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webほんのしるべ編集部+瀬名秀明「文系人間のための〈科学本棚〉」

2014年01月31日

映画『オッド・トーマス』

おいおい、映画『オッド・トーマス』、日本公開されていたのか! 全然知らなかったよ! 教えてくれよ!
仕方ないからDVDを買おう……。
ていうか早川書房はシリーズ続編の翻訳をちゃんと出してくれよ!
『Odd Interlude』『Odd Apocalypse』『Deeply Odd』と、もう3冊も出ているのに。最終刊の『Saint Odd』も今年中には出るはずなのに!

posted by 瀬名秀明 at 16:11| ちょっとしたお知らせ | 更新情報をチェックする

2014年01月09日

11日のこと

 株式会社ゲンロンのスタッフの方にはメールで伝えたのだけれど、大森さんや東さんがTwitterでいろいろいっているようなのですが、私はあくまでもテーマ通り、復興とSFと小松左京さんの話をしに行くつもりなので、SF業界の闇??とかの話をメインにはしないようお願いしておきました。というかそういう噂話みたいなことを会場でしなくてすむように、事前にブログで書いたので。
 スタッフさんからの伝言によると、東さんもそのことはわかっていらっしゃるようで、安心しました。
 それでは11日に皆さまとお目にかかれることを楽しみにしています。
posted by 瀬名秀明 at 22:13| ちょっとしたお知らせ | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

2013年の終わりに際して(追記)

 昨年12月29日に「2013年の終わりに際して(その2)」を書きました。その後、評論家・翻訳家の尾之上浩司さんのご仲介により、友成純一さんと連絡を取ることができました。
 友成さんには、年末年始にお騒がせしたことを深くお詫びし、また貴重なご発言をいただきましたことに感謝の気持ちを伝えました。
 友成さんから2014年1月3日22:22付で頂戴したメールを、友成さんのご許可のもとに全文掲載いたします。友成さんはA氏、B氏といわずきちんとおふたりのお名前を出してほしいとご希望されていましたので、あえてそのまま掲載いたしました。

(以下引用)
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瀬名さん、

ご丁寧に、有難う御座います。
こちらこそ、連絡を頂けて、本当に幸いです。ああいう具合に書いて頂いて、クラブ内部で起きている事情が判り、私も嬉しく思います。助かります。
お陰様で、Twitterのフォロワーが急増しました、ははは。もう、迂闊なことは書けませんね。
尾之上さんから知らせがあって、初めて事態を知り、フォローさせて頂きました。

私、巽夫婦、大森夫婦、ご両者と昔から親しくしていて、良くこの件で、双方を揶揄ったりしていました。なので、その延長で、書かれているような余計な事を言ったかと、心配しました。
しかしどう記憶を探っても、替歌もテクハラ裁判も思い出せない。なので、あの様にお知らせしました。
ご理解いただけたら幸いです。

昨日の朝、小谷さんにも私の方から連絡して、私の考えている事実を、お伝えしました。これが原因で、巽・小谷夫婦と疎遠になるのは、いささか残念なので。
小谷さんの話によると、十年ほど前に「SF入門」という本の原稿を手伝った際に、電話で話していて、この裁判の話題になった際に、「そりゃあ、訴える相手を間違えてる。いい弁護士を知ってるから、紹介するよ」と私が言ったとか。
しかし、私にはその記憶がありません。またそれを根拠に大森君の入会を拒否し、瀬名さんを会長辞職、退会にまで追い込む程なら、小谷さん、私に改めて事情を確認すべきでした。
メールアドレスは事務局に知らせてあり、通信も頂いています。この件の連絡の無かったのが、実は残念でなりません。
その場に居られなかったのが、本当に残念無念︎!!
私は大森君の入会に、賛成です。
もう入会していると思ってた。去年、上京して、「NOVA」の件で会った際に、クラブの総会兼宴会が近かったので、「どうするの、出る?」と訊きました。もう会員になっていると思ったのです。しかし、「俺、会員じゃないから」との返事。そうか、まだ巽夫婦が反対してるのかと、事情を推察しました。
後に、私の東京での滞在先である竹本健治君の事務所で、それと早川書房を訪ねた際に、小谷さんの強力な反対があったのだと聞きました。しかし、私の名前が使われていたとは、心外極まりません。

私も80年代半ばの入会で、川又千秋さん、永井豪さん達のつよい推薦によるものだったけれど、私がSM雑誌の出身で、書くものがエログロであることから、強い反対があり、数回、立て続けに蹴られたとか…当時は、全員賛成が前提だったので…。
正直、私としてはどうでも良かったのだけれど、SF作家の皆さんと懇意にしていたので、喜んで入会させて貰いました。
88年だったか、先のお二人に加えて、星新一さん、田中光二さん、石川英輔さん、高橋良平さん達と皆で出掛けた香港旅行が、楽しかった思い出として残っています。
私自身は、会とかクラブとか、それぞれ独特のやり方があるので、SF作家クラブが一種の内輪の親睦会であり続けるなら、それでも良いかと思っています。
しかし今や会員数、250人? 私のように不熱心で会費を何年も滞納している者もいるし…作家クラブとして、組織をしっかり作るべきなのでしょうね。
御尽力、お手伝い出来なかったのが、心から残念です。
事情が判っていたら、可能な限りその時の総会に出ていたと思います。残念です。少なくとも、私の名前は使えなかった。

これを機に、こちらこそ今後もよろしくお願いします。
上京してどこぞのパーティーなどあった際に、お目に掛かれたら幸いです。
このメール、公けにして頂いて、構いません。ただ、個人名が出ている事だし、どこかに転送転載の際には、いちおう声を掛けて下さい。

何かありましたら、何時でも連絡下さい。
昨日は、正月中でもあり、久々に痛飲しました、へへへ。
返信が遅くなって、すみませんでした。

友成純一 拝
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(引用終わり)

 改めて友成純一さんに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
 以前のエントリーで書いたように、私は日本のSFコミュニティが、何か問題が起きると事実や経緯を隠し、そのために陰では根拠のない噂話を繰り返してきたことを本当に残念に感じていました。それはSFの精神性とは異なるものだと感じていました。そのためあのように友成さんのお名前を出さない限り物事はどうしても進展しないと思い、決断して書いたことを、どうかご容赦いただければ幸いです。少なくとも今回の友成さんのメールによって、どういうすれ違いがあったのか、共有できたと思います。大きな前進だと私は考えます。
 どうか皆さまは、小谷真理氏が友成純一さんをスケープゴートにしているなどと陰口はなさらないでください。また巽孝之・小谷真理両氏も、私・瀬名秀明や大森望さんが友成純一さんをスケープゴートにしているなどと主張なさらないことを願います。

 友成さんのメール内容についてすこし補足すると、会員の名簿は事務局員の名簿担当者が管理しています。連絡先の情報は、クラブ内で限定公開してもよいとご本人が思われたものに関しては「タンポポ村」で検索できるのですが、検索方法にすこしクセがあり、たまたま目的の情報に行き当たらないケースもあるのです。また事務局が管理している名簿は会長であってもアクセスすることは憚られるものであり、しかも当時は私と事務局との距離がどんどん遠のいてゆくように自分では思えていたときでしたから、友成さんの連絡先を教えてほしいと私から事務局に頼むのも難しいことでした。そうしたすれ違いが重なり、また総会の期日が迫り時間的な制約上どうしようもなくなって、大森望さんの入会推薦がだめになったことは、後に私の会長辞任と退会の一因となりましたが、日本SF作家クラブ50周年の最後にこうして事実関係が明らかになったことは嬉しく思います。

 友成純一様、本当にありがとうございました。お騒がせしたことを改めて深くお詫びいたしますとともに、御礼を申し上げます。
 いつか直接お目にかかる機会がありましたら、また御礼を述べさせてください。
 心から感謝いたします。
posted by 瀬名秀明 at 11:18| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

2013年の終わりに際して(おしまい)

 本日は2013年12月30日。あと1日で日本SF作家クラブ50周年の年が終わる。それは同時に日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトがひとまず区切りをつけることでもある。あとは記念集の刊行と、主に協賛各社対象の記念祝賀会・謝恩会が残っているはずだが、一般のSFファンの人にはほぼ関係がない。
 どうだろう、SFファンの皆さまは、この1年を──正確にいうならジュンク堂書店池袋本店でのSFフェアオープニングイベントがあった2012年10月6日からの14ヵ月を──充実したものとして感じていただけただろうか? 
 この1年で日本SF作家クラブはたくさんのことをやった。書店のSFフェア、プラネタリウム番組の製作協力、宝塚手塚治虫記念館や明治大学を始めとする各種の展示会、アンソロジー企画、雑誌特集への参加、国際SFシンポジウム、ロゴマークの作成やTシャツの販売……この一年でSF作家クラブは多数の他流試合もおこなった。小説現代や小説新潮といった雑誌でのSF特集は、一流の直木賞作家らと肩を並べて雑誌を彩る体験を若手作家にもたらした。書店フェアのように予想以上の反響があったものもあれば、国際SFシンポジウムの一部のように人が集まらなくて閑散としたものもあったと聞く。私は残念ながら、会長職を辞したことと、後で述べる理由によって、そうしたイベントに自ら足を運び、きちんと成果を見届けることはできなかった。しかし私自身はそれぞれの企画を最適のクラブ員に任せることができたと思っているし、それぞれの責任者は嬉しいことに最後まで見事にやり遂げてくださったと思う。そうした責任者のごく一部にいわゆる「お友だち感覚」で事を運ぼうとする兆候が見られたときにはしっかりと注意し、そのことでその責任者と私の間に強い確執が生まれることもあったが、私はそうした人々のプライドさえも重視し、自ら会長職を退くことで彼らに物事をやり遂げる自由とプライドを与えたつもりである。
 そして、こうしたすべての結果を受け容れたうえで、この1年でSF作家クラブは、自身が掲げる「未来を想像し、未来を創る」のテーマの通りに、己自身の未来を創る最初の一歩を踏み出せたのだと私は考える。そしてこれが東野会長、北原事務局長のもとでさらに次の一歩、二歩が刻まれてゆくことを私は望んでいる。
 
 そして大切なのはSFファンである皆さまのお気持ちだ。皆さまは楽しんでいただけただろうか? 
 私はこの1年を次のように総括する。すなわちこの2013年は、いままで見て見ぬ振りをしてずっと溜め込んできた日本SF作家クラブの膿がついにどうしようもないほど広がり、溢れて、抜本的な意識改革が為されない限りクラブ自体が近いうちに沈没することが明らかになり、ついに次の50年に向けて動き出した年だったのだと。その改革のためには多少の犠牲もやむを得ないことで、私が会長を辞めることは日本SF界における一種の宿命だったと思う。私は2012年の3月、すなわち大森さんの入会推薦がだめになった前後に「きみに読む物語」というSF短編を書いている。この時すでに私は会長を辞任し、クラブを退会することを決意していた。あとは時期の問題だけだった。
 そして SFファンの皆さまにとっても、この1年はある意味で、辛い思いをさせることになったはずだ。日本SF作家クラブがもう沈没するかもしれないという事実を、はっきりと皆さまにも分かっていただく必要があり、SFファンダムそのものにもある種の意識改変を求めなければならなかったからである。SF業界は何か問題が起こったとき、極力その真相を隠して黙り込み、内に閉じこもって、嵐が過ぎ去るのを待とうとする。決して差別的な意味で使うのではないが、それは「SF」の精神性というより、お友だち感覚による「おたく」の精神性に因るところが大きいと私は感じる。だから私も自分のいいたいことはなかなか公表できなかった。
 昨日のエントリーで、日本SF作家クラブにはふしぎな「不文律」があり、入会に際して「一冊以上の単著があること」もそのひとつだと述べた。しかしよく調べれば、この「不文律」に当て嵌まらないのに入会している方々を見つけることもできるだろう。イラストレーターや声優さんなどはどのように判断すればよいのだろうか。
 なんのことはない、日本SF作家クラブはこうしたとき「親睦団体」という大義名分を掲げ、自分たちの好きな人は入れ、そうでない人は弾く。「会則」や「不文律」は、そうしたときクラブにとって都合のいいように利用される、その場限りのいいわけに過ぎない。嫌いな人を弾くときには「会則」や「不文律」を持ち出し、好きな人を入れるときにはそれらを無視するだけのことだ。規則よりも「その場でみんながなかよくすること」という刹那性の方が重視されるに過ぎないのである。
 これは「SF」の精神だろうか、というのが私にとって以前からの疑問だった。そして数年前から私は思うようになった。SFコミュニティは昔から「SFの精神性」と「おたくの精神性」を区別せず(あるいは区別できず)、その場に応じて都合よくそれらを使い分けたり同一視したりしてきたのかもしれない。その矛盾が50年経って、そろそろ限界に達しつつあるのではないか、ということだ。もっというなら、いままで「SF」と思われていた作品の一部は「SF小説」ではなく「おたく小説」なのかもしれない。「日本SF作家クラブ」の実態は、いつからか「日本おたく作家クラブ」になっていたのかもしれない。プロもファンもそれらをずっと混同してきたことが、多くの問題の原因だったのではないだろうか。
 もし日本SF作家クラブを本当に「親睦団体」にしたいなら、自前で運営さえできなかった日本SF大賞や、応募者がすっかり減ってしまった日本SF評論賞はすぐさまやめて、外部との接触も断ち、内輪だけで楽しめる会に変えるべきだ。時折パーティをして、温泉旅行をして、親睦を深める、それだけの会にすればよい。
 だが一方で、SFに何らかのかたちで関わるプロの方々にとって、いまなお「日本SF作家クラブ」という団体はどこかで憧れの対象であり、「日本SF大賞」は輝かしいものではないだろうか? 出版業界全体で見れば日本SF作家クラブや日本SF大賞など聞いたこともないマイナーなものかもしれないが、SFを創っている人ならば、一度は「日本SF大賞」を獲ってみたいと、本音では思っている人はいまもたくさんいるはずだ。そうした人たちの気持ちを日本SF作家クラブは今後も受け止める必要もあるのではないか? そのためにはまず日本SF作家クラブが組織としてしっかりしなければならない。こうした世間の「SFの精神」を、日本SF作家クラブはきちんと受け止め、発展させることができているだろうか? 

 本当はこの辺りのことを詳しく論じようと思っていたが、すこし疲れたので簡単に書くに留める。そして最初の問いに戻りたい。SFファンの皆さまは、この1年を楽しんでくださっただろうか? そして自分たちが変わり、次の未来に向けて一歩踏み出す勇気や想像力を、私たちと共有していただけただろうか? 私はすでに会長職を辞したので現在の詳しいデータはわからないが、少なくとも私が企画に携わった50周年記念プロジェクト関連のアンソロジーや雑誌特集は、どれも日本SFの歴史から見れば画期的なものだったと思うが、さほど反響もなく、売れ行きも決してよいものとはいえなかったように思う。『日本SF短篇50』の第1巻は増刷されたが、それ以降の増刷の話は聞かない。
 本当はこのような企画ではなく、もっとお友だち感覚の、内輪の企画をたくさんやった方がよかったのかもしれない。その方が多くのSFファンも安心して楽しんでいただけたのではないかと、いまでも思うことがある。私も最近はアイドル業界用語がすこし分かるようになってきたので引用するが、アイドルのイベントに足繁く通うファンのことを「おまいつ」という。「おまえいつもいるな」の略だそうだ。もちろんアイドルの売り上げはこうした熱心な「おまいつ」の皆さんの大量購入によって支えられており、いつもよい席が用意されている。だが一方でそうした人々がいることが、新規のファンを怯えさせることにもなる。SFのイベントでも業界の方々や「おまいつ」の方々がたくさんいらっしゃる。だがここから先のことを仕掛けていかないと、SFはいつまでも仲間内へのサービスで終わってしまう。SFのイベントではその後に会場の参加者と登壇者がいっしょに飲み会をすることが多い。むしろそうした飲み会の方がイベントのメインである。オンとオフの感覚が通常の社会常識とは逆なのである。これでいいのだろうか。そうしたジレンマを、私は会長職のときにいつも抱え、悩んでいた。私が外部の企業や団体にいくら働きかけ、SFを拡げようとしても、結局は「お友だち感覚」や「親睦」が勝利するのではないか。改革と親睦は決して二項対立するものではなく、両者をともに充実させることはできるはずだが、うまい方策が私には見つけられなかった。

 この2013年が、皆さまにとって多くの意味で実り多い1年であったことを願う。そしてそれが実現されているのなら、それは現会長の東野司さんと現事務局長の北原尚彦さんの不断の努力のおかげである。任期半ばにして会長職を辞任し、同時に退会せざるを得なかったことについて、改めて私は皆さまにここでお詫びを申し上げるとともに、東野さんと北原さんをはじめとする日本SF作家クラブの皆さまに御礼と感謝を申し上げる。
 私自身は会長職辞任後、中編「ミシェル」を書き上げたころから体調を崩し、ほとんど原稿が書けなくなってしまった。環境の変化と、日経「星新一賞」に関する諸問題での疲弊が、心身に出たのだろう。約束していた岩崎書店の「21世紀空想科学小説」も結局書けず、辞退することになってしまった。今年は予定の半分も原稿が書けなかった。
 仲間は必要ない。少しずつ自分を取り戻していきたいといまは考えている。次の長編小説は1997年の『BRAIN VALLEY』以来、17年ぶりのバイオサスペンスとなる予定だ。それに取り組みながら、作家としての瀬名秀明を取り戻してゆきたい。
 どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。

【2013.12.31追記】
 朝起きてみたら、前事務局長・増田まもる氏と日本SF作家クラブ公式のTwitterが、私を批判している内容のツイート(akapon氏という方)をリツイートしているのを見つけて、大笑いさせていただきました。一昨日、現会長の東野司さんから、来年2月1日の祝賀会の出席を打診されたばかりでした。たくさんの会員が瀬名に感謝の気持ちを伝えたいと思っているからぜひ出席を、というお話でした。残念ながら当日は別件があって出席できないので皆さまによろしくと返信したところ、それならせめて協賛各社の方々へメッセージを、とのお話もありました。
 でも日本SF作家クラブの一部の本心がわかったので、やめることにしますよ。もっと私を嫌って、今後も団結して下さい。
 あとakaponさんは新井素子さんのファンの方らしいので、私の文章の中に新井さんに対する発言があったことにわだかまりを感じていらっしゃるのかもしれません。いままで日本SFコミュニティでは新井さんは聖域のような方でしたから。
 でも私は「変革への高い志」はあったけど、日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトと、クラブの改革については、別に実現できなかったとは思っていません。自分は退会はしたけれど、それは実現への道筋だったと本心で考えていますよ。それに都合の悪いことを黙っているより、50周年の最後に際して、しっかり物事を記録しておくのは大切なことだと思います。それから父のことは別に批判していません。世界についての違和感を表明し続けている、というのはよいご指摘で、一部の作品群ではまさにそれがテーマであるとは思います。
 朝から爆笑できて、よい年末でした。ありがとう。
posted by 瀬名秀明 at 17:16| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2013年12月29日

2013年の終わりに際して(その2)

 私は日本SF作家クラブ第16代会長になった際、クラブがどのように運営されているのかを、ある程度深くまで知ることができた。今回はなぜクラブの運営がうまくいかなくなってしまったのかについて私見を述べてみたいと思う。ただしクラブの内部事情を節操なく公開することはしない。一般的な常識の範囲内で書くつもりだが、一部では踏み込んだ部分もある。それは、いままでクラブの内部事情がほとんど外部には明らかにされておらず、それがかえって無意味な憶測や疑心暗鬼を呼ぶことが多かったように思えるからだ。一端を明らかにすることでSFコミュニティを風通しのよいものにしたい。そのような気持ちで書いてみる。

 私は1998年に『BRAIN VALLEY』で日本SF大賞をいただいたので、その縁で日本SF作家クラブに入会した。日本SF大賞を受賞すると無推薦でクラブの総会に諮られる権利が与えられる。入るか入らないかは受賞者次第であり、実際に受賞しても入会しなかった人もいる。
 私は自分が会長になるまで、クラブがどのような組織編成で、どのような意思決断のもとに運営されているのか、まったくうかがい知ることができなかった。年に数回、事務局通信というのが送られてきて、そこに決定事項や入会推薦のことなどが書かれているのだが、そもそもこの「事務局」というのが何であり、誰がメンバーなのかもわからなかった。年に1回の総会と、1回の臨時総会があるのが通例だが、そこではかられる事案もどうやって上がってくるのかさっぱりわからなかった。
 いまでもこの事情はさほど変わっていないかもしれない。私は顔の見える事務局をつくりたいと思い、自分の会長時代に会長と事務局員全員の名前を出した上で、元日に新年の挨拶文を会員のMLで送ったことがある。それでも誰がどんな役割を分担しているか、多くの会員はわからないだろう。そうした役割表も含めて事務局の顔を会員に見せるべきだと私は思っていたが、なぜか事務局メンバーは消極的で実現できなかった。

 高千穂遙第14代会長時代に「タンポポ村」という会員専用の非公開のSNS形式ウェブページが作成され、停滞していたクラブの親睦の活性化が図られるようになった。初期のころは活気もあったようだが、私の会長時代には書き込んでいる会員はごく一部で、覇気はなくどんよりとしていた。(そもそもどうやってタンポポ村を使ったらいいのか分かりづらかった。初心者でもわかるようにタンポポ村のマニュアルをつくったのはこの私である)
 この高千穂会長時代から、「タンポポ村」のさらに非公開の場で、事務局メンバー同士の連絡が掲示板方式でおこなわれてきた。会長と事務局メンバーが話し合うのはこの掲示板と、あとはこれらメンバーが入っているMLの場だ。私はなるべく過去を遡って、かつての会長、事務局長らがどのような運営をしてきたのか知りたいと思ったが、驚いたことにそうした記録はアーカイブ化されておらず、高千穂会長時代以降の会話しか見て取ることができなかった。過去の事務局通信もいまの事務局に受け継がれているわけではなく、昔のことを知るのは容易ではなかった。私は総会の場で、アーカイブをつくりたいからかつての事務局通信をお持ちの方は提供してほしい、と提案したこともあったが、会員からの反応はゼロであった。これでは過去の知恵を未来に活かす運営はとうていできない。2年ごとの会長・事務局交代でつねに記憶がリセットされているようなもので、逆にいえばおかしな噂話や誰がつくったかわからない「不文律」が幅を利かせる、不健全な運営の温床になっていると感じた。

 よく知られるように、かつて日本SF作家クラブでは、会員のひとりでも反対すればその事案は否決されていた。新規に会員を入れたいと思っても、誰かひとりが反対すれば入れなかったわけだ。しかし山田正紀第12代会長時代に会則検討委員会が設けられ、この会則が改訂された(2005年)。この会則検討委員会の議論については何とか当時のMLが発掘されてその全容を知ることができた。
 現在、会員になるには三名以上の会員の推薦が必要で、その推薦文がまず事務局に届られ、その内容は事前の事務局通信に掲載される。会員から異議申し立てがあった場合は「事務局」が検討する。そうした上で問題ないとなった場合は総会に諮られ(少なくともひとりの推薦人が総会の場で推薦の辞を述べることが必須)、一定以上の賛成で入会が可決される、という手順だ。ただしふしぎな「不文律」がある。プロとして一冊以上の単独著書があることが前提条件だというものだが、誰がいい出したのか定かではない。一部のアマチュアSFファンダムを排除するための方策であったともいわれるが、こうした会則に明示されていない不可解な「不文律」の存在は、会長時代にクラブを運営するにあたり大いに悩まされることになった。私としては会則の文面が何より第一であり、事務局内の作業マニュアルなどは現場に応じて臨機応変に変えればよいことだと思っていたからだ。しかしクラブ内では会則よりもこうした「不文律」や、その場しのぎの「マニュアル」を、会則と同等かそれ以上に重視する傾向が多々見受けられ、戸惑わされた。

 そもそも会長になって会則を熟読して驚いたのは、会長の役割が明記されていないことである。会則によれば、会長ができることは次のふたつしかない。ひとつ、委員会を設置できること、ふたつ、臨時総会を招集できること。これだけである。一方、事務局長には絶大な権限が与えられている。総会や日本SF大賞の運営のみならず会計の決定権も事務局長にある。しかも総会では事務局長が議長を務めるのがなぜか通例であり、委任状として議長に投票権を預けた者は、自動的に事務局長に賛同したことになる。これはほぼ事務局長の独裁政権が可能な体制であり、それゆえ事務局長職に就く者は誰よりも優れたバランス感覚の持ち主でなければならない。そしてもっと驚くべきことに、会長と事務局長の関係がどのようなものであるかさえ、会則には明示されていないのである。極端なことをいえば、事務局長は会長の意思を確認することなくクラブを運営し、金を動かすことが可能である。
 日本SF作家クラブウェブページの「沿革」を見るとわかるように、かつてクラブには事務局長しかいなかった。この事務局長職は、国連事務総長をモデルにつくられたという小松左京さんの談話が残っている。かつてSF作家はひとり1ジャンルといわれ、それぞれに熱心なファンクラブがついていた。各会員はそうした「国」の代表者であり、事務局長はそれを取りまとめる国連事務総長というわけだろう。初期のクラブが国連ごっこをしていたと思うと微笑ましいが、このモデルは50年を経た現在、約250名を擁するクラブの運営にそぐわないものとなっている。
 実際、私が会長の時代、大森望氏の入会推薦がうまくいかなくなってからは、事務局との間に深い溝ができるようになってしまった。「事務局員は事務局長の下につくのであるから、たとえ会長といえども口出しをしないでほしい」といったクレームを事務局メンバーの一部から受けたこともある。私は孤立化し、運営に口出しすることがほとんどできなくなったので、この硬直した事態を改善するためには新会長を立てて自分が退く道を選ぶほかはなかった。
 では、なぜ会長職ができたのかというと、はっきりしないのだがどうもかつてクラブが某出版社と揉めたことがあり、その出版社に正式にお詫びをするため、クラブの代表者を立てなければならなくなった。そのため星新一さんが初代会長になったのだという話を聞いたことがある。つまり当初から会長職はお飾りであり、クラブが何か問題を起こした際に謝罪する係でしかなかったようだ。
 さて、先に書いた「事務局」が検討する、という会則の文面は、実際には「事務局長」が検討すると読むのだと教えてもらったことがある。それほど遠くない時代まで、事務局といえば事務局長ひとりだけだったからだ。事務局補佐員が増えたのはここ数代のことであるが、ここにもねじれた経緯がある。かつては事務局のことはほとんど事務局長が決めていた。しかし高千穂会長時代、第18代の事務局長であった久美沙織さんは、いろいろと自分だけで決断するには自信のないことも多かったのだろう、他の事務局補佐員に意見を求めることが多かった。ここから、事務局のことは事務局メンバーが話し合って決めるという雰囲気が醸成され、次の新井会長時代の第19代井上雅彦さんのときには、井上さんの仕切りで事務局メンバーに意見が求められ、その合意を新井会長が承認する、というかたちが取られるようになった。この習慣は善い面と悪い面をもたらした。つまり仲良しクラブであるという面が強調され、事務局全員の合意がなければ事案が通らない、という悪い側面をもたらすようにもなったのである。

 新井前会長と私が会長の時代、新規会員の推薦事案で、2名が却下されている。松崎有理さんと大森望氏である。松崎さんは創元SF短編賞の受賞者であり、「あがり」という短編で受賞したとき、ほどなくして入会推薦の話が会員から出た。なぜかこの事案は新人賞検討委員会に持ち込まれ、後に述べるA氏が「一冊以上の単著があること」という不文律を持ち出し、「よくよく検討する必要がある」と慎重案を提示して、入会推薦は総会に諮られることなく却下された。後に松崎さんは単著『あがり』を上梓し、そのときに入会推薦が認められている。
 創元SF短編賞はSFの新人賞であり、通常の感覚で考えるなら日本SF作家クラブは協力の立場を採ってよいはずだが、クラブはその立場を採っていない。自前の日本SF新人賞はともかく、小松左京賞にも積極的な協力をし、現在のハヤカワSFコンテストにも協力の立場を採っている(これは私がそのようになるよう仕向けた)のに対し、奇妙な立ち位置である。
 さて大森望氏の場合である。大森氏を嫌っているクラブ会員のA氏とB氏について、なるべく中立な立場で述べてみたい。大森氏は一度、1992年に入会推薦が総会に諮られ、却下されている。ふしぎなことにこのときの事務局通信は発行されておらず、この総会に関する公式な議事録はクラブに残っていない。しかも推薦者は総会を欠席している。総会ではA氏が熱弁を振るい、会員にふさわしくない旨を語ったそうだが、その理由について具体的なところは他の会員はよくわからなかったようである。私の印象では、A氏はかつてある文章によって大森氏にプライドを傷つけられたと強く感じ、大森氏を嫌うようになった。時が経ってもその態度を覆すことは、後のご自身のプライドが許さなかった、ということだと思っている。若いころの大森氏がやんちゃで、問題のある発言をしていたことは事実のようであり、そのことはご本人もいまは反省されているようだ。
 私は当時出席していた複数の会員に聞き取り調査もおこなったが、各人の印象はまちまちであった。議事録が発行されていないのだから、当時総会を欠席した会員にはなおさら事の次第はわからなかったであろう。現在の大多数の会員が1992年当時のことを知らないのは仕方がないことで、事務局内でもそれは同様であった。あまつさえ、当時のことを2011年の2012年3月総会(*1)に向けた推薦人らに、事前に知らせたり忠告したりするのはまず不可能であったといえる。
 2011年2012年に再び大森氏の入会推薦が提出された際、私たちは通常の形式に則って、総会前の事務局通信にその推薦文を掲載した。会則に則ってB氏を含む複数のクラブ員から異議申し立て文があった。私は会長職として会則に則り、「事務局」全体でこの異議申し立て文を検討するとともに、そこに書かれていた内容や1992年当時の状況を正確に知るべく、できるかぎりのことをした。1992年の総会について議事録を探し、当時の会員に聴き取りをしたことは前述の通りである。もうひとつ、B氏が大森氏を信用しなくなった理由についても、私のできる範囲で事実関係を確かめようとした。
 事の次第はこうである。1997年、ある出版社の宴会が催され、そこに多数の書き手が集った。その一部の人たちが、B氏を揶揄する替え歌をつくったのである。それを山形浩生氏が、問題のある文脈で、ある雑誌に書いてしまった。山形浩生氏のテクハラ裁判の件についてはここでは省略するが、B氏はこの替え歌づくりに大森望氏も関与していたと後に考えるようになった。かなりはしょって書いたが全体像としては間違っていないと思う。
 私は会長として、B氏と大森氏の双方から詳しい話を聞いた。またB氏の異議申し立て文の内容も事務局内全員で精読された。事務局内のおおむねの評価は、B氏の異議申し立て文の内容は多くが伝聞に基づくものであり客観的な評価が困難であるというものだった。大森氏から訊いたところでは、確かにその宴会には参加したが、替え歌をつくった人々とは席が離れており、替え歌づくりにはまったく関与していなかったとのことであった。私はB氏に電話し、大森氏の意見も伝えた後、なぜ大森氏が替え歌事件に関わると考えるようになったのかと尋ねてみた。「あなたは裁判をする人を間違えている。テクハラ発言を言いふらしているのは大森氏だ」という発言をB氏はある人から聞き及び、それ以来、大森氏を嫌うようになったとご本人が述べていたからだ。
 B氏に尋ねると、その発言をした人物とは作家の友成純一氏であるとのことだった。私はこれに驚き、友成氏に事実を確認していいかとその場でB氏に尋ねたが、返答ははぐらかされてしまった。(*2)
 以上のB氏とのやりとりは、しかし収穫もあった。B氏は「大森氏に、私はまだこんなに怒っているんだ!」と伝わってほっとしたと私に感謝の意を述べていたし、異議申し立て文の全文を会員に公開する必要はないもののB氏がテクハラ裁判の件に関わる真相を知りたがっており、そのわだかまりがずっと残っているという点を多くの人に知ってもらいたいと考えている点では私も共感し、理解したからである。
 友成氏は海外に暮らしているし、私はその連絡先も知らないので、確認のしようもなかった。しかしいつか友成氏に会う機会があったら尋ねてみたい。なぜB氏にそのような話をしたのかと。そうすることによって少なくとも事の真相の多くは明らかにされ、B氏の心の中にたとえわだかまりは残るとしても、おかしな噂話がSFコミュニティ内でひとり歩きすることはなくなるだろう。そうなることを私は願っている。
 さて2011年2012年のとき、このような聞き取り調査をおこなったにもかかわらず、結局のところ、大森氏の入会推薦は見送られた。それは事務局メンバーのひとりから、「クラブは親睦団体であるのだから、このような異議申し立て文が出た時点で、クラブを混乱させるかもしれない人物の入会検討は見送るべきだ。事務局はこの一件から速やかに撤退した方がよい」との意見が出たためである。私の会長時代、事務局長はなぜかわからないが新井会長・井上事務局長時代の事務局員をそのまま登用することにこだわり、全員の合議によって物事を進める雰囲気がすでに出来上がっていた。ひとりでも反対意見があれば「事務局」の総意は得られない。そのため総会の前日に、入会推薦の案件は事務局判断によって見送られることになった。私は最後まで、「これは推薦の取り下げではなく、事実関係の確認が為されるまでの保留事項である」と主張したが、議長でもある事務局長は総会の際、「この推薦は取り下げられました」とさらりといってのけた。

 私は少なくともクラブの会則は抜本的に改定するべきだと思っているし、実際会長職の間にはそうしたところにも手をつけたいと思っていた。会則そのものより「不文律」が幅を利かせる雰囲気もまずいと感じており、もっと風通しのよいクラブにしたいと考えていた。しかし1年や2年でできることではない。今後のクラブ員の良心に期待するほかない。
 会長と事務局長はつねにバディとして行動すべきだというのはもっともな意見だと思う。しかしそれがいったん破綻したとき、クラブの運営はたちまち立ちゆかなくなる。そうした危機的状況の際に、本来ならば会則に立ち戻り、事態が回復されるべきであろう。いまはそのようになっていない。これがクラブの信頼をじわじわと50年にわたって失墜させた原因でもあると私は思っている。そしてこうした膿を生んだ背景には、残念ながら私が作家として敬愛する小松左京さんなどの言動が尾を引いたということもあるのではないか。
 私たちは先達の善い面を受け継ぎつつ、反省すべき点は反省し、よりよい状況へと変えてゆく必要がある。私はそのことも会長辞任のスピーチで述べた。あとはクラブ員の自治性にかかっている。

 私が会長時代におこなったもっとも重要なことは、会計担当と広報担当を事務局に戻したことだと思う。それまでクラブの会計は、高千穂会長時代に高千穂さんの知り合いである外部の方にお願いし、そのままになっていた。日本SF作家クラブのウェブページも、多くのSFプロ作家が懇意にしている外部の方にその作成と管理をお願いしていた。しかし会計と広報は、クラブの内側と外側を繋ぐ、もっとも大切な部分である。こうした重要な役目を、クラブは外部に任せっきりにしていたのである。(それまで会計と広報を担っていただいた外部のおふたりは、人間的にもよい方々であり、私はいまも感謝している。ウェブ広報に関してはその外部の方にいまも一部の作業をお願いしているはずだ)
 日本SF作家クラブは自由団体であるのだから、遊びも自分たちで責任をもっておこなうべきだと私は考えた。クラブ員をふたりスカウトし、会計担当になっていただいた。広報担当もスカウトし、Twitterを開始した。いずれも当初は仕事に慣れず、私との確執も生まれ、一部の担当者は途中で辞めてしまわれたが、私自身はいまも彼らに感謝している。50周年記念サイトもクラブ員の自主性によって管理・運営・更新できるようデザインした。事務局通信は数世代前から節約のためメールに切り替えられたが、一部の会員にはいまも郵送で送られている。この郵送手配もかつての会長の知り合いの会社に頼んでおり、それなりの経費がかかっていたが、自分たちでおこない節約に努めるようにした。実際は私・瀬名秀明自身が印刷し、封筒に詰め、郵便局に持っていくようにしたのである。いまはどうなったのか知らないが、そういうちょっとした改革は大切だと思っていた。ようやく日本SF作家クラブは自分たちの手によってクラブを運営し、遊べるようになったのである。地味ではあるが、これらの改革ができたことを、私は誇りに思っている。

 あともう1回、気が向いたら「おたく文化」と「SF文化」の違いについて思うところを書くかもしれないが、本日はここまで。


【2014年1月2日追記】
 *1 年を間違えていたので修正しました。
 *2 2013年12月31日、評論家・翻訳家の尾之上浩司さんからご連絡を頂戴しました。尾之上さんは仕事の関係で友成純一さんにも私・瀬名にも繋がりがあるので、この件について尾之上さんが直接友成さんに知らせて、確認を取ってくださったのです。私はfacebookをやっていないので自分で見ることはできないのですが、尾之上さんと友成さんのやりとりはこちらのリンク先で見ることができるようです。facebookに登録なさっている方はご覧下さい(私・瀬名は一度facebookに入ったのですが、ちょっとやってすぐに退会しました。なのでいまは自分のパスワードを入れても中に入れないのです。ただ瀬名のページ自体は残っているらしい?です)。
 尾之上さんにご仲介いただいて友成さんのコメントを拝読し、私のブログに引用したりリンクを貼ったりしてよいかとうかがったところ、友成さんからご快諾をいただきましたのでそのコメントの一部(いちばん大切な部分)をここに引用します。友成純一さんがこのブログをお読みになってのご感想です。
(以下引用)
--------------------------------
Junichi Tomonari 読みました、読みました…全く根拠のないデマです。私、テク何とか裁判ってのも知らない。てっきり大森君、既に会員になってると思ってた。「今度の総会に出るの?」なんて訊いて、初めて未だだって知ったくらいで…唖然です。
何はともあれ、お知らせ有難うございます。
--------------------------------
(引用終わり)
 ブログに書いたように、2012年3月の総会の議案事項であった大森望氏の入会推薦について、B氏から頂戴した異議申し立て文のもっとも重大な主張、かつ唯一の明確な論拠は、裁判期間中にとある「映画関係者」から「あなたは裁判をする相手をまちがえている、『(B氏はB氏名義の著作を自分では)書いてないよなあ』と言いふらしているのは大森望氏だ」と指摘されたため、自分は大森氏を信用することはできなくなった、このように問題のある人物は会員にふさわしくない、というものでした。異議申し立て文では重要人物である「映画関係者」の名が伏せられており、それで当時会長であった私は事実関係を確認するため、B氏に電話口で直接「この映画関係者とは誰か」と問い、友成純一さんであるとはっきりお返事をいただいたのです。(当時、私はそのメモを残し、事務局員と共有したので、私の記憶違いではありません)
 ところが今回、友成さんからはまったく異なるお返事を頂戴しました。B氏の異議申し立て文の一番重要な部分が大きく食い違うことになったので、B氏の異議は客観的にその根拠を判定できないことになります。
 なおB氏はもう一点、1992年にいったん入会拒否された案件をなぜ再審議するのか、という点も問うていましたが、否決された件を再審議してはいけないという会則はありません。当時の事務局や私がB氏の訴えに基づき慎重に、かつ懸命に1992年当時のことを調査し、議事録等が残っていないことなどを見出したのは既述の通りです。会員のごく一部には、ご自身の価値観に基づき、再審議すること自体を否定する方も確かにいらっしゃいました。しかしそれは多くの会員に共有されているクラブの「不文律」ですらありませんでした。人間は歳月を経ることによって反省し、成長し、変わりうるのだということを考え合わせると、たとえ再審議の事案であっても会長と事務局の判断によっては事を進めても構わない、あるいはそれに関する小委員会をつくってクラブ内で議論し、一歩ずつ物事を進めてゆくことはできる、というのが当時の私と事務局側の判断でもありました。
 私が会長時代、いちばんの懸案事項であった問題が、これによって大きく進んだことを、いま私はとても安堵し、嬉しく思っています。貴重な証言をお寄せくださった友成純一さん、また仲介の労を取っていただいた尾之上浩司さん、本当にありがとうございました。

【2014年1月4日追記】
 この件に関して友成純一さんと直接メールのやりとりをすることができました。友成さんのご許可を得て、友成さんから頂戴したメールの内容を「2013年の終わりに際して(追記)」に掲載しましたので、ぜひご覧下さい。
posted by 瀬名秀明 at 11:45| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2013年12月28日

2013年の終わりに際して

 日本SF作家クラブ50周年にあたる2013年が終わろうとしている。日本SF作家クラブは1963年3月8日に、当時の作家・翻訳家・評論家・編集者ら11名によって旗揚げされた自由団体である。現在はおよそ250名の会員を擁しているはずだ。私が第15代新井素子会長から次の会長を打診されたのはずいぶん前のことだったが、実際に引き継ぎの打ち合わせを当時の会長・事務局長・事務局メンバーらと話し合ったのは2011年7月27日のことだった。勘のいい人は分かったかと思うが、この前日に創設メンバーの小松左京さんは亡くなっており、しかしわれわれはそのことを知らされておらず、翌28日にその死は発表された。
 27日の打ち合わせの夜、みなでアイリッシュパブに行って飲んだ。このとき私の会長時代にクラブが50周年を迎えることを知り、メンバーひとりひとりに50周年で何をやりたいか訊いていった。みな大きな夢を語り、それは実に楽しい会となった。私が後に日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトの実行委員長も兼ねて、このプロジェクトで必ず2013年に日本SF&ファンタジーを盛り上げようと誓ったのは、この夜の楽しさがいつまでも心に残っていたからに他ならない。
(ただし逆にいえば、それまで前会長と事務局は50周年に向けてほとんど何も準備をしていなかったということでもある。後に私は知るが、すでにこのとき徳間書店が日本SF大賞から後援を引き上げたいという話も内々では出ていたようだ。しかし前会長と事務局グループはそれに対する具体的なアクションをとっていなかった。日本SF新人賞がなくなった後、申し訳程度の対策委員会がつくられていたが、徳間書店と早川書房に意見を求めたほかは小松左京事務所と星ライブラリの知り合いの会社に協力を求めて玉砕しただけで、ほとんど何も委員会としては機能していなかった。──クラブ員の多くは、たとえクラブが危機的状況に陥っても誰か外部の有能な人がきっと助けてくれる、と思っていた節さえある。まさに新井会長と事務局長の当時の目標は、もっとクラブを「お友だちグループ」として機能させようということであった。ファンダム出身者がプロ作家の推薦でプロダムに入ってゆく、という構図でSFに関わってゆくことが多いSF業界では、「お友だち仲間」と「ビジネスパートナー」の区別を考えない人が多いように思う。新井会長は図らずも[それが善いとか悪いということではない]そうしたSF業界の抱える深い問題の申し子であったのだと私は思う)
 私は2013年3月1日の日本SF作家クラブ総会にて15分のスピーチをおこない、SF業界はいま一見夏を迎えているように見えるが、それは作家個々人の努力の賜物であって、クラブ全体の力によるものではない、むしろクラブは50年来最大の危機に瀕していると訴えた。次の東野司会長の時代にそれを立て直さなければならない、その策は幾つか東野会長とすでに話し合った、あとはとりわけ若いクラブ員に期待する、と述べた。そして会長職を任期半ばで辞任し、同時に退会した。
 これで私は完全にSF業界とは縁が切れた。ただ、後にクラブの事務局通信(クラブ員にメールないし文書のかたちで届く通信)が4月1日に発行されることになるが、このとき私のスピーチは事務局側が要約して掲載するのだと思っていたのに、私自身に原稿の依頼が来た。そこで私は新たに原稿を書き、事前に数名の方に内容を確認していただいた上で事務局に提出した。その文章で私は藤子・F・不二雄先生のSF短編「イヤなイヤなイヤな奴」を引用し(このマンガはおそらく某海外SF先行作品が元ネタだろうが、ここでは関係ないことなので省略)、SFコミュニティのようなところは誰かひとりを強く憎み、敵と見なすことによって団結しやすい、いま危機にある日本SF作家クラブに必要なのはそうした団結力であるのだから、今後はいっそ瀬名秀明を共通の敵と見なしてクラブの未来をみなでつくり上げていってほしい、と述べた。
 私は東野司さんと現在の事務局長・北原尚彦さんには全幅の信頼を置いている。若いクラブ員を集めて委員会をつくり、今後の日本SF大賞を含めクラブの運営について徹底的に議論し、若い人たちの希望に応えるかたちでクラブを建て直していってほしい、それも1年という期限つきでおこなうのが望ましい、と私は東野さんに伝えていた。その後のクラブ内の詳細についてはほとんど知らない。

 昨日、日経「星新一賞」のホームページで、瀬名が初回の最終選考委員も辞退した旨が報告された。以前に書いたように、これは星ライブラリサイドと瀬名の考え方の相違による結果である。私は会長時代、日本SF新人賞に変わる新しい新人賞を起ち上げるため多くの可能性を探った。不景気の世の中であるからなかなかスポンサーが見つからないことはわかっていた。だから学術団体や企業のメセナ活動に期待をかけ、まずは公立はこだて未来大学との連携を図った。その後星ライブラリサイドが自分の知り合いを通して某社に声をかけたため、最終的にはそこが中心となって主催や協賛企業への打診がおこなわれ、いまのかたちになった。
「理系文学」というコンセプトを最初に打ち出したのはその某社であるが、私はすぐにこれに全面的な賛成をし、多くのアイデアを出して協力を続けた。日経「星新一賞」は新しい「理系文学」を目指す賞である。よって最終選考委員も全て理系出身者にすると、ごく初期の段階で合意がなされた。ただし公立はこだて未来大学に協力を正式に求める際、日経という一企業の主催事業に公的機関が協力するかたちを取るのは難しい、だから星新一賞実行委員会を内部でつくってもらい、しかも最終決定権は星ライブラリと瀬名秀明にあるという内々の決めごとをした上で、実行委員会を通すかたちで協力したい、という申し出があった。私たちはそれに応え、星新一賞実行委員会をつくり、私も一時はそのメンバーであった。
 しかし星ライブラリサイドと私の考え方の相違は、そのころから顕著になった。星ライブラリサイドはやはりSFコミュニティの抱える一側面、すなわち仲間内やお友だち関係で組織を固めて安心したい、というお気持ちが強かったように思う。日経「星新一賞」はあくまでも全国区(あるいは世界からの応募さえ視野に入れていた)の賞であるが、星ライブラリサイドの求める賞の性格はやはり星新一の亜流作品であり、イベントについても知己の団体に頼みがちであった。星ライブラリは私が会長だった時代から「友だち」として私を捉えることが多くなり、ビジネスと友人関係を混同することが多くなっていったように思う。それが私には問題であると感じられた。率直にいえば、私は友だち感覚とビジネスを混同するSFコミュニティのあり方が大嫌いなのだ。『星新一すこしふしぎ傑作選』の編纂作業は、私や集英社にとって苦労の多いものとなった。
 今回、私に代わって新井素子さんが最終選考委員に就いたという。新井さんに悪いところは何もない。実行委員会からの要請を断るのは難しい立場だっただろう。
 しかし星新一賞実行委員会は、この賞が理系文学の賞であり最終選考委員もすべて理系とする、という重大なコンセプトを曲げてでも、文系出身の新井さんを選んだのである。このようにSFコミュニティの一部は、友人関係でメンバーを登用するあまり当初のコンセプトやヴィジョンを台無しにしてしまうことが多い。今回の場合、実行委員会のことはすべて最終的に星ライブラリが決めているはずであるから、星ライブラリの決断ということになる。だが日本にはいまも理系文学を開拓しつつある優れた作家がたくさんいる。たとえ狭義のSFコミュニティから外れても、星新一ゆかりの人でなくとも、そうした理系文学の作家たちに声かけをすることはできなかったのかと、遺憾に思う。
 ところで牧慎司さんがご自身のTwitterで瀬名の星新一賞選考委員辞任について「くわしい事情はわからないけど」とお書きになっているが(2013/12/27 16:13:14 JST)、もしこれが本当なら、実行委員会は3次予選の選考者に詳しい説明をしていないわけで、これもまた問題があると思う。

 1月11日に東浩紀さんと大森望さんでトークイベントをおこなう予定となった。私にとっては久しぶりのSF関係のイベントだ。しかしここで上述したようなことを話して、SFコミュニティの問題を語り合うようなことはなるべくしたくない。だから事前にこのようなかたちで個人的な文章を書いてみた。気が向けばもう少し続けるかもしれないが、本日はこれまで。
posted by 瀬名秀明 at 14:53| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

仕事

*岩崎書店様のシリーズ「21世紀空想科学小説」で、瀬名が執筆者のひとりに入っている広告がかつてありましたが、瀬名の本は出ません。以前に岩崎書店様と話し合いの結果、双方で了解に達しました。シリーズは全9冊で終わりだとうかがっています。
*「Nature」誌が200文字以内のSF小説を募集中。日経「星新一賞」よりだんぜんこっちじゃね? 日本の学術誌や「日経サイエンス」もこういうのやればいいのに。マイクル・クライトンやテッド・チャンも「Nature」に書いたことがある。(ちなみに私・瀬名秀明も、「Nature」の東北大学特集号でサイエンスコミュニケーション活動の登壇者としてなら写真が載ったことがあるw。父は論文をばんばん載せているが、息子の私は論文が載ったことはない) →リンク先


【対談】マイナビ就活ガイドブック 薬学生のための就活スタート号2015/2013.12/巻頭特別対談/瀬名秀明×鈴木康夫「多様化する医療現場が求める薬剤師の未来像」pp.14-17
【対談】西村周三、瀬名秀明『希望を語るビューティフル・エイジング 不確実な未来に挑戦する知的討論』/対談シリーズ「Dr. ジレ!」/2013.12/ディジタルアーカイブズ/本体500円/電子書籍 amazon】【honto】【広告
【エッセイ】メフィスト/2013 Vol.3(2013.12.4発行)/あとがきのあとがき/(無題、『月と太陽』)
【帯推薦文】スコット・ウエスターフェルド『リヴァイアサン ─クジラと蒸気機関─』/小林美幸訳/ハヤカワ文庫SF/2013.12.15/ISBN978-4-15-011933-1/本体900円/帯推薦文
【書評】週刊朝日/2013.12.20号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「赤い雨の正体と生命誕生の謎」p.87


【新刊】瀬名秀明『新生』/河出書房新社 NOVAコレクション/2014.2.28/ISBN978-4-309-62225-5/本体1600円/装丁=川名潤(prigraphics) amazon】【honto】【広告 *1
【新刊】瀬名秀明『夜の虹彩』/出版芸術社 ふしぎ文学館/2014.1.25/ISBN978-4-88293-456-1/本体1500円/日下三蔵「解説」pp.252-259/帯推薦文=眉村卓/装画=大川心平 amazon】【honto】【広告 *2




 *1 小松左京さんへのオマージュ作品3作を収録。とくに「ミシェル」は『虚無回廊』のスピンオフ作品(よって『虚無回廊』の事前読破をお勧めする)。SFで私がやるべきことは、本書でほとんどすべてやり遂げてしまったような気がする(現代SFとしては『希望』と『月と太陽』でおおよそのことはできた)。そのくらいの達成感がある。だから今後しばらくは狭義のSFから離れて、もう少し自由に書くことになるかもしれない。
 *2 「ふしぎ文学館」シリーズの一冊として刊行。「ふしぎ文学館」としては21年目、51冊目の作品集とのこと。収録作品の選定は編集部と日下三蔵さんにお任せした。結果、いままでの短編集から漏れた、いわゆる未収録作品集になった(その点、通常の「ふしぎ文学館」とは性格が異なる)。雑誌掲載以来自分でも一度も読み返したことのなかった幻のデビュー第一作「翳りゆくさき」から、現時点での最新短編作品「擬眼」までを収録。自分では密かに気に入っている時代ものや神話ものの作品(「ゴッサマー・スカイ」「不死の市」)はどうも不人気で、収録を見送られてしまった……。
posted by 瀬名秀明 at 11:32| 仕事の記録 | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

これからの講演

【講演】2013年度東北大学博士課程交流セミナー ― 博士でなければできないことを「今」考えよう―/2013.12.16(月)13:00-18:00/15:35-16:20「未来を想像し、未来を創ることについて」/17:0-18:00「座談会」/東北大学工学部キャンパス 青葉記念会館 4F 大研修室/参加費無料


【公開セッション】瀬名秀明×大森望×東浩紀「SFと復興――小松左京から考える」/2014.1.11(土)19:00-21:00/ゲンロンカフェ/前売=2500円、当日=3000円


【講演】静岡図書館友の会/2014.2.2(日)14:00-15:30/「明日を考えること、未来を小説でつくること」静岡県総合研修所もくせい会館/静岡図書館友の会会員=無料、一般=500円
【講演】平成25年秋田県立本荘高等学校PTA講演会/2014.2.7(金)17:30-18:30/「未来を想像し、未来を創るとはどういうことか」/カダーレ(ギャラリー1、2)
posted by 瀬名秀明 at 18:40| 仕事の記録 | 更新情報をチェックする

2013年11月24日

思ったこと

私は第5回創元SF短編賞のゲスト選考委員を仰せつかっているのですが、いままでこの賞ではゲストが選ぶ特別賞が出されています。例えば第1回では山田正紀賞「盤上の夜」など。
しかし今回、瀬名秀明賞をもし選出してしまうと、その新人は瀬名の名がついた賞を取ったがゆえに、SFコミュニティで嫌がらせを受けたり、無視されたり、日本SF作家クラブへの加入をごく一部の会員から拒否されたり、といった「いじめ」に遭う可能性があることに気づきました。
そうした事態を私は望みません。ですので、もし応募者の方で、従来のSFコミュニティのあり方が好きで、デビュー後もそうしたコミュニティに積極的に関わっていきたいとお考えの方は、プロフィール欄かどこかに「私はゲスト選考委員からの特別賞を辞退します」とご一筆いただければと思います。そういう作品は(少なくとも私からは)選ばないことにしようと、いま考えました。また賞の名前自体も、今回に限っては私の名前は入れず、ふつうに「ゲスト選考委員賞」などとした方がいいかもしれません。瀬名の痕跡をなるべくその方の履歴から外しておくという点でもよいでしょう。選考の場でレギュラー選考委員の方々や版元に提案してみたいと思います。


あと、私は今回、日経「星新一賞」の最終選考委員にも名を連ねていますが、主に星ライブラリサイドとの考え方の相違から、選考委員は今回のみお引き受けして次回以降は辞退させていただくことになりました。星新一賞の設立にあたっては私も一時期実行委員会に入って賞の性格づけに大きく関与して参りましたが、それにかかる報酬は、交通費を含めいっさい受け取っておりません。また選考委員としての報酬も慈善団体に寄附いたします。
また瀬名が選考委員に入っていると、かりに研究者が人工知能による作品を提出したとき、それらを優遇するのではないか、という懸念を持つ方もいらっしゃると思います。もし最終選考で、研究者を含め、知り合いの作品が上がってきたときは、それに対する評価を棄権するつもりですし、そうしたシステムを他の選考委員にも提案するつもりです。理系らしく、潔白で適正なレビューによって選考を進めるのが望ましいと私は考えています。
それでも何かと悪い噂をする人もいらっしゃるでしょうから、とくに人工知能研究者の方々は、私が選考委員を辞退する次回以降にさらなる力作をご投稿されるのがよいと思います。
上述のことは公式サイトには出ていませんが、もう第1回の応募締切は終わりましたし、別に発表しても構わないことだと思うので書きました。


同様に、「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」の顧問も、本年10月下旬に辞任いたしました。こちらのページから瀬名の名前が削除されていることをご確認ください。


さらに、今後の日本SF作家クラブ様の事業展開における人間関係の混乱を未然に防ぐため、瀬名が以前から懇意にして日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトや日経「星新一賞」へのご協力をお願いした団体とは、瀬名は関係を切るか、距離を置くことにいたしました。瀬名が関係を継続していると、日本SF作家クラブ様にご迷惑をかかると考えたためです。具体的には、五藤光学研究所、日本ロボット学会、情報処理学会、人工知能学会、上記の「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」などです。
posted by 瀬名秀明 at 16:45| ちょっとしたお知らせ | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

仕事

【対談】西暦2036年を想像してみた FORWARD THINKING IMAGINATION│リコー/2013.8.20/「瀬名秀明×仕事場」/イラストレーション=ざいん「WORKPLACE」/対談:山本陽平×瀬名秀明「FORWARD THINKING」 広告
【書評】週刊朝日/2013.8.30号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「深海で生命の起源に肉薄する」p.87


【帯推薦文】池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』/講談社ブルーバックス/2013.9.20/ISBN978-4-06-257830-1/本体1200円/帯推薦文 *朝日新聞掲載書評の再録
【エッセイ】ナイトランド第7号・2013年秋(2013.9.20)/夜の声 特別篇 リチャード・マシスン追悼 ホラーの巨匠追悼エッセイ/「おのれの現実を書き続けた作家」pp.86-87
【書評】週刊朝日/2013.9.27号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「PCを使って死者と会話≠キる」p.87


【エッセイ】ハヤカワミステリマガジン/2013.10/追悼リチャード・マシスン/「ただひとりの実存」pp.122-123
【講演録】静中静高同窓会報/第151号(2013.10)/(文責は同窓会と瀬名。署名なし)「第34回教育講演会 想像力と創造力こそSFの力──作家・瀬名秀明氏(102期)」p.2
【コメント】第53回日本SF大会 なつこんプログレスレポート1号/2013.10.10/「G.O.H紹介」(挨拶文はタイトルなし)pp.4-5/発行=なつこん実行委員会 →第53回日本SF大会 なつこん参加登録者のみ2013.11.11まで閲覧可能
【新刊】日本SF作家クラブ編『日本SF短篇50 X』/ハヤカワ文庫JA/2013.10.15/ISBN978-4-15-031131-5/本体1020円/「きみに読む物語」pp.475-526 【amazon】【honto】【広告1】【広告2】 *1
【書評】週刊朝日/2013.10.25号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「絶妙なさじ加減の科学的発想」p.85
【新刊】瀬名秀明『月と太陽』/講談社/2013.10.28/ISBN978-4-06-218650-6/本体1600円/装画=中島梨絵、装丁=鈴木久美(next door design) amazon】【honto】【広告1】【広告2】【広告3 *2
【帯推薦文】松崎有理『あがり』/創元SF文庫/2013.10.31/ISBN978-4-488-74501-1/本体860円/帯推薦文 広告


【エッセイ】ハヤカワミステリマガジン/2013.11/特集 ポケミス60周年記念特大号「私の好きなポケミスBEST3 アンケート&エッセイ」/(無題)p.65
【鼎談】月刊ブレーン/2013.11/青山デザイン会議/川田十夢、瀬名秀明、玉樹真一郎「第170回 未来のビジョンを描く力」pp.86-95
【エッセイ】大橋博之編著『少年少女 昭和SF美術館 表紙でみるジュヴナイルSFの世界』/平凡社/2011.11.20/ISBN978-4-582-83591-5/本体3800円/ゲスト・エッセー1「怪奇雨男に魂を奪われていたあのころ」pp.16-17 amazon】【honto】【広告1】【広告2
【新刊】星新一・作、瀬名秀明・選、yum(ゆむ)・絵『星新一すこしふしぎ傑作選』/集英社みらい文庫/2013.11.10/ISBN978-4-08-321183-6/本体620円/「解説」pp.184-189 amazon】【honto】【広告 *3
【書評】週刊朝日/2013.11.22号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「医療現場で必要な三つの努力」p.87



 *1 『日本SF短篇50』シリーズの最終巻。作品の選択は選者の皆様にお任せしたのですが、実はひとつだけ、私から要望を事前に伝えていました。それは(当時)会長であった瀬名の作品は入れないでほしい、というものでした。なぜなら会長が特別扱いされていると思う人が出てくるかもしれないから。しかし選者の皆様が選んだので、私は掲載を了解しました。「ニセ科学批判」小説はいろいろありますが、本作品はおそらく世界でいまなお唯一の「ニセ科学批判批判」小説ではないかと思います。それがこうしてSF傑作選に収録される時代になったことに、感慨を覚えます。──あ、あと、タイトルはニコラス・スパークスの小説の邦訳版から借用しているのですが、期待もせずに念のため読んでみた続編の『きみに読む物語 星空のウェディング』がめちゃめちゃ面白くて、作家ってデビュー作からこんなに技量が上がるものなんだと驚きました。お薦めです。

 *2 中短編集。「ホリデイズ」「真夜中の通過(ミッドナイト・パス)」「未来からの声」「絆」「瞬きよりも速く」の5編を収録。とくに最後の2編は大幅に加筆修正。従来の瀬名秀明とは異なる佇まいの、凛とした本に仕上げていただきました。

 *3 選定にあたり多くの制約があったアンソロジー。以前から「既存の文庫版の表題作を、同じ判型の他社アンソロジーに収録しないこと」という新潮社サイドからの希望があったが(そのため文庫版の『日本SF短篇50』にも文庫表題作は選出できず、たとえばかつての新井素子選『ほしのはじまり』もわざわざ判型の違うハードカバーで出版されている)、今回から「たとえ判型が異なっても文庫表題作は採らないでほしい」という要望に変わった。つまりもう金輪際、新潮文庫以外では「ボッコちゃん」や「午後の恐竜」は絶対に読めない、ということになったのだと私は理解している(こうした措置が本当に星新一作品の未来によいことなのか私にはわからない)。この他にも星ライブラリサイドからいろいろな要望があり(決して強制ではないが、そうなると嬉しい、というタイプの要望)、それらすべてを充分に満足させることも難しかった。また版元の希望により、講談社青い鳥文庫の既刊2冊と角川つばさ文庫既刊2冊の収録作は除外した。なんとかそうしたなかで編集者と話し合いつつ、最善の選定ができたと信じているが、熱心なファンの方にはご不満な点も多々あろうかと思う。なお本書における選者印税や瀬名の仕事の報酬はすべて、しかるべき人々や慈善団体に寄附される。
posted by 瀬名秀明 at 15:07| 仕事の記録 | 更新情報をチェックする