世の中には
「何事も斜めに構えてものを見る人」がいる。
何かにつけて、
「他人を簡単に信用しちゃダメ」とか
「現実は甘くない」とか
そういうことばっか言う人。
こういう人達は、だいたい自分のことを『現実を見てるだけ』と言うけど、本当にそうなんだろうか?
僕は彼らの言葉にいつも違和感を感じる。
彼らは「現実主義者」じゃなく、「悲観主義者」なんじゃないかなって思う。
今日はそのお話(´・ω・`)
彼らが見ているのは、本当に「現実」なんだろうか?
自称「現実主義」の人達は、基本的に他人を信じない。
他人を簡単に信用すれば、騙されたり利用されるものだと思ってる。
でもそれって本当にそうなのだろうか?
確かにこの世の中には、悪人もいる。
人を平気で騙すやつ、平気で何かを奪うやつ、そんな悪人がそこらかしこに溢れている。
……でもけして、それだけではなくないか?
この世界には、見ず知らずの他人に親切にできる人だっているし、見ず知らずの他人のために命を投げ出せるやつだっている。
この世界には、最悪な悪人も多いかもしれないが、同時にアホみたいな善人だってたくさんいる。
本当に「現実を見る」って言うのは、そういう人達が存在することも視野に入れることじゃないのかな。
現実とは、確かに夢やロマンには溢れていないが、かといってそれほど冷たく悲しいもんでもない。
— 大彗星ショッカー (@dshocker) 2014, 7月 26
この世の中には暖かい出来事もあるし、見知らぬ他人でも優しい人はいるし、現実を見るとはそういうのも視野に入れている状態のことなんや
— 大彗星ショッカー (@dshocker) 2014, 7月 26
自称「現実主義」の人達は、人間の最悪のケースばかり想定している。
この世界には善人もいることを見ていない。
結果、いつもいつも警戒している。
ビビっている。
恐れている。
そんな人らのどこが、「現実を見ている」と言えるのだろうか。
彼らは、けして「現実主義」ではないと思う。
ただの「悲観主義」だ。
ただのネガティブ思考でビビリで人間不信の、臆病な人間だ。
僕は本当の意味での「現実主義」なつもりなので、無闇に他人を妄信はしないけど、かといってそこまで警戒もしない。
それでも、今までの人生でとくに大きな裏切りや騙しに合ったことなんか無いし、平穏に暮らしているよ。
そもそも疑ってばかりの生き方って、疲れない?
たまには人を信じてみよう。
すると、人の親切に心が暖まる機会が増えるよ。
この世界は意外と安全なんだと気付くよ。
すると心に余裕も出てくるので、多少誰かに裏切られたってそんなの気にもならなくなるよ。
そんなもんだよ。
他人を常に疑って生きるのは、自分で自分の心を辛くするだけだと思う。
もしこれを読んでて思い当たる人がいたら、
少し考えてみてくださいな。