昨日は私の拙い記事に沢山のブコメありがとうございます。 どの意見も大変参考になりました(感謝の意味を込めてレッドスター)。
でも、はてなーの常識は世間の常識では無いようで、こんな記事も。
両事件を受けて、県教委と佐世保市教委は、毎年それぞれ「長崎っ子の心を見つめる教育週間」「いのちを見つめる強調月間」として、命の大切さや規範意識に関する授業を集中的に行う期間を設け、学校ごとに講話や授業参観、地域交流などを実施してきた。
それだけに、同県の教育関係者は大きなショックを受けている。
この教育委員会の発送は根本から間違っていると思うんですね。「心の教育」っていわゆる命の尊厳的な規範に関する洗脳教育だと思うのですが、心の教育で洗脳活動を行うよりは、経済学や政治学やゲーム理論を教えた方が遥かに協調モデルの発想を子供達に根付かせることができるように思います。
例えば経済学ではハイエクを学ぶことによって、自由な社会にも「自生的秩序」が存在することを学ぶことが出来ます。
そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序 (a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配 (rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。(Wikipedia フリードリヒ・ハイエク)
お金の価値が人々の共同幻想の中で成り立っているのもご指摘のとおり。でも、その貨幣価値をめぐる共同幻想を追認することによって、初めて社会は経済の恩恵に与ることができるのだし、共同幻想を破壊して紙幣をただの紙切れとしてしか見なくなったら、人間社会は崩壊してしまう。ホップズ的な社会契約に関しても同様ですね。この万人の万人に対する闘争状態を肯定するのであれば、文明の恩恵が生まれなかったということを明らかにすることが、今後の教育政策であると思います。「心の教育」は洗脳教育だから、洗脳できる前提が崩れた現代の社会では、合理的選択アプローチで「なぜ人を殺してはいけないか」を教えていくべきでしょう。
普遍的な答えが存在するという洗脳の前提が崩れた「心の教育」は直ちにやめるべきだ。その代わりに経済学や政治学やゲーム理論を教えるべきじゃね? マスコミもその観点から報道すべきだろう。