私が初期に実行委員会メンバーとして参加した日経「星新一賞」の第1回受賞作品集が、日経ストアからダウンロードできるようになった。それを機会に、いままで星新一賞に関して体験してきたことや、個人的に思ったことなどを記録しておこうと思う。SF業界ではこうした回想録がなかなか公にならないので、後に歴史を振り返るときとても苦労することが多いというのが実感である。だからあくまで私個人の回想録として、と断った上で、項目立てて書いてみたい。
《設立の経緯》 「
2013年の終わりに際して」(2013.12.28付)で述べたように、もともと
日本SF作家クラブ主催の日本SF新人賞が2009年に休止したため、何とかそれを復活させたいというクラブの意向で、新井素子第15代会長・井上雅彦第19代事務局長のもと、「新人賞検討委員会」が発足したことに始まる。ちなみに委員会を設立できる権限は会長が有する。
SF長編新人賞であり日本SF作家クラブが積極的に応援していた小松左京賞も、2009年に休止していた。そのためSFを対象とする新人賞が一気に減り、関係者の間に危機感があったわけである。
ところが「
2013年の終わりに際して」で述べたように、日本SF作家クラブは、内部で仲良く議論することは得意だが、外部に積極的にアプローチして、スポンサーを見つけ出すということができず放置されていた。ただし長編新人賞は「小松左京賞」、短篇新人賞は「星新一賞」と名づけたい、というアイデアが小松左京事務所の乙部順子さんからあり、この話は生きていた。
いったん休止した「小松左京賞」を別のスポンサーで再開するのは難しい。そこで私はまず「星新一賞」に的を絞った。私が会長になることがきまった時点で、学術団体のメセナ活動との連携を期待し、大学や学会、科学施設などに話を持ち込んだ。公立はこだて未来大学がよい反応を示し、事務員がひとり確保できる程度の協賛金が集まるなら、大学内に事務局を設置してもよい、情報処理学会や人工知能学会などで後援できる、という話がまとまりつつあった。こうした場にはもちろん星ライブラリ代表の星マリナ氏も同席し、それらの議論に賛同している。これら打ち合わせの成果のひとつが、いま公立はこだて未来大学を中心に進められている「
きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」だ(当初は私も顧問としてメンバーに入っていた)。星マリナ氏は星新一さんの次女。星新一さんの著作権継承者は妻の香代子さんだが、体調が優れないため近年は星マリナ氏が代理人として表に出るようになった。
さて大枠が決まり、私もほっとしたところで、具体的にスポンサーを探す作業に入ろうとした。公立はこだて未来大学の松原仁教授の弟さんである松原健二さんにも話を伺い、有望な企業を紹介してもらおうともしたが、昨今のIT・ゲーム業界は移り変わりが激しく、文学新人賞のように長く続けたい事業のスポンサーには向かないのである。
そんな折、星マリナ氏が突然、「自分の友人の女性が電通を知っている。電通に話を持ちかけてみたい」といい出した。いったん、私はそれに反対した。広告業界が深く絡むと、星マリナ氏の意向が充分に反映されなくなってしまう怖れがあり、星マリナ氏の不満が増えると考えたからである。いま考えれば、これも星マリナ氏の「お友だち感覚」であり「きまぐれ」であった。しかし結果的に星マリナ氏は友人を通して電通さんに話を持ちかけ、同時期に電通顧問のSF作家・評論家の鏡明さんにも連絡を試みた。そこで私も了解し、星マリナ氏の意向に賛成したのである。ここで日本SF作家クラブ主催のSF新人賞という当初の目的は、大きく方向転換を迫られることとなった。
星マリナ氏から「鏡さんが外国に行っているのか、連絡が取れない。瀬名さんが連絡してくれ」という主旨の話が来た。鏡明さんは日本SF作家クラブの会員だが、会員名簿には自宅住所しか載っていない。仕方がないので山田正紀さんに連絡先をうかがい、鏡明さんの事務所に電話して用件を伝え、2012年4月12日、私が汐留の電通に出向くことになった。
そこで星マリナ氏の友人経由で話を受け取った電通の社員さん数名と、初めて顔を合わせることになる。彼らは株式会社電通の「コミュニケーション・デザイン・センター」という部署の人たちで、広告だけでなくいろんなことをやる人たちであった(後で知るが、早川書房編集部の塩澤快浩さんと組んで、早川のSF作品を海外に売り込んでいた人もこのうちのひとりであった)。
電通の方々は、ひとつの案をすでに用意してあった。この案は事前に鏡明さんにも話して「瀬名さんと相談してごらん」といわれていたものらしい。そこで彼らが出したキーワードが理系文学≠ナある。
通常、理系の人は自分のことを理系とはいわない。理系というのはたいてい文系の人たちである。だがあえてSFではなく理系文学≠ニ名づけたところに私は斬新さを感じたし、従来のSFコミュニティのしがらみから抜け出した新しい分野を開拓できると思い、大いに賛成し、その場で多くのアイデアを話し合った。私自身、デビューのころ理系ホラー≠ニレッテルを貼られ、SF業界からも、文学業界からも異端視されて、辛い思いをしたことがあった。世界中には文芸新人賞がたくさんある。だが理系≠キーワードにした文学賞はないだろう。世界にひとつくらい、そんな斬新な新人賞があってもいいはずだ。従来のSFの概念さえ超える、挑戦的な賞になるだろう。そう期待してその打ち合わせは終わり、ハワイに住む星マリナ氏にもさっそくメールで報告した。星マリナ氏も理系が好きな女性であり、この案には当初大いに賛成していたと記憶している。後に証拠を示すが、この案には鏡明さんも大賛成していた。むしろいちばん過激なアイデアを主張していたのは鏡さんだったかもしれない。
さて「星新一賞」と名のつく賞に対して、多くの星新一ファンにはそれぞれ理想とするかたちがあるだろう。星新一というからにはショートショートの賞でなければならない、と考えるファンやSFプロパーも少なからずいるはずだ。しかし電通の提案した理系文学≠ニいうキーワードに、星マリナ氏と鏡明氏と私が賛同したことで、「星新一賞」は理系文学≠フ賞としてデザインしてゆくことが決まった。ならば理系文学≠ニは何か、なぜ「星新一賞」に理系文学≠ネのか、なぜSFやショートショートの賞ではないのか、ということに、論理的に答えられなければならない。
実は「星新一賞」が電通と組んで理系文学≠フ賞としてようやく設立できそうだから協力してくれと、私が2012年春に日本SF作家クラブ「新人賞検討委員会」に話したところ、一部の会員から猛反発をくらった。それまでの経緯もきちんと私が逐一報告していたにもかかわらず、である。上述のように、彼らの一部には「星新一ならこうだ」という固定観念があり、理系文学≠フ賞という斬新さに残念ながら理解が得られなかったのである。SFコミュニティは保守的だと私は感じた。この件は泥沼化し、新井元会長もおろおろするばかりで頼りにならず、星マリナ氏にとってもこの件はトラウマとなったようで、このとき反対した会員をいまも許してはいないだろう。結局「星新一賞」は独自に動き「新人賞検討委員会」は別途新人賞の立ち上げを検討することになった。私はその時点で「新人賞検討委員会」に見切りをつけたが、案の定、私が会長職を辞任するまで、「新人賞検討委員会」はまったく活動をせず、成果も上げることはできなかった。(ただしいま日本SF作家クラブのウェブページを見ると、「
現在、新人賞をリフレッシュして再スタートする準備期間にはいっております」と書いてある。私とは無縁に、頑張ってほしい)
そうしているうち、「新人賞検討委員会」メンバーであった早川書房編集者の塩澤快浩氏が、突然「ハヤカワSFコンテスト」を起ち上げると「SFマガジン」誌で宣言した。これは日本SF作家クラブ事務局側にも寝耳に水の話で、私も吃驚したが、やはり日本SF作家クラブとして応援すべきだし、星新一賞とよい関係を築いてゆきたいと考えた。そこで好意的な意味で星新一賞の電通メンバーと星マリナ氏に「ハヤカワSFコンテスト」の応募要項を知らせ、協力関係を築きましょうと呼びかけたのだが、ここで星マリナ氏が激怒した。
第2回の募集記事を見ても「受賞作品は、日本国内では小社より単行本及び電子書籍で刊行するとともに、英語、中国語に翻訳し、世界へ向けた電子配信をします。」とあるが、もともと星マリナ氏は「星新一賞」の受賞作を英語と中国語に翻訳して出版したいと考えており、そのことは議事録として「新人賞検討委員会」の掲示板にも載せてあった。そして塩澤快浩氏は日本SF作家クラブの会員であり、「新人賞検討委員会」のメンバーでもあったのである。星マリナ氏は、塩澤氏にアイデアを盗用されたといって激怒したのである。
わたしはすぐさま塩澤氏に電話し、「ハヤカワSFコンテスト」の要項について詳しく問い質した。英語と中国語への翻訳に関しては、星マリナ氏がそのようなことをいっていたのを、すっかり忘れていたのだということが、口調からもよくわかった。だが私は会長として「クラブの会員で新人賞検討委員会のメンバーでもあるあなたが、クラブに事前の報告もなしに新人賞を起ち上げたのは、倫理的にもどうかと思う。星マリナ氏に直接連絡してお詫びしてほしい。またクラブ事務局にも、事後でよいから新人賞を起ち上げた旨の報告書を出してほしい」と要請し、この願いは叶えられた。星マリナ氏は最初激怒していたが、実際にその応募要項が掲載された「SFマガジン」誌を入手すると、たった2ページの告知なので拍子抜けした、といって、関心を失ったのである。こうした調整は、いままで公にはしなかったけれども、私がやっていたのである。星マリナ氏の対応には気苦労が多かった。
星マリナ氏は、私のことを友人だと考えるようになり、気軽にその日思いついたことをメールしてくるようになった。たとえばこんなことがあった。祖父の小金井良精の胸像が東大医学部にあるらしい、それを見てみたいといい出した。そこで私はウェブを調べ、小金井良精の胸像が東大に3つあることを突き止め、それぞれ今どこにあるかも調べ、東大医学部の事務局に電話して、ご遺族が胸像を観たいといっているが許可してもらえるか、とお願いした。
そうした一連のことを、日本に来た星マリナ氏に伝えたら、「私はちょっと東大に入って、胸像を見られればそれでいいのだ」という。「星薬科大学など外部の人は出入りし放題だ」と。私は「本来大学には自治というものがあり、勝手に他者が入ってはいけないものなのだ」と諭し、「この事務員に連絡すれば見学させてもらえる」と伝えた。原型のものは現在、ある医学部研究講座の所有物となっており、建物のなかに入らないと見られないのだ。星マリナ氏は面倒を嫌がり、興味を失ったようだった。こういうことも私がやってきたのである。
さて「星新一賞」を理系文学≠ニ定義づける作業である。そもそも理系≠ニは何か? このニュアンスも明確ではない。星マリナ氏は「英語にSTEM fieldsという言葉がある、これが理系だ」といった。science, technology, engineering, mathematicsの総称である。だが
英語のwikipediaを見ると、medical scienceはSTEM fieldsに含めない、と書かれている。私の感覚ではSTEM fields≠ニは理系≠ニいうより日本語の理工系≠ノ近いような気がした。そこで私は星マリナ氏に「医療系は含めなくていいのか」と問うた。星マリナ氏の回答は不明瞭であったが、医療系・看護・介護系も「星新一賞」の理系≠ノ含めるべきだ、と私は主張した。実際、そのようになったと思う。私自身は、科研費の申請に用いられる分野細目表を電通さんや星マリナ氏らに提示し、明らかな文系分野を除く、総合系と理系分野を理系≠ニすればよい、と主張した。研究者ならこうした分類法のほうがしっくりくるはずだからである。だがこのあたりは星マリナ氏は関心を示さず、結局曖昧なまま進んだように思う。
星マリナ氏の理想とする受賞者像は、おそらく次のようなものだったろう。理系の大学か大学院に通う明晰な若者で、科学と小説を愛し、どちらでも世界で通用するような才人。将来、科学者としても作家としても颯爽と活躍できる人。ミチオ・カクのように、テレビの科学番組でも活躍し、わかりやすく、ユーモアを交えて先端科学を伝えられる人。私もそうした側面には賛同していたから、星マリナ氏に協力を続けたのである。日本の文芸シーンや科学シーンが変われば面白いという期待もあった。
ただ当初、星新一賞実行委員会のメンバーに、純粋な理系出身者は私ひとりだけだったのである(当時、実行委員会メンバーは電通の社員さんたちと、星マリナ氏と、私・瀬名秀明。鏡明さんはアドバイザーのようなかたちで会議に参加しており、後に正式なメンバーとなった)。だから理系のイメージや常識に関して、話が合わないことも多々あった。
すでにご本人がツイッターでほとんど告白しているのに等しいので述べるが、最近『夢巻』(出版芸術社刊)で単行本デビューしたショートショート作家の田丸雅智さんは電通の社員であり、後に星新一賞実行委員会のメンバーとなった人物である。彼は東大大学院工学系研究科出身で、だから星新一賞実行委員会で理系出身者は私と田丸さんのふたりだけだった。
田丸さんが2013年2月につくった資料をここで示そう。勝手に載せてしまうが、重要な資料だと思うので、許して下さい。
「発想力」と「洞察力」の掛け算。これが星新一の理系文学≠ナある、というのが私たちの考えだった。星マリナ氏もこれにはっきりと賛成した。私たちが星新一賞で受賞させたいと思うのは、こうした星新一の精神を受け継ぐ、新しい理系文学なのだとこのとき決まったのである。
ただ、残念なことに、電通さんは各協賛企業や主催者に賞の性格を説明する際、せっかく田丸さんがつくったこの資料をあまり丁寧に説明しない傾向があった。たぶん下読み選考委員の方々にも、こうしたことは伝わっていなかったのではないか。これが後々混乱を招く一因にもなったように感じる。
さて、さらに問題は山積していた。このように決まったとしても、星新一ファンのごく一部や、SFコミュニティのごく一部は納得しないかもしれない。「いや、ショートショートの賞でなければだめだ」と主張なさるかもしれない。そのことを心配した星マリナ氏は、「SFコミュニティがこの星新一賞を一丸となって応援してくれるという総意がほしい」といい出した。これには私も難儀した。
いくつかの方策が考えられる。まずエヌ氏の会、日本SF作家クラブに星新一賞の協力団体へ入ってもらい、お墨付きをもらうのである。この場合、「理系文学とは何か」と訊かれたら「SFです。広告代理店の戦略で理系文学≠ニいっています」といえばよい(この案は星マリナ氏自身が出した)。日本SF作家クラブはたとえ「新人賞検討委員会」が何といおうと、もう別途進めることになったのだから、あとは総会で了承を取ればよいだろう。問題なのは、星マリナ氏が、全国にあるSFファン団体のすべてからも総意を取りたい、といい出したことである。
実は私が日本SF作家クラブ会長のとき、SFWJ50(日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクト)は各地のSFファン団体とも交流を深めながら進めるべきだと思い、ウェブで調べて、連絡先のわかるところには私自身がメールを出し、協力していきましょう、こちらからも進捗状況を逐一伝えます、と連絡した。だが返信がきたのは3分の1程度であり、反応は薄かった。しかもSFWJ50の起ち上げ日というべき2012年10月6日のジュンク堂池袋本店のセレモニーが、「京都SFフェスティバル」と重なったということで、KUSFA(京大SF研)出身者のSFファンの人から、日本SF作家クラブが喧嘩を売ってきたなどと冗談交じりにツイッターで書かれたりして、私は実のところかなり傷ついていた。
星マリナ氏は、自分が何かの総意を取りたいと思ったら、それができるのだというふしぎな信念を持つ人だった。サーフィンの世界では、世界中のサーファーの総意がどうやら取れるものらしい。その経験を敷衍しているようだった。しかし総意を取るとは簡単なことではない。相手が組織化された学会なら理事会を通せばすむことだが、いったい日本中のSFファンの総意≠どうやって取れというのか。私が『星新一すこしふしぎ傑作選』(集英社みらい文庫)を編んだときも、どこまでの記述が許されるのかという点について、日本の児童文学界と集英社の総意を知りたい、と私にいってきて困らせた。
そこで私は、もとエヌ氏の会会員で、日本のSFファンダム事情にも詳しい評論家の牧眞司氏の名を上げ、彼に相談してみたらどうかと提案した。私は牧氏がきっと適切なアドバイスをして、星マリナ氏にもよい忠告を与え、物事をうまく運んでくれると考えていた。牧氏が星マリナ氏に甘いwということは知らなかった。
こうして星新一賞設立への道は進んでゆく。
思いがけず、ずいぶん長くなった。今回はここまで。
【追記】タイポをご指摘いただいたので直しました。ありがとうございます。
あと些細な部分で突っ込みがあったので、小金井良精の胸像部分に一文追記しました。