過ぎず、これに対する行政庁の応答も処分としての性格を持たない。そこで本件では、外国人に対する生活保護制度の適用について、法律上の根拠の有無が問題となった。
踏まえておくべき前提知識
それでは、戦後の生活保護制度は、外国人に対して、法律上どのような態度をとってきたのであろうか。簡単にその歴史を振り返ってみることとする。
1946年に成立した旧生活保護法は、「生活の保護を要する状態にある者」の生活を、国が差別的な取り扱いをなすことなく平等に保護すると規定し(同法1条)、その適用対象を日本国民に限定していなかった。しかし、生存権(憲法25条)を保障した日本国憲法の成立を経て、1950年に施行された現行生活保護法は、憲法25条の理念に基き、国が生活に困窮する「すべての国民」に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障し、自立を助長することを目的とする旨定め(同法1条。さらに2条も参照)、生活保護受給者の範囲を日本国籍者に限定した。
ところが、新法施行直後に、「放置することが社会的人道的にみても妥当でなく他の救済の途が全くない場合に限り」外国人を保護の対象として差し支えない旨の通知がされる(昭和25年6月18日社乙92号)。さらに1954年5月8日、厚生省から各都道府県知事に宛てて、外国人は生活保護法の適用対象ではないとしつつも、生活に困窮する外国人に対しては日本国民に準じて必要と認める保護を行い、その手続については不服申立の制度を除きおおむね日本国民と同様の手続によるものとする通知が発せられた(「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」昭和29年社発第382号厚生省社会局長通知。以下「昭和29年通知」という)。
昭和29年通知は、「当分の間」とあるとおり、サンフランシスコ講和条約を機に法務省民事局長が出した通達(「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(昭和27年4月19日民事甲第438号法務府民事局長通達)による旧植民地出身者の国籍剥奪を背景に、在日コリアンを中心とする多くの在留外国人が差別と貧困に苦しんでいたことに対する応急措置であった。しかし以後、予定されていたはずの抜本的な改正はされないまま、現在までこの通知に基づいて外国人に対する生活保護の措置が行われている。
1976年、世界人権宣言を発展させた「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「社会権規約」という)」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という)」」が発効すると、日本でも民間レベルでこれらの規約の批准を求める声があがった。
日本政府はこうした声におされるようにして、1979年にいずれの条約も批准した。社会権規約2条2項には、規約に規定する権利について「国民的若しくは社会的出身」によるいかなる差別もなしに行使されることを保障する旨の条項があり、公共住宅関係法の運用に存在していた国籍制限を撤廃させるなど国内法制に少なからぬインパクトを与えた。また、批准に際して、保護の対象を日本国民に限定していた生活保護法も、同規約9条が「社会保険その他の社会保障」について、11条が「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準」「生活条件の不断の改善」について、いずれも「すべての者」の権利を認めていることとの関係が問われた。
当時の国会審議で、政府委員は、規約9条に関して、社会保障について外国人を差別してはならないという趣旨の回答をしたうえで、生活保護法と9条、さらに11条との関係については、昭和29年通知を根拠に、支給される保護の内容、保護の方法は、すべての点で国民の場合と同じ仕組みで保障されている(したがって社会権規約には必ずしも反しない)と答弁した。
さらに、支給内容が同一であっても、権利として構成されておらず、不服申立の制度を欠く点が、社会権規約の精神に反しないかという質問に対しては、「人権規約の……精神面に着目いたしますると、そういう法の方向に沿った御検討を願いたい」(外務省委員)「外国人に対しましても……実態的な面につきましては、いささかもその待遇につきまして変わるところがないかと思うわけでございますが、確かに形式的にはいま御指摘の問題があろうかと思います。今後とも、十分に検討をしてまいりたいと思います。」(厚生省委員)と答えている(第87回国会参議院外務委員会会議録13号・1979年5月28日)。
1975年4月、ベトナム戦争の終結にともなって大量のベトナム人が国外へと避難した。当初日本は、避難民に対して一時的な在留しか認めなかったが、こうした排他的な態度は内外から強い批判を浴び、1978年には、日本定住を認めるように方針を転換する。こうした流れの中で、日本は1981年に「難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という)」に加入するのだが、「締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、公的扶助及び公的援助に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える」と定める同条約23条と、社会保障関連法中の受給資格を日本国民に限定する、いわゆる国籍条項の関係が問題となった。
結果として、国民年金法や児童手当3法に規定されていた国籍条項は削除されたのに対して、生活保護法の改正は見送られたのだが、国会審議において、政府委員は以下のように答弁している(第94回国会法務委員会、外務委員会、社会労働委員会連合審査会会議録1号・1981年5月27日)。
「生活保護につきましては、昭和25年の制度発足以来、実質的に内外人同じ取り扱いで生活保護を実施いたしてきているわけでございます。去る国際人権規約、今回の難民条約、これにつきましても行政措置、予算上内国民と同様の待遇をいたしてきておるということで、条約批准に全く支障がないというふうに考えておる次第でございます」
「すでにもう昭和20年代に、外国人に対する生活保護の適用ということで明確に通知をいたしております。かつまた、予算も保護費ということで、国内の一般国民と同じ予算で保護費の中で処置をいたしておるわけで、特にそれを改める必要はないわけでございますが、こういった難民条約の批准等に絡めまして、一層その趣旨の徹底を図るという意味での通知、指導等はいたしたいと考えておるところでございます」
1989年、バブル経済に伴う人手不足を吸引力とするアジア諸国からの出稼ぎ労働者の増大等、日本社会における外国人のプレゼンスの増大を背景に「出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)が改正され(施行は翌90年)、現行法へ引き継がれる在留資格制度の基礎が作られた。さらに1991年には「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が施行され、在日コリアンを中心とする旧植民地出身者とその子孫について、新たに制定された「特別永住者」としての地位が保障された。
このような状況のなかで、1991年10月25日、厚生省社会局保護課企画法令係長の口頭指示により、生活保護の対象になる外国人が、入管法別表第2に掲げられた者(「永住者」、「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」)に限定された(以下「平成2年口答指示」という)。この指示は、高度な専門知識を有する者としておおむね一定以上の収入をともなう仕事に就くことが在留の条件とされている別表1に該当する外国人について、自立助長を旨とする生活保護の対象に含めないこと、さらに非正規(不法)滞在者を生活保護の対象から除外すること(昭和29年通知は外国人の範囲に特に限定をくわえておらず、通知後に作成された問答事例によると、外国人登録をしていない外国人が退去強制手続に付された場合であっても仮放免許可証による住所の認定に基づき保護を実施することとされていた。昭和57年1月4日社保第1号による改正参照)を意図していた。
厚生労働省による2012年度被保護者調査によると、日本の国籍を有しない被保護世帯数は1ヶ月平均で45,855世帯、被保護実人員のそれは74,736人(ただし相当数の日本国籍者が含まれている)とされている。
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