「0」
「腐る」と「熟する」。
「1」
みんな誰も何も言わないけれど、それはもう死んでいるのだった。
三谷幸喜曰く「人は二度死ぬ。一度目は肉体的な死、二度目は友人が語らなくなる死。」とのことですが、
ネットレーベルはとうに二度死んでいるのだった。
音楽をリリース/プロモーションする機能(=肉体)。
その擬似的な死に、追悼と愛をこめて。
「2」
ボクはいつだって「デカイ一発」を待っていた。20年前学生が暴れていた時、「お、デカイやつがくるぞ!」と思った。アポロが月に行ったり、石油がなくなりそーだったり、ソ連がどっかに侵攻したり、昭和が終わりそうだったり、そのたびに「今度のはデカいぞ」と思った。だけどどれも震度3、ブロック塀が倒れるテード。顔をみあわせ、「すごかったね」で笑って終わりだ。
(しりあがり寿『夜明ケ』あとがきより)
「3」
ネットレーベルは、僕にとって「デカイ一発」だった。
MySpaceからArctic Monkeysが登場したことなんか霞んでしまうほどに。
音楽不況がなんだ、みんなiTunesを持ってる──。
そんなにむずかしいことじゃあないじゃないか。
それは単純にインターネットのすばらしさでもあり、
自分たちが「CDの次のメディア」を作れる(あるいは加担できる)という、希望でもあった。
どこからかリリースされる新譜。
iPhoneに表示されるアートワーク。
そして楽曲!
いいものがあればTwitterで共有し、フォロワーがそれを聴いているのは快感だった。
そういうふうに成り立っていた。
そんな人間が何人いたのかももうわからない。
1,000人もいただろうか?500人?
「4」
しかし今はもう変わってしまった。
陳腐な言い回しだが、時間は過ぎるのだ。
アーティストにとってはBandcampの方が効率がいいし、お金だって入る。
ネットレーベルの持ち味は「どう見せるかの工夫」だと思っているし、
(そんなことは僕が言うまでもなくさんざん言われてきた。)
今後もその「工夫」が重要だということは変わらない。
しかしそれだって、わざわざネットレーベルがやる必要はどこにもないのである。
ちょっと気のきく、頭のまわる人間がいればすむ話なのだった。
「5」
以上。
ネットレーベルは機能として、肉体として死んだ。
コンピ以外にやることがなくなったのだった。
新興のレーベルの多くはつまらないテーマを掲げたコンピ製造機になってしまった。
そんなものがおもしろいわけもなく、
今後NAVERでネットレーベルがまとめられることはなく、
みんな顔をみあわせ、「あの頃はすごかったね」で笑って終わりだ。
CDの次を目指した大きな内輪は、Bandcampまでの場繫ぎにしかならず、
結局iTunesかSpotifyかに落ちついて、「俺らあの頃はすごかったんだぜ」で笑って終わりだ。
ネットレーベルは二度死ぬ。
僕らはその亡骸を見てる。
僕らって何人いるだろうか。
100人?10人くらいはいるかな?
ともかく、ネットレーベルの亡骸に愛をこめて。
「余談」
(別にCALMLAMPが古参だとはちっとも思わないけれど)
あんなにデカデカと掲げた「コンピレーションのジレンマ」は解決できなかった。
CALMLAMPは今進めているプロジェクトが一段落したら、形態を変えます。
時流に適したものをスタッフみんなで考えて提供してきたつもりだけれど、
ネットレーベルだなんて言ったことは一度もなかったけど、時流には勝てません。
“Think How Music will be”のために、一時撤退です。
keep calm、save the lampです。