・昨日、犬が老いてきたという話を書いた。
それから、犬ばかりじゃないんだよ、とね、思うわけよ。
じぶんも老いているのを棚上げにしているわけじゃない。
こういうことは、他人が言うのはむつかしいけれど、
じぶんで知ってるわけだし、ほんとうのことだから、
ときどき考えているし、確かめておきたくなる。
「ほぼ日」がスタートしてから、先日で16年になった。
ぼくの意識としては、16年前のことを、
そんなに昔だとは思えないのだ。
しかし、よくよく考えると、
そんなふうに、十数年もの年月を、
そんなに遠くないと思うことが、もう、老いなのだ。
20歳だったとき、30歳だったとき、
16年後の36歳のじぶんを、46歳のじぶんを、
少しでも想像していただろうか。
あるいは、4歳のじぶんを、14才のじぶんを、
つい先日のように思っていただろうか。
若いときの10年15年というのは、とてつもなく遠い。
10光年とか15光年と言われているのと、
同じくらいに遠い過去、遠い未来のように感じるのだ。
しかし、ぼくの年齢になったら、
10年でも20年でも、もう30年前のことでも、
つい先日のように思えたりしているのだ。
これが年を取るということなんだということについては、
けっこう前から気づいていたし、
それが老いだからといって否定的に考えてもいなかった。
だが、いまごろ気づいたことがある。
前の16年については、短い時間だといって笑えるが、
これからくる16年については、短かろうが長かろうが、
生きている可能性さえわからない向こう側にあるのだ。
「はたち」の人は、36歳までの遠い距離を、
想像しないまでも「存在している」と感じているが、
ぼくは、16年後にいないかもしれないと知りながら、
明日や明後日を生きていくのだということなのだ。
そしたら、なんだろう、「ファイト!」みたいな、
妙におもしろい感覚を発見してしまったのである。
ちょっと怖くて、けっこうたのしみな感覚なんだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
長いような短いような人の一生。たのしめるのが一番だな。
それから、犬ばかりじゃないんだよ、とね、思うわけよ。
じぶんも老いているのを棚上げにしているわけじゃない。
こういうことは、他人が言うのはむつかしいけれど、
じぶんで知ってるわけだし、ほんとうのことだから、
ときどき考えているし、確かめておきたくなる。
「ほぼ日」がスタートしてから、先日で16年になった。
ぼくの意識としては、16年前のことを、
そんなに昔だとは思えないのだ。
しかし、よくよく考えると、
そんなふうに、十数年もの年月を、
そんなに遠くないと思うことが、もう、老いなのだ。
20歳だったとき、30歳だったとき、
16年後の36歳のじぶんを、46歳のじぶんを、
少しでも想像していただろうか。
あるいは、4歳のじぶんを、14才のじぶんを、
つい先日のように思っていただろうか。
若いときの10年15年というのは、とてつもなく遠い。
10光年とか15光年と言われているのと、
同じくらいに遠い過去、遠い未来のように感じるのだ。
しかし、ぼくの年齢になったら、
10年でも20年でも、もう30年前のことでも、
つい先日のように思えたりしているのだ。
これが年を取るということなんだということについては、
けっこう前から気づいていたし、
それが老いだからといって否定的に考えてもいなかった。
だが、いまごろ気づいたことがある。
前の16年については、短い時間だといって笑えるが、
これからくる16年については、短かろうが長かろうが、
生きている可能性さえわからない向こう側にあるのだ。
「はたち」の人は、36歳までの遠い距離を、
想像しないまでも「存在している」と感じているが、
ぼくは、16年後にいないかもしれないと知りながら、
明日や明後日を生きていくのだということなのだ。
そしたら、なんだろう、「ファイト!」みたいな、
妙におもしろい感覚を発見してしまったのである。
ちょっと怖くて、けっこうたのしみな感覚なんだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
長いような短いような人の一生。たのしめるのが一番だな。
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