昔の新聞点検隊
(2014/07/29)
(前略)孝高洗礼を領し霊名を「シメオン」と称す 後隠居して如水と号し下図の如き一印章を製して之を用ひたりき 該印象は必ず黒田家に保存して今猶之を伝るならん
▲如水の伝道 天正十四年の頃秀吉の軍大阪を発して下ノ関に到着し暫時同地に滞陣せしが其部将中黒田孝高及其子長政は令名最も高かりき 孝高は此時毛利輝元に邂逅せしが輝元は天主教を喜ばずして宣教師等が其領内に入るを許さず且往往妨碍を加へたるが孝高素と輝元と交誼厚かりしより恰も此面会を好機として輝元を説きしに輝元忽ち心機一転して熱信者の一人と成れり 且其以後領内に布教伝道することを歓諾するに至れり 此時輝元は伯父毛利秀包と共に洗礼を領して霊名「シメオン」を称せり 秀包は後に筑後国久留米城主として大名たり 尚輝元の家臣にして有名なる阿曽沼豊前其外黒田孝高の弟二名其子長政皆同時に受洗して信者となりたりき(後略)
(1909〈明治42〉年3月29日付 東京朝日 朝刊3面)
【解説】
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の視聴率が回復傾向だと最近話題です。物語は長い日本史でも屈指の山場、本能寺の変(1582年)から豊臣秀吉が一気に天下を狙うあたり。秀吉を支える主人公・黒田官兵衛(ドラマでは岡田准一さん)の策士ぶりの熱演も、好評を得ているとか。
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