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舞鶴空襲から69年、惨状なお鮮明 京都・滋賀で犠牲者最多

「7月29日の爆撃は恐ろしかった」と振り返る元衛生兵の藤原領一さん(京都市北区)
「7月29日の爆撃は恐ろしかった」と振り返る元衛生兵の藤原領一さん(京都市北区)

 太平洋戦争末期の米軍による空襲で、京滋で最多の犠牲者を出した京都府舞鶴市の空襲から29日で69年がたつ。海軍施設を中心に二日連続で攻撃され、工員や学生ら計約180人が亡くなったとされる。当時はかん口令が厳しく、実態は不明な点が多いが、衛生兵や看護師として救護にあたった人たちは「ひどい状況だった」と惨状を記憶する。

 「警戒警報の段階で、黄色い閃光(せんこう)がして、とっさに伏せた。ものすごい爆風で窓ガラスが飛んできて、体が5センチくらい浮いた」。京都市北区の藤原領一さん(92)は1945年7月29日の空襲を思い起こす。

 軍需工場である舞鶴海軍工廠(こうしょう)に爆弾1発が投下された。藤原さんは、南側の高台にある海軍兵学校舞鶴分校(現・海上自衛隊舞鶴地方総監部)の病舎で、衛生兵として勤務していた。

 運び込まれた負傷者は、砂まみれで真っ白だった。負傷した女学生のもんぺをはさみで切ると、血が噴き出たのを覚えている。

 翌日は早朝から防空壕(ごう)の入り口で監視に立った。戦闘機や爆撃機は断続的に来襲し、眼前に広がる海軍工廠や軍港を目がけて、機銃掃射を浴びせ、爆弾を落としていった。「目の前をグラマンの編隊が横切った。船も沈められた」と話す。

 南区の荒堀(旧姓平泉)岳子さん(87)は日赤の看護師で同校に配属されていた。29日の爆撃直後には同僚たちと走って救護に向かった。血まみれの人がいてちぎれた腕が転がっていた。負傷者を肩に担いで、病舎に連れていった。

 「気持ちが張っていたのか、怖いとはぜんぜん思わなかった。亡くなったのは同じ年くらいの学生が多くて、気の毒だった」と思い起こす。看護師を志願したのは「お国のためと信じて疑わなかった」からだ。

 舞鶴空襲は軍事施設が狙われたため、被害実態に不明な点が多いとされる。藤原さんは後日、爆弾の投下地点を見たら、直径30メートルくらいのすり鉢状になっていたという。

 「今度戦争がおきたら、ミサイルが飛んできて終わりでしょう。生き残った者として舞鶴空襲で見たことを、今のうちに伝えなくては」と話す。

 29日午前10時から、舞鶴市の共楽公園で空襲犠牲者らの慰霊祭が営まれた後、学徒犠牲者慰霊碑の除幕式がある。

<舞鶴空襲>1945年7月29日午前8時半すぎ、米軍機から舞鶴市の海軍工廠に原爆模擬弾1発が投下され、工員や学徒動員の学生ら97人が亡くなった。翌30日早朝からは断続的に米軍の戦闘機や爆撃機が来襲し、83人が犠牲になったとされる。

【 2014年07月28日 08時50分 】

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