理系的文書の困難性
序 非理系の文書が良くないという話題が共有されていて、これで良くないと言われたらかなわないというレベルでした。そもそも、文は伝わるのが重要で余計なことを書かない方いいのが基本です。しかし、そんなのは次善の目標。魅力的なキャラクターを感じさせて、ぐいぐい読みたくなる文が良いのではないですか。ということで、今日は理系文書にフォーカスします。
破 ほんとキャラクターは大事です。パワーポイント・文の書き方のいわゆるライフハックは、キャラクターの存在は軽視し、自分の意志が伝えることが大切との主張。入り口はそうだが目指すところは違う。例えばこんな問題があります。すっと頭に入る文があります。頭に入った段階で誰が言ったことかラベリングできないほど自分の知識になりませんか。オピニオンに味がないから残らない。まるでテレビのニュース。そんな文を書いてはダメだと思います。
と、ここまでは個性的に書くことを勧めながら、おかしいのはやっぱり諌めたい。例えば、何度も書いてるのですが、カメラ関係の掲示板に多い表現で、「個人的」というのはダメだと思います。自分の意見ですとことわってるつもりなのですが、伝わりません。例えば、「個人的にはCMOSよりもCCDに期待したい」と書いていたとしましょう。「なるほど、CCDの方がいい時期があった、最新のエンジンとCCDを組み合わせたカメラも見てみたいよね」と思う一方、「で、お前は誰なの」って思います。思いませんか、思わないなら文の読み方が雑ですよ。個人的な意見を述べるからには公の意見がこの人に有るはず。つまり公の立場を持っていると言ってます。普通は、「ああ、こいつはCMOS屋なんだな」と思うけど、流通業のマネージャー職だったりする。なんなんだよ、お前。
子供のいる人はなかなか気が付かないかも知れませんが、子供はびっくりするほど片言ですよね。テレビで子役の子たちが話しているのを聞いていて慣れているから、あんな風にしゃべる気がしてますが、違います。あえていうと片言風。でも、それほど言葉は難しい。子供は親の言葉を全体として取り込んで、断片に分割してコピペをして言葉を紡ぐことで人間らしくなっていきます。大人もそうです。ことばにしたい事があれば定型にハメて話します。いちいち意味から叩き上げる人なんていない。この定型の整備が不十分なため子供は片言になる。理系の人たちの文はこの定型の整備があちらの方向を向いてたりします。
例を引いてみます。私が最近読んでいる「入門ソーシャルデータ第2版」は翻訳本です。書いている内容はとてもおもしろいのですが、本題に入るまでの導入部が長くてごちゃごちゃしている。一言で言うとすごくキャラが立ってるのですが、一方で悪い文の典型でもあります。統計で正規分布を使うことの重要性についてのコラムですが、冒頭を引用します。
正規分布は、統計のもっとも基本的な概念の一つである。正規分布は、その形からベル曲線と呼ばれることも多いが、「正規」分布と呼ばれているのは、他の分布の比較対象(あるいは基準)となることが多いからだ。
頭にすっと入りますか。たった2センテンスだけどこれです。この本を読んでるんだから俺偉いよ。まず第一センテンス。くどいから直そうかとも思いますが(あえて直すと、「正規分布を用いるのは統計において一般的である。」)、このセンテンスまるまるなくても困りません。次のセンテンス、ベルの話も無駄といえば無駄ですがこれは読んで楽しいのでOK。問題はそのあとの「呼ばれることも多いが」。「多さ」関係ある?関係ないよね。じゃあ、構文として使っているなら「〜多いが〜ではない」となるのが正しい。この文脈だと「実はベル形になることは殆ど無い」と来ないと座りが悪い。なので、「多い」はなくて良い言葉。続く文では何が正規(英語ではNomal)なのかがわからない。比較対象だからノーマルというは変で、比較対象は「中心分布」みたいな名前の説明だし、基準も、言い直しているだけで正規・基準の両方について何も言っていない。この文もいらないっぽい。
知識のひけらかしはあっていいと思います。それが読書の醍醐味だから。でも、やりようが悪い。理系の人たちの文はの悪さの基本は、この知識のひけらかしを散りばめることの弊害なのです。じゃあ、直せばいいじゃん。それは短絡的。理系の人の書く文で知識のひけらかしがない文なんて面白くもクソもない。読む価値ないぐらいに思います。あっ、「個人的には」はだめよ。アホ丸出しだから。すぐ利用を中止してください。
離 機械学習流行ってますね。もっとドカンとくるんだろうか。機械学習が文をスッキリさせてくれると理系の人たち助かると思うなぁ。私も含めて。
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