私とカフェモカと物欲と。

消費大好き人間の備忘録(ときどき商品紹介)。

パワフルな目標と計画とは何ぞや。

自身がパワーになるための目標と計画はどうやって得るか。

目的に対する計画は、立て方ではなく品質が大事

何を軸に立てると良いのか。そして立ててはいけないのか。

ともすると、
?良い計画って何?
ということになるのだが

  • 計画の目標に「行きたい」という共感が集まるかどうか
  • 問題に突っ込んででも達成したいものなのか
  • 絶対に達成したい、確固たる目的があるかどうか(ワクワクするかどうか)

といったところ。

?目的がないと人はどうなるのか?

そもそも人は目的が無いのではない。
本来の目的を疑ったり、ブレていくことで徐々に自分の目的に戻ることが出来なくなる。
そうなると、都度出てくる問題や障害に対して打たれ弱くなってしまう。
目的というものは"持っている"ことが重要で、決して誰かに聞かせるものではない。

そもそも目的とは「なぜ私はその方向に進み、その道を選んだのか」である。

これをもとに考えると、自分が目的と思っているものは実は目的ではなく目的の計画だったりする。私はそうだった。
ちなみに私を例に出して簡単に書くとこんな感じ↓

私は「働きやすく、かつ成長できる環境をもった会社を創り、そんな会社を増やせるよう任せられる人間を育てていく」ことが社会に対する目的(と思っていたがこれが計画だった。
以下詳述
何故その道を選んだのかを考える。
倒れた→復帰後、紆余曲折あり余計酷い状況に→軽度の鬱状態、退職→冷静になってみると「これがスタンダードになったら世界はどうなるのだろう」と危機感が芽生える→人が人らしく(誰もが美しく)生きていける世界をスタンダードにする!←これ目的!

といった感じ。自分の目的が目的から動けなかったのは、それが計画のテーマであることに気付かなかったからである。

目的がブレる人は、責任をとることができていない。
目的に対して責任を取る必要がある。
もっと言うと、目的と関係がなければそれは稼いでいても遊びである。
逆に目的と相関していれば、それは何であっても仕事である。

目的と離れている時間が長くなればなるほど、人は自信を失っていくものである。

では、なぜそうなるのか。
それは計画が充分でないから(耳が痛い)。
本来、計画とは目的から脱線しないためのものである。
…ということはどのような目的でもそれそのものを否定する必要はないのだろうか。


目的と計画の立て方

1.大きく分けて、社会・家族・自分にカテゴライズする。
2.それぞれに目的と計画があるのか○×でチェックする。

私の場合は以下でした
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ゴミみてーな女だ!!!
家族と仲が良くなくなってきているのはこういうところにあったわけですね。
これによって、信頼された役割がないことも証明されるかもしれない。

何故かというと、
目的と計画があれば人は活躍できるから。
活躍していないとなると、どちらかを練り直す必要があるかもしれません。

では計画を立てよう!となるので、そのときはこの簡易表を使うのが良いかなと思います
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線がずれてるのは気にしちゃダメだよ!

人はそもそも目的に向かっているときだけワクワクするので、目的から離れれば離れるほど恐れや不安が溜まって行き、何事にも深刻(not真剣)になっていきます。



では、なぜ目的から離れて行くのか?
目的を握りつぶす大きな要因
それは<自己犠牲>だそうで。

ここで云う自己犠牲…他の人にとって良いことや自分の信念のために、自分自身の欲求(not欲望)や必要性を諦める行為のこと。
具体的な症状としては自分のしたいことは云えないのに他人の欲求はすぐキャッチできるなど、自分の目的を差し置いて人の目的を助けることが多い。自分の目的を諦めているため状態としては非常に苦痛だが、その苦しみを紛らわすためにより人にばかり貢献してしまう。

逆に言うと「計画を潰さなければ自己犠牲は起きない」とのこと。
零戦とか良い例なんですが、自己犠牲の最終プロセスは死ですから、何も良いことはないそうです。耳が痛い人、多いんじゃないでしょうか。

自己犠牲が起きない=計画を潰さないために
目的が喜びから来るものかどうかを確かめてください。

ここで云う喜びって何ぞや
→創造的、かつ建設的に「良くしていく」こと。
創造的:それまでになかった新しいものを創りだしていく様子
建設的:現状をより良くしていこうと積極的な態度
これが満たされている状態で何かを良くしようというものが目的である。

喜びってどんな状態?何だろう?
ブレストしたところ、私は出てきませんでした…なんてこったい!!!



喜び⇔苦痛・不快感
自己犠牲が続くと、喜びを軸にする感覚がマヒしていく。
自己犠牲をデトックスしていく必要がある。
(要するに私は自己犠牲の塊でデトックスする必要があるとのことだが、自覚がない上にデトックスってどうやるんだよという疑問が未だに残っている。どうしたものか追求の余地あり)


あ、あと目的をもって計画を実行しようとすると往々にして邪魔してきたり攻撃してくる人がいると思いますが、そういう人はその人が自己犠牲の人なので気にしないでください。目上、年上の先輩サラリーマンとかから「俺だって昔は苦労したんだぞ!お前らだって云々」って言われたことありませんか?あれは自己犠牲です。やらなきゃいいじゃねーかで終わることが、自己犠牲でマヒしていると終わらないんですね。


ちなみに、会社も個人も何かあると(トラブル、問題)、それまではクリエイティブだったのに緊急を基にした計画にしてしまうことがある。それは、「下にいかないため(=現状維持)」であって、決して上にいくものではない。
これでは、パワーは生まれない。
なぜなら、喜びをベースに出来なくなっているから。


ここで、忘れていたことを書きますね。
目的・計画については、
社会・家族・自分の中で自身にとって一番簡単なものから始めてみるのが良いです。
喜びの感覚をできるだけスムーズにキャッチして、見出していって欲しいとのこと。
その際には、前述したように何か緊急事態があっても絶対に計画を緊急のものにしないこと。対応のためにも一部はしないといけないかもしれないけど、それによって計画を変更して目的から逸れるようなことは絶対にしてはならない。


目的と計画を創るのは、<自分>が一番難しいです。客観できないから。
自分の目的と計画には、常に賞賛(not褒める)が必要ですが、これは自分で自分に注意を払うこと。でないと、他人から賞賛を貰いたがってしまう。自分のことは自分でケアするべきです。が、大抵の人は自分に意識を向けていないので難しい。
自分を許し、自信をもってあげることがやっぱり重要なんだなと思いました。なぜならそれが出来ていない状態でこの勉強に臨んだ自分があまりにもしんどかったからです。
リラックスしたい。


そして計画を実行するには?
ポイントは、常に試しながら行くこと。試験的に行きましょう。
はじめから決めて思い切ってかかって行くと追加データが入っても考慮できないので、早い段階で頓挫します。アプリでいうと最新アップデートがずっとできない状態。
そうなると本来の道から逸れて、戻れなくなっていく。


私は家族の目的と計画を立てた際に、自分がどうにかならないと話にならなかったので自分から始めることにしました。
今回のインプットとアウトプットは非常に疲れたし、アウトプットはまだ完了していない。自分の人生に落とし込む必要がまだまだ必要らしい・・・