編集委員・伊藤智章
2014年7月28日08時23分
36歳で離婚し、妻子が去った。そして、父が自殺した42歳になった。俺の人生はどうなるのか……。岐阜県各務原市のカメラマン、三浦寛行さん(46)は、そのどん底だった2011年が転機になった。同年の東日本大震災の被災地支援を契機に、「自分だからできること」を見いだした。
三浦さんは愛知県新城市の出身。中学3年の誕生日に、父親が排ガス自殺した。仕事を次々に変え、子どもの目にも意思が弱く、頼りなかった。でも「夜はケーキを一緒に食べような」。最後の朝もそう話す優しい面もあった。
それから、家ではみんなが父の話題を避けるようになった。最初からいなかったかのように振る舞った。自殺すれば人生のすべてを否定されてしまうのか。死にたくて死んだわけじゃないのに。あんまりだと思った。同情されるのも苦しかった。級友も地域も、父の死を知っているようだった。「頑張れよ」。励まされるたび、いたたまれなかった。
名古屋市内の大学に進み、めったに郷里に戻らなくなった。29歳で結婚した。でも性格が合わず、妻は息子を連れて出て行った。「(自殺した)お父さんと一緒ね」と言われた。
普通の家庭があこがれだったのに、苦しかった。父の顔が何度も浮かんだ。「お前もこっちに来い」。そう言われているような気がした。
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