以下のけいろー (id:ornith) さんの記事を読みました。無職になったようですがまだ25歳。あと10年ぐらい今みたいな形態で生きていけば,私みたいに「社会人」なんて考えなくなるかもしれません(笑)。
無職になり改めて感じる「社会人」という言葉の曖昧さ - ぐるりみち。
それでけいろー (id:ornith) さんは自分では「社会的に自立している人」程度に考えているようですが,他の人の考えは以下のようだとしています。
思うに、誰かが他の人に語る「社会人」って、「俺(or企業or社会)にとっての理想通りに動いてくれる人」のことであるように見える。
でもこの定義で行けば学生だって学生としての行動を強いられるわけで,「社会人」と言われるはずでしょう。しかしそうは言われない。それはなぜか。以下のように述べられています。
そこで印象づけられるのは、「学生」と「社会人」には明確な差があるという点。
それまでは学校で勉学に励み、時にアルバイトで日銭を稼いでいれば良かったものが、卒業して、会社組織に所属した途端、環境が激変するから気を付けろ、と口を酸っぱくして言われる。
特に強く強く刷り込まれるのが、「責任」という言い回し。会社という組織の一員となれば、そこで成功するか失敗するかは個人の責任となる。
帰属意識を持ち、中途半端は許されない。「社会人」としての自覚を持ち、自らの役割を認識し、いち早く組織に貢献できるようになることを求められる。
とすると,ここでは「会社に対する責任を持つ」ことが「社会人」としての条件となり,「社会にとって理想通りに動いてくれる人」というのは間違いになります。学生は「社会にとっての理想の学生」になっても「社会人」ではないからです。
だから日本において「社会人」は「会社に対して責任を持って属すること」と考えるケースが多いでしょう。おそらくこれは日本人一般にとって会社という存在がかなり大きいということを意味しているからです。学校を卒業して社会に出る。それは同時に会社に入って働くことを意味している。それこそが「社会人」なのだとされているのです。
しかし一方で従来の社会人の意味は「社会に属して生きている」程度の意味であり,無職であっても「社会人」なわけで,無職であることによって社会から要求されることは働くこと以外にもあるはずです。けいろー (id:ornith)さん自身も「社会的に自立している人」程度に思っているはずなのに,結局は「働け」という結論になってしまう。それは日本社会における「社会人」の定義が「企業に対して責任を持って属すること」だからなのでしょうか。私は別の理由もあるのではないかと思います。
アルバイト生活を約20年してみて
私は今まで正社員になったことはありませんので,企業に属するという意味での「社会人」になったことはありません。だから今まで「社会人」なんて考えることもありませんでした。だからと言って社会に対して責任がないわけではないですし,社会と関わっていないわけでもありません。またバイト先の企業に対して全く責任がないわけでもありません。
「社会人」という言葉は前述したように社会から要求される意味もあります。社会に出たら企業に入って働く。それがひとつの「社会人」としての定義でしょう。しかし一方で,「社会人」という言葉を受ける側が勝手に解釈していまい,せっかく「曖昧」であった言葉が企業に入って働くという「社会人」という言葉として現れている部分もあると思うのです。
本来「社会人」なんて「社会に属して生きている」程度のもので曖昧であり,それを突き詰めて考える必要もない言葉です。社会に関わればみんな「社会人」。そんな風に考えるともはや「社会人とは何か」なんて考える必要すらなくなってくると思いますよ。私なんてそんなこと何も考えないし,周りも全く要求してきません。曖昧なものは曖昧なままの良さがある。それでいいんじゃないでしょうか?ダメですか?