ミッチェル機長が、空襲の日時などを記して保管していた爆弾のタグ。中央付近に「Tsu.Japan」の文字が読み取れる
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太平洋戦争末期の一九四五(昭和二十)年七月二十八日夜、津の街を焼け野原にした空襲で、焼夷(しょうい)弾を投下した米軍爆撃機B29の搭乗員の写真が見つかった。戦争史料を集めている津市阿漕町津興の英会話講師雲井保夫さん(65)が、米国の知人を通じて入手した。
津には当時、海軍工廠(こうしょう)や軍需工場があり、四五年三月から相次いだ空襲により県内自治体で最も多い二千五百人が犠牲になった。中でも、市中心部が狙われた七月二十四日の空襲は死者千二百人に上り、燃焼力の高い新型焼夷弾が実戦投入された二十八日の空襲は市街地一帯が炎上した。
津市生まれの雲井さんは郷土の戦禍を伝えるには、日米双方の記録が必要と考え、三十年ほど前から米軍関連の史料集めを手掛ける。米国の戦史研究家に二十八日の空襲にまつわる史料を探してもらうと、B29の機長を務めた米兵の遺族が、搭乗員の写真や空襲を記録した品を持っていることが分かった。
7月28日夜に津へ襲来した米軍爆撃機B29編隊を先導した機体の搭乗員。前列中央にいるのが、ミッチェル機長
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遺族の承諾を得て取り寄せた写真は、B29の機体前で搭乗員十一人で撮影。写真の中央に写るミッチェル機長は、焼夷弾に貼られた紙製のタグをこっそり持ち帰り、空襲の日付や投下地点を記しており、今回、津の空襲に関するタグも一緒に見つかった。日付や「Tsu.Japan」と書かれ、新型焼夷弾を使ったことや、八十機に及ぶB29編隊の中で先導役を務めたことなどが記されていた。
雲井さんは「写真やタグは、津の空襲を語り継ぐ上での基礎資料の一つになる。戦争の記憶を風化させず、平和を考えるきっかけにしてもらえれば」と話している。
米国で見つけたB29搭乗員らの写真を説明する雲井保夫さん=津市阿漕町津興で
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◆28日夜、津観音で追悼の集い
六十九年前の津の空襲で犠牲になった人たちを追悼する集い「平和と感謝の祈り」が二十八日午後七時から、津市大門の津観音で営まれる。
津観音や地元自治会などでつくる実行委員会が空襲の日に合わせて催しており、今年で十八回目。境内にろうそくをともした灯籠を並べ、鎮魂の祈りを込めて鐘を突いていく。戦災犠牲者の追悼法要や、ミニコンサートもある。
問い合わせは、津観音=電059(225)4013=へ。
(加藤弘二)
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