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webほんのしるべ編集部+瀬名秀明「文系人間のための〈科学本棚〉」

2014年03月30日

不評を集める

ほら、ツイッターなんかだと、たいていの人は自分に賛同してくれる意見とか、自分に都合のいい意見ばかりをリツイートして、あたかも自分が世間に認められているかのように印象操作するじゃない。私はああいうのが大嫌いなので、あえて自分に不利な意見ばかりを今後は集めていこうかなと思った。自分自身、このブログを見るのが辛くて仕方がなくなるような、どんどん編集者や読者が離れていくような、そんなブログにしてみたらどうだろう。それがフェアな精神じゃないか。

(以下引用)


5つ星のうち 1.0 買う価値なし 2014/3/23
By ishiharaeimei
形式:単行本(ソフトカバー)|Amazon.co.jpで購入済み
朝日新聞の口車に乗せられて購入。
出版社とマスコミの癒着をまたしても思い知らされたという
胃の腑にのこる鉛のような後悔。
瀬名センセはパラサイトイブやブレーンバレーのころには
ちゃんと読者のほうを向いて日本語で書いていた。
それを期待して読み始めた私がばかだったのでしょうか。
SF作家協会の会長センセともなると
こんな、そっぽ向いて呟いてるような
独り言小説を書いて嬉しがるようになってしまうんですね。
代金はいらないから、格闘して使った時間を返して。 →引用元


名無しは無慈悲な夜の女王:2012/02/03(金) 23:28:46.05
人の皮を本の装丁にする話も
「倫理は変わる」だけじゃなくて
なぜ倫理が変わって、倫理がどう変わって、社会がどう変わったまで
瀬名氏が熱心に考えれば、読者も納得出来る良い話になったかもだが、
今の段階では「装丁についてよく取材しましたね〜」話だ。
パラサイトイブ以来。「よく取材しましたね〜」話から一歩も出ていない。 →引用元#56

名無しは無慈悲な夜の女王:2012/03/09(金) 23:30:56.54
俺も瀬名は入れなくてもいいと思う →引用元#125

名無しは無慈悲な夜の女王:2012/06/22(金) 22:58:36.97
「イブ仮説」に便乗したワンアイディアバカSFを書いたのに
ハードSFを書いた気になってしまったところがこの人の不幸の始まり。
自分はバカSFしか書けないと気づいた方が吉。
バカSFは市場も広いし →引用元#158

名無しは無慈悲な夜の女王:2013/04/07(日) 16:08:35.79
単純につまんなかったな。
竹内久美子みたいなトンデモの利己的遺伝子話にうんざりしてたし。
小説の文章わかってなかったし。  →引用元引用元#228

名無しは無慈悲な夜の女王:2013/12/10(火) 06:27:14.12
てか瀬名ってトラブルメーカーで有名じゃん
お前らウブだな →h引用元#292

名無しは無慈悲な夜の女王:2013/12/19(木) 15:41:48.55
>>293
ブログの文章がちょっと境界っぽいよね
てか各所ともめ過ぎ
で、必ずうまく被害者ぶった文章なんだよね
なんか変  →引用元#296

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/01/03(金) 14:45:00.07
瀬名そのわりにはブログでSF作家クラブの会長にRTされたとか愚痴
あのさあ、その粘着やめたらいいんじゃないかなっ →引用元#316

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/01/07(火) 06:01:14.25
>>320
うん、真面目なんだろうけどネチネチし過ぎて少し怖いw
(中略)瀬名は事実のような詐術を使ってるんだよな →引用元#324

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/01/07(火) 06:13:25.05
Sが金とか酷くて企画提案しちゃ人をただ働きさせて気に入らなくなったらキッテ
作家倶楽部内にウツ病だしたって編集周りの噂既出?
真実ならドン引きなんだが →引用元#325

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/02/03(月) 04:50:24.81
だがセナの人望の無さは異常だよな
なんかあるのかな →引用元#435

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/19(水) 12:37:31.10
瀬名さんは星新一賞を理系文学の賞と位置付けているけど、
星新一の名前は使うけど「星新一っぽい作品」を星ライブラリが求めるのは
ダメというのは、瀬名さん側もわがままでは?
そもそも星ライブラリは星新一の著作権管理、イメージの保全向上を目的にしてるんでしょ?
その辺をすり合わせないで、自分の考えを理解しないのは
先方の「わがまま」「お友達感覚」と決めつけるのはねえ…
引用元#517

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/19(水) 18:25:53.80
>>517
おかしいよね瀬名さんが明らかに →引用元#521

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/23(日) 05:05:25.23
瀬名は自分の理想の賞とか団体を自分で設立すればいいんじゃないかと思った
多分、どこにいってもあれがヤダこれがヤダってなって勝手に失望して物別れに終わる人だよ →引用元#534

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/28(金) 03:18:41.25
「俺は悪くない周りがせっかくの理想をめちゃくちゃにした、こんなことではSFは滅びますぞ!」の繰返しで
結局は他人を悪く行って自己正当化してるだけだし、多分どこに行っても上手くいかない人なんじゃないの
そもそも、人間の集まりに矛盾ゼロとかあり得ないし →引用元#549

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/28(金) 06:34:41.79
小松左京はえらかったなあ
それを目指したんだろうけど
度量が足りないというか、頑なというか… →引用元#550

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/28(金) 12:33:46.22
小松左京より石原藤夫みたいな瀬名 →引用元#553
posted by 瀬名秀明 at 19:55| ちょっとしたお知らせ | 更新情報をチェックする

2014年03月28日

日経「星新一賞」の想い出(追記)

一度だけ追記します。
評論家の牧眞司さんからメールを頂戴しました。
日経「星新一賞」の想い出(その4・おしまい)」で、私が書いた盗作チェックの件とIHI「空想ラボラトリー」の件について、私の曖昧な文章や思い違いをただして下さる内容で、とてもありがたいものでした。私の文章が誤解を招きやすいものだったと思います。お詫びします。
牧さんには御礼とお詫びをお伝えしました。また頂戴したメール文面をそのまま私のブログに転載してよいとご了解をいただきましたので、ここに全文を転載します。牧さん、ありがとうございました。


(以下引用)
---------------------------------------------
ご無沙汰しております。
瀬名さんのブログ拝見いたしました。
日経「星新一賞」の想い出(その1〜4)、貴重な証言・提言であり、ぼく個人とし
ても初めて知ることが多く、また今後、日経「星新一賞」や日本SF作家クラブとの
関わりかたを考えるうえで、たいへん参考になりました。まず、その点についてお礼
を申し上げます。ありがとうございました。

文中、ぼくの名前が何度か出てきます。事実誤認というほどではないのですが、ぼく
自身の受け止め方と違うところがあるので、説明をさせてください。
いずれも、日経「星新一賞」の想い出(その4・おしまい)のなかの箇所です。

(1) 盗作チェックプログラムについて
瀬名さんは、〔しかし下読みを統括したと思われる牧氏は「自分は何度も星作品を読
んでいる。だから星新一ファンが3次選考あたりでチェックできる体制があれば盗作
は防げる」と主張したそうで、結局人工知能の件は流れた。〕とお書きになっていま
す。
この文脈だと、牧は「だからチェックプログラムなど不要だ。開発する必要はない」
と主張したと受け取られかねません。ぼくは星マリナさんが盗作をしきりに気にされ
るので、彼女が安心できるよう「SF(星作品を含めた)を熟知した担当者が複数人
数いれば、盗作はチェックできますよ」と言ったのです。チェックプログラム開発に
ついては、だいぶあとになって未来大学の方からうかがいました(そのときは「まだ
開発は進行中。ただし実用はほど遠い」とのことでした)。ぼく自身としては、盗作
チェックプログラムには興味あります(どういう設計思想なのかロジックなのか)
し、実現したら素晴らしいと思っています。
なお、ぼくが星マリナさんにお話したのは、「星新一ファンがが3次選考あたりで
チェック」ではなく「星作品を含めてSF全般を多く読んでいる者が〜」です。その
後、田丸さんをはじめとする電通のひとたちとお話をするなかで、3次審査にその条
件を備えたひとを揃えるという提案をしたのも、それゆえです。その時点で、具体的
に、鏡明さん、大森望さん、山岸真さん、そしてぼく自身−−という名前を挙げまし
た(この4人が3次審査担当に名を連ねる目的はほかに、“理系文学”に対するSF関
係者・SF専業読者のアレルギー的反応の緩和などもありました)。

(2)IHI「空想ラボラトリー」への星マリナ作品掲載について
ぼくは田丸さんからの依頼によって、「空想ラボラトリー」の原稿を読み、アイデア
が類似した先行作品がないかどうかのチェック(盗作というのではなく、たまたま似
てしまったこともあるので)、および簡単な校閲(誤字チェックや表記揺れ程度です
が)をおこなっています。これを依頼された時点で、すでに星マリナさんの執筆は決
まっていました。ぼくは「空想ラボラトリー」のコーディネイターである田丸さん
が、ショートショート作家としての星マリナさんの才能を見込んで、彼のほうからマ
リナさんに原稿依頼したのだと理解していました(これは田丸さんとぼくとのやりと
りのなかで受けた印象です)。なので、星マリナさんが出しゃばった行動をしたとい
う感じは持っていません。
また、瀬名さんは〔だが申し訳ないが、作品の質はどうだろうか。〕とお書きになっ
ています。ということは、星マリナ「かぜの季節」をあまり評価されていないようで
すね。ぼくは面白く読みました。色彩の使いかたや、「かぜ」という言葉を伏線的に
織りこんでおく書き方とか、なによりも文章がアッサリしていて、プロ作品として遜
色がないと思います。ショートショートは書くのが難しく傑作というのは成しにくい
のですが、「かぜの季節」は水準は超えています。もちろん、小説の価値判断は人そ
れぞれなので、瀬名さんが低評価だとしても、それはそれで間違っているということ
ではありませんが(あたりまえですよね)。
ただし、もし瀬名さんが「マキは星マリナ氏におもねって作品評価を甘くしている」
と思っていらっしゃるのなら、それは心外です。ちなみに「空想ラボラトリー」掲載
作品については、原稿を読んだ段階で田丸さんに、類似作チェック・校閲と併せて簡
単な感想を伝えています。その段階で、ぼくはマリナさんの文章を高く評価していま
す。まあ、その時点から「マキはマリナ氏に甘かったのだろう」と勘ぐられてしまえ
ば、もう何も言えなくなってしまうのですが……。

−−以上、2点です。長々と申しわけありません。

慌てて書いたもので文章が整っていないかもしれませんが、いっこくも早く瀬名さん
にお伝えしたかったもので。

では!
---------------------------------------------
(引用終わり)
posted by 瀬名秀明 at 00:54| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

日経「星新一賞」の想い出(その4・おしまい)

日経「星新一賞」の想い出(その3)からの続きです。

《広報活動》
 日経「星新一賞」の告知が出た後から現在まで、私はいくつか一般向けの講演会をおこなった。本当は病気もあったので人前に出るのは極力避けていたのだが、講演の仕事は1年前から決まることも多く、さすがに直前になって辞退はできなかったから、なんとか気力を保って講演会に臨んだ。
 地元の高校生や、高校の先生方、図書館の司書さん、博士号を目指す大学院生たちなど、聴衆はSFファンというより一般の人たちだ。私はそうした場で必ず日経「星新一賞」の話をして、どうか興味を持った方は応募して下さいとアピールした。はっきりいって、星新一賞関係者のなかで、もっとも星新一賞について語り、アピールを続けたのは私だと思う。私は講演の場で理系文学≠ニはどんなものなのかといった話も必ずした。同行したあるベテラン文芸編集者が、「瀬名さんの講演を聴いて、初めて星新一賞の内容がわかった」といってくれた。そのくらい星新一賞の真意は文芸業界の人たちに伝わっていなかった。
 日経「星新一賞」の告知後、私は知り合いの編集者に会う度、星新一賞の話をして、どう思うかと訊いてみた。多くの編集者は星新一賞のことを知らなかった。ああ、聞いたことはある、という人もいたが、どんな性格の賞なのかを知る人はまずいなかった。つまり星新一賞は、文芸業界の人たちにとって、何の関心も持たれない、脅威とは思われない存在なのだった。一種の懸賞小説、つまり真剣な文学新人賞ではなく、新聞社がよく夏休みにやるような、一過性のイベントに過ぎないのだと思っている様子だった。私はそれが悔しくてならなかった。

 実際、日経「星新一賞」に関する記事を、皆さんは日経新聞以外でどのくらい見たことがあるだろうか。「人工知能でもOK」という部分に関心を持って下さったIT系メディアはいくつかあり、そこは私たちの目論見通りだったが、それ以外の部分はどうだろう? ふつうは新人賞が創設されたら、さまざまな新聞社が文化欄・文芸欄で取り上げる。だがそうした他社記事はどのくらい出ただろうか? 
 日経さんの内部でも、この賞の件は混乱していたと思う。そもそも7月7日の告知が広告であったように、星新一賞にまつわる記事は広告扱いとなったのではないだろうか。ふつうなら日経新聞そのものがたとえば選考委員に事前インタビューし、「こんな応募作を待っています」といった期待のコメントを文化欄などに載せて関心を煽るものだ。そんな記事はひとつも出なかったと思う。実際、日経の文化部の人たちも、星新一賞についてはよく知らない様子だった。「文芸編集者がひとりも関係していないんですよね……」と困惑した顔で私に呟いた文化部記者もいる。

 受賞作が決まった後の告知経緯を振り返ってみよう。日経さんは2014年3月12日に受賞結果を報告した。これはウェブの場合、日経IDがないと全文が読めない。
 当日、日経さんは報道各位に向けてプレスリリースも出している。「日経「星新一賞」グランプリが決定」だ。しかし私がざっとウェブ検索した限り、このリリースを受けて報道した主要紙は毎日新聞しかない。讀賣新聞や朝日新聞に報道はなかったと思う(間違っていたらごめんなさい)。3月15日には授賞式もあり、ふつうなら日経が自社の新聞や雑誌にその模様を大々的に載せてよいはずだが、16日の新聞には何の記事も載っていなかったように思う。

 そうした問題点の受け皿となったのが、電通だったのではないだろうか。日経サイドではかえって迅速に記事が出せないので、電通報でまず詳細を報告したのかもしれない。実際、ほどなくして電通報に記事が出てくる。電通報2014年3月17日付「第1回日経「星新一賞」表彰式」。電通報に出したということは、ここへ来て、いままで黒子に徹してきた電通さんが、自分たちも関係していますよと告白したに等しい。それはきちんと応募者3000人の皆さんへ告知するための誠意だったのではないだろうか。

 続いてやはり電通報に記事が載った。2014年3月18日付「対談 星新一さんと「理系文学」の世界 新井素子氏 × 鏡 明氏」。ここで新井さんと鏡さんの意見の違いをよく見ていただきたい。鏡さんのおっしゃっていることは、私たちが当初に目指した理系文学≠フ姿である。私の後任として新井素子さんが選ばれたのは、やはりSF関係者たちに納得してもらうための人選だったと後でうかがった。鏡明さんと乙部順子さんが新井さんのご自宅を訪れてお願いしたという。

 そして3月24日に、電子書籍『日経「星新一賞」 第一回受賞作品集』(無料、ただし日経IDの取得が必要)が日経ストアにアップされる。奥付は3月26日だったので、この26日に告知を考えていたのだと思う。実際、26日に日経「星新一賞」の公式ウェブページは更新され、ようやく選考委員のひとりである論説委員・滝順一さんの記事が出た。「星新一賞グランプリ2作品 機械進歩した未来描く」で、これは全文が無料で読める。新聞のほうにどんなかたちで掲載されたのかは調べていないのでわからない。
 しかし、ふつうなら受賞者へのインタビュー記事などが文化欄に載ってよいはずだ。そうした動きはまだ見られない。

 予想通り、「日経」と名に冠した日経「星新一賞」は、一種の懸賞小説と見なされ、既存の文芸業界からは軽んじられて、他の新聞社からもほとんど無視される結果となった。
 本当に必要な告知は、文芸業界や科学業界に向けて、私たちはこんなに斬新なことをやりますよ、応援して下さい、ということだったのではないだろうか。星マリナ氏の知人や友人を授賞式に招くことが重要なのではない、他社さんの編集者や映像関係者らを招き、受賞者・入選者たちをきちんとお披露目して、彼らに次の仕事のチャンスを与えることだったのではないだろうか。今後、星新一賞実行委員会には、辣腕の文芸編集者に加えて、サイエンスコミュニケーションの専門家も入れた方がよいと私は思う。星新一賞はサイエンスコミュニケーションのよいモデルともなり得るはずだった。だが私の見た限りでは結果は惨敗である。応募作は3000以上集まって、なんとか主催者や協賛企業の面目は保てたかもしれない。だが本当に告知対策は充分だっただろうか? 本当に応募してほしい人たちに告知は届いていただろうか? そしてあえて問いたい、選考に関わって下さったSF関係者の方々も、どこか無意識のうちに狭いSFコミュニティにとらわれて、理系文学≠フ可能性を狭めてはいなかっただろうか?

 特別協賛企業のIHIさんが「空想ラボラトリー」というウェブページを起ち上げている。星新一さんをはじめ、初期のSF作家たちは、企業のPR誌にショートショートを書いて腕を競い合った。それが収入の源のひとつでもあった。だから協賛企業さんたちが積極的にショートショート作品を掲載して下さる動きはありがたいと思う。実際、受賞者・入選者の今後の活躍の場として、こうした企業PR誌がまず考えられる。
 だがここに掲載されているメンバーを見ていただきたい。プロ作家らに並んで、星マリナ氏の作品が載っている。江坂遊さんの『小さな物語のつくり方2』(樹立社)では一般からのショートショート公募作品が掲載されており、そこには星マリナ氏の作品もあって、江坂さんは好意的な講評をしている。まあそれは構わない。だが、こうした星新一賞関係の場に遺族が出てくるのはどうなのだろうか。遺族であってもいいだろう、だが申し訳ないが、作品の質はどうだろうか。星新一賞で下読み選考の人選や取りまとめを一括して引き受けたと思われる評論家の牧眞司さんは、こうした星マリナ氏の行動も好意的に評価しているようだ。だが本当にそれは冷静な評価だろうか。


《理系文学≠フ未来》
 今回の星新一賞では、予備選考から最終審査に至るまで、画期的な試みがいくつかおこなわれたはずだ。
 私はもう実行委員を辞めた段階だったので詳しくは知らないが、応募作は(一部のジュニア部門応募作を除いて)すべて電子媒体で送られてきたのだから、予備選考委員の人たちはiPadのようなもので読むことができただろう。応募作の原稿をコピーし、予備選考委員に配るという手間は大きく省略できたはずだ。
 星マリナ氏は「星新一作品からの盗作でないかチェックできる人工知能を開発してほしい」と、当初から公立はこだて未来大学の松原仁教授らにお願いしていた。ただしそうしたチェックプログラムはすでに類似のものがある。STAP細胞騒ぎでも知られたように、論文のコピペを見つけるプログラムはいくつかあり、学会はそうしたものをすでに使っているのだ。そのことを知ると星マリナ氏は興味を失ったようだったが、実際に星新一の全作品をコンピュータに入れ、文章レベルだけでなく文脈やアイデアレベルまで盗作チェックできるような人工知能が創れたら面白いし、論文にもなる。松原教授はそうした研究ならやってみてもいい、といっていた。しかし下読みを統括したと思われる牧氏は「自分は何度も星作品を読んでいる。だから星新一ファンが3次選考あたりでチェックできる体制があれば盗作は防げる」と主張したそうで、結局人工知能の件は流れた。いまは人間の方が安上がりだということだろう。だがこうした派生的研究も、星新一賞の成果となり得るものだ。
 最終選考は完全なチューリングテストでおこなう、と鏡明さんが提案し、おそらくそれは実行されたのだと思う(本当はどうか知らないがそう信じる)。というのも、そもそも星新一賞は人間以外からの応募も受けつける斬新な規定だった。人工知能が書いたのか、本当に人間が書いたのか、予備選考委員や最終選考委員が予断を持って読んでしまうと、元も子もなくなってしまう。だから誰が書いたのかは伏せて選考するのが妥当なのである。また私自身の考えとして、自分の知り合いの研究者や、仕事・金銭関係のある知人が応募してくることが充分に考えられた。そうしたとき、私がそれらの人たちの作品を選考してしまうと、癒着があるのではないか、などと勘ぐられる可能性がある。理系の感覚では、自分に関わりのある論文の審査では席を外すのが倫理に適った行動だ。だから知り合いの人の応募が来たときはそこだけ審査に関わらない、と私は事前に明言していた。おそらくその発言を受けて鏡さんは、少なくとも最終選考を完全チューリングテストにすると決めたのだと思う。
 聞くところによれば予備選考の段階でもチューリングテスト状態で応募者の氏名は伏せられていたらしい。だが一方で、どんな職業の人が多く応募してきたのかを知っている予備選考者もいたと耳にしており、実際のところはよく知らない。ただ受賞者が決まった段階で、さすがに氏名などは最終審査員に知らされたはずだと思う。それを踏まえてなおも実行委員会が遠藤慎一さんの素性を知らなかったというのはちょっと信じがたい。もし本当にそうなら、サイエンスコミュニケーションに関わっている日経の滝順一さんなどは恥ずかしいことだと思うからだ。
 ただ、すべてをチューリングテストでおこなうといっても、一次選考や二次選考、三次選考などの逐次結果は、少なくとも公式ウェブページで迅速に報告するべきではないだろうか。それが応募者に対する誠意ではないだろうか。氏名や年齢を出すとチューリングテストの意味がなくなってしまうのなら、たとえばエントリーナンバーとタイトルだけを記載するという手もあるだろう。とにかく選考経過を透明化すること、結果を迅速に、正確に公開すること、これはサイエンスコミュニケーションの基本中の基本でもある。ここは部外者ながらあえていうが、次回から改善してほしいところだ。
 いずれにせよ星新一賞はたんに理系文学≠選ぶだけではない。その選考過程自体が理系≠フ最先端なのであり、賞そのものが科学と文芸の未来を拓くのだ。そうした可能性を、予備選考委員の方々には知っていていただきたかった。

 日経さんにも心からのお願いがある。日経グループには、たとえ別会社とはいえ、日経BPや日経サイエンスなど、日経「星新一賞」の受賞者・入選者が活躍する場がたくさんある。どうかそういった場で彼らの活動を支えてほしい。日経文芸文庫の編集者も担当につけてあげてほしい。そしてできることなら他の出版社へも積極的に紹介してあげてほしいのだ。電通さんにもできることはあるはずだ。広告の場で受賞者・入選者の発想力を披露してもらう。科学番組で彼らの活躍の場を与えてみる。今度は主催者側の発想力が試されるのだ。どうか互いの発想力が刺激し合うことで、日本の科学シーンと文芸シーンを変えていってほしい。
 私が『パラサイト・イヴ』を書いてから、もう20年近くが経とうとしている。あのころに比べると理系文学≠目指す人々に対する世間の理解は格段に向上し、活躍の場も増えた。私はそれを嬉しく思う。

 第1回日経「星新一賞」の最終選考の場では、星新一賞のあり方や、今後の方向性などについて、かなりの議論がおこなわれたらしい。つまり理系文学≠ニは何か、私たちはどのような作品を選ぶべきなのか、ということが選考委員全員に問われたのであり、彼らはその答を見つけ出そうとしたのだ。そうした雰囲気は鏡明さんの書かれた「日経「星新一賞」の審査について」を読んでわかる。
 星新一賞が本当に求めているのは、星新一の亜流ショートショートなのか、それとも未来を切り拓く新しい理系文学≠ネのか。
 鏡さんはこう書いている。「その中で繰り返し語られていたのは、アイディアや思考の独自性、ユニークさでした。おそらくそれこそが科学の本質ではないかという印象がありました。」これが最終審査会の結論だったのだろうと私は思う。星新一の亜流ではなく、新しい文学をこれからは選ぶと、最終審査員の皆さんは決めたのではないか。
 だから日経「星新一賞」が本領を発揮するのは、これからなのだと思う。私はもうこの賞に関わることはないだろう。ただの一読者として、受賞作や入選作を楽しみたい。知人が入賞したらおめでとうといおう。
 私は体調を崩して星新一賞実行委員会を去り、また自分の都合により最終選考委員も降りることになってしまった。私に審査されることを期待して応募して下さった方がもしいたとしたら、そうした皆さまに、いまここで心からお詫び申し上げる。本当に申し訳ありませんでした。しかし私はできる限りのことをやったと思っているし、ある程度の新しいことはできた、未来を創ることはできたと信じている。さまざまなことはあったが、私は個々の人たちに恨みや悪い気持ちは持っていない。仕事としてできる部分とできない部分があり、信頼できることとそうでないことがあったということだ。
 日経「星新一賞」が未来を想像し、未来を創ることを願ってやまない。この願いは星新一さんの友人であった小松左京さんの精神であり、SFWJ50(日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクト)のテーマでもあった。授賞式の場で、日本経済新聞社の佐藤雅徳副社長はこの言葉を用いて下さったようだ。「想像」から「創造」へ。佐藤副社長はたぶんこれがSFWJ50のテーマであったことはご存じなかったであろう。だがそれでもよいのだ。ダウンロードできる電子書籍『日経「星新一賞」 第一回受賞作品集』の「ごあいさつ」には、「サイエンス・イマジネーション」という言葉も出てくる。私がかつて編纂した書籍のタイトルだ。これも偶然だろう。だがそれでよいのだ。
 そこに、すべての願いが込められている。

 最後に。
 特に理系の人たち、もっと本気を出せ。そして文系も理系も、本気の発想力と洞察力で、もっと星新一賞実行委員会を掻き乱せ。日本経済新聞社をあっといわせろ。それが未来を創ってゆく。
posted by 瀬名秀明 at 18:29| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

日経「星新一賞」の想い出(その3)

日経「星新一賞」の想い出(その2)からの続きです。

《応募要項》
 私が最後に出席した実行委員会は、2013年4月16日と17日の2日間にわたる過密なものだった。この時点でまだ主催者が日経さんに本当に決まるのかどうか、わからないという状態だった。だが私たちは7月までには賞を起ち上げたいと思っており、この時期に細かなことを決定しなければもう間に合わない状態だったのだ。というのも星新一賞にはジュニア部門が設定されるため、できれば子供たちに、夏休み期間中に原稿を書いてほしい。高専ロボコンのように学校単位で応募してもらうという構想もあったから、実行委員会内で決めるべきことは決めておかなければならなかった。
 星新一賞のロゴデザインなどといった細かなことも検討されたが、私が特に重要だと感じていたのは応募要項だった。文字数が1万字に決まった経緯は以前に書いたが、このミーティングで私が折れて1万字になった(私はせめて1万5千字と主張していた)。
 次に「課題」である。文芸新人賞の応募要項には、必ずどのような作品を募集しているかが簡潔に書かれている。その概略は「公募ガイド」などにも載る。これをどうするか。日経「星新一賞」の公式ウェブページをご覧いただきたい。「あなたの理系的発想力を存分に発揮して読む人の心を刺激する物語を書いてください。」これが課題だ。この議論が長時間にわたった。鏡明さんや星マリナ氏からいろいろと案が出た。ただしここで星マリナ氏は、やはり星新一作品の亜流をほしがる発言をして、たとえば「笑える作品」という文言を入れようなどと、本質とずれた提案をしていた。そんなものは「課題」ではない。私は取り合わず、もうひとりの理系である田丸雅智さんの意見を求めた。星新一賞は発想力と洞察力を重視する理系文学≠フ賞なのだから、理系出身者が課題を決めた方がよいと考えたのだ。
 そして田丸さんが、じっくりと考えながらホワイトボードに書きつけたのが、上述の文章だった。
「存分に発揮して」という部分は必要なのか? という質問が出た。私は「いや、理系出身者はいままで文芸業界で抑圧されてきたw。この星新一賞だけでもいい、存分に@ヘを発揮してもらおう。あなたたちの秘めたパワーはこの賞で受け止めてやる、そのくらいの訴えかけをしよう!」といった。文系出身の鏡さんは大受けして、課題はこれで決まった。だから存分に発揮して≠ニいう文言には、私たちのそんな思いが込められている。
 もうひとつ重要なのは「応募規定」だった。二重投稿はご遠慮下さい、プロアマ問わず、などは他の文学賞と同様だが、日経さんの出してきた規定案にはいろいろと不明瞭な点があった。
 たとえば二次的著作権である。私が日本ホラー小説大賞を受賞したとき、「二次的著作権は主催者側に帰属する」という文言があったため、映画化やゲーム化にまつわる諸権利はいっさいもらえず、私のもとには賞金と本の印税しか入らなかった。そうした問題が1990年代からあちこちで出るようになり、ときに裁判沙汰になることもあって、日本推理作家協会は指針を発表したこともある。各社の皆さま、二次的著作権については「範囲」と「期間」を明示して下さい、というものだ。そうしないと未来永劫、二次的著作権は主催者側のものになってしまうからである。私はその指針のコピーを推協事務局から送っていただき、電通さんに示して、これが常識なのだからぜひ踏襲して下さいとお願いした。
 後の話になるが、7月7日に日経「星新一賞」の公募が発表され、公式ウェブページができたとき、「応募に当たっての注意事項」欄の文言が、かなり応募者側にとって不利なものであったことに気づかれた方はいらっしゃるだろうか? あれだけ注意を喚起したにもかかわらず直っていないことに私は怒って、電通さんに連絡した。いまのは仮のもので、少しずつ直してゆく、という答だったが、納得はできなかった。しかし現在のものをご覧いただきたい。「その他の権利」の部分だ。契約の「範囲」と「期限」が明示されている。ちゃんと変更がなされたのだ。「二次利用に際しては、当該二次利用によって日本経済新聞社が受領した金銭のうちから、受賞作の著作者に対して二次的利用料が支払われます。」という文言も、当初はなかったと思う。少しは応募者側にとって安心できる内容に変わったのである。「アイデアの実現化」についてもマイルドなかたちになったのではないだろうか。
 この2日間のミーティングで、私と星マリナ氏は日経の副社長やIHIの広報担当者らとも顔合わせをした。電通さんにお願いしてセッティングしていただいたのである。ただ、今後の具体的な話をするのだと私は思っていたが、どちらも当たり障りのない雑談に終始して、私は少し残念だった。
 怒濤の2日間は終わり、あとは日経さんが正式に主催者を引き受けるのを待ちつつ、最終調整を進めるのみとなった。電通さんは忙しかったはずだが、もと日本SF作家クラブ会長としての私の役目は終わろうとしていた。ひとつ大いに落胆したのは、この段階に来ても、電通さんや星マリナ氏が受賞者のキャリアパスや受賞後のケアについて、何もアイデアを持っていないことだった。


《実行委員会と選考委員の辞退》
 私が星マリナ氏と初めて会ったのは、2010年6月26日、世田谷文学館「星新一展」での記念講演会、「星新一を読むということ−<科学>と<文化>をめぐる旅」終了後に、控えの応接室で挨拶を交わしたときである。このときは新井素子会長や井上雅彦事務局長もいっしょで、日下三蔵さんなどもいた。
 この控え室で、星マリナさんは「瀬名さんに星新一賞の選考委員をやってほしい」と笑顔で話しかけてきた。井上さんたちが「まだその話は内密ですよ」と慌てて止めようとしたことを憶えている。このとき日本SF作家クラブ「新人賞検討委員会」で、すでにSF新人短編賞としての「星新一賞」が練られていたわけである。そのときはYESともNOとも返事をしなかったが、後になって、ああ、あのときの発言は、ここへ繫がっていたのかと懐かしく思い出すようになった。
 星マリナ氏は、ずっと私を選考委員に、という気持ちを持ち続けていた。私もそのことは知っていたから星新一賞の設立には協力し続けた。実際に賞が具体化し、理系出身の選考委員で固めるとなったときも、星マリナ氏は作家兼理系出身の代表としてまず私を推した。私は星マリナ氏の気持ちがわかっていたので快く承諾し、協力を続けた。

 しかし星マリナ氏はやはり、星新一のような作品≠ェほしかったのだと思う。「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」を起ち上げるとき、私や松原仁教授は「星新一のように面白いショートショートを人工知能につくらせるのが目標」と語ったが、ここでの「のように」は決して「星新一」にかかるのではなく、「〜のように面白い」という部分を強調している。だが星マリナ氏にそのことを説明してもよくわからなかったようだ。日経「星新一賞」の公式ウェブページにある星マリナ氏の挨拶文を見ても、実父である星新一を親鳥に喩え、そうした親鳥のような人を探したいといっている。当初に話し合ったはずの理系文学≠フ精神は、ずっと鏡明さんと私が強く主張していたが、星マリナ氏の思いは少しずつずれていったように思える。

 そのことを象徴する一件があった。あるとき、最終選考委員が理系出身者ばかりになると、難しい話ばかりが受賞してしまうのではないかと心配したのだろう、星マリナ氏は、自分のような文系が読んでもわかるかどうか、チェックしたいといい出した。つまり選考内容の検閲であり、選考者の仕事に遺族が介入する越権行為だ。作家の名前が冠についた賞はいくらでもあるが、遺族が選考内容にまで口出しするとは私物化しすぎだ。さすがに私も怒って、そんなことをいうなら自分も選考委員に入って意見を述べよといった。星マリナ氏は、そこまではやりたくないという。私は怒りを抑えながら、「では星マリナさんの意見を代弁してくれるような文系出身者をひとり司会進行役に立てよう。鏡明さんにその役目をやっていただくなら星マリナさんも納得するだろう」と提案した。実際、そのようになったはずだ。

 やがて日経さんが正式に主催者になることが決まり、ようやく星新一賞は発進段階に入った。だがここで日経さんがいくつかの要請を出してきた。ひとつは、賞の正式名称を「日経「星新一賞」」にせよというものだった。これには電通さんもさすがにがっかりしたらしい。私も嫌だった。かっこわるいし、「日経」と名がつくと他の新聞社に取り上げてもらえなくなる可能性さえある。もうひとつは日経サイドからひとり選考委員を入れるというものだった。論説委員の滝順一さんに決まった。滝さんは「日経サイエンス」誌にコラムも持っている科学ジャーナリストであり、サイエンスコミュニケーションにも一家言ある人だ。ところが日経の内規によれば、自社の人間がウェブページなどで表に出るのは控えることになっているという。だから日経「星新一賞」の公式ウェブページにも、他の選考委員のコメントは載るのに、滝氏のコメントや写真は載せられないという。そんな馬鹿な話があるかと私は怒った。応募者は選考委員の顔を見て応募するのだ、この人に読んでもらいたいと願うから応募先を決めるのだ、それなのにコメントも載せられないとはどういうことかと。
 結果的に、受賞作が決まった後、各選考委員はごく短い選評コメントを出し、その中には滝氏のコメントも含まれていた。少しは事態もよい方向へ変化したのかもしれない。

 だが私は先にも書いたように疲弊しており、6月にはうつ病と診断された。それを受けて、私は星新一賞実行委員と選考委員の辞退を申し出た。電通メンバーのなかにはうつ病に理解を示して下さる方もおり、私は星新一賞実行委員を外れることができた。代わりに鏡明さんと小松左京事務所の乙部順子さんが実行委員会に入った。後に日経さんからもふたり、実行委員会に入ったと聞くが、どのような方々なのか私はまったく知らない。そもそも私が実行委員会にいたとき、副社長さん以外の日経の人とはいっさいお目にかかる機会がなかったのだ。
 しかし選考委員は強く留意された。瀬名以外の理系出身作家の適任者を鏡明さんといっしょにいろいろ検討したが、どうしても見つからないという。星マリナ氏の気持ちもわかっていたから、そこだけは承諾し、そして2013年7月7日の告知日を迎えた。いろいろあったが、よい賞になることを期待していた。
 私は相変わらず原稿が書けずにいた。実のところ、病気の原因のひとつは、星マリナ氏の「きまぐれ」に対応しようとするあまり精神的な負担があったからだと感じていた。あるとき、話の流れで、ついにそのことを星マリナ氏宛のメールに書いた。星マリナ氏も、自分が瀬名を追い込んだのだと思っている、申し訳ない気持ちだ、といった返信をよこした。
 だが私はその後も『星新一すこしふしぎ傑作選』(集英社みらい文庫)の編纂でさらに疲弊したため、ビジネスパートナーとしての星マリナ氏は信頼できなくなった。二度と私に直接連絡しないでくれと申し渡し、星新一賞実行委員会の電通メンバーにもそのことを伝え、星マリナ氏には行き過ぎた行動を控えるよう伝えてくれとお願いした。
 しかし2013年11月末になって、『星新一すこしふしぎ傑作選』の件で星マリナ氏はまた私に直接メールをよこしてきた。そこには「私からメールがくるとうつ病が悪くなると言われていたので連絡を控えていましたが、私が連絡しなくてもうつ病はよくなっていないようなので、メールしないでいることにあんまり意味がないのではないかと思い書いています。」と書かれていた。私はさすがに怒りを抑えきれず、星新一賞実行委員会の電通メンバー3名にメールし、今度また星マリナ氏から直接メールが来たら選考委員を降りると宣言した。
 だが翌日、また星マリナ氏からメールが来た。これでアウトだと私は思った。選考委員を降りることを、私は星新一賞実行委員会に宣言した。


 一晩経ったけれど、なんだかこれが書き終わらないと、別の原稿が書けない感じ。
 あともう1回分書いて、想い出話は終わりにしましょう。希望を持った終わらせ方にしたいな。
posted by 瀬名秀明 at 16:01| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

日経「星新一賞」の想い出(その2)

日経「星新一賞」の想い出(その1)からの続きです。

《協力団体》
 電通さんは主催者と協賛企業が一刻も早く決まるよう熱心に努力して下さっていたが、なかなか本決まりには至らず、私たちの間にもやや焦りが生じていた。このころ、「2013年の終わりに際して」で書いたように、公立はこだて未来大学の要請で「星新一賞実行委員会」というものが正式に決まり、メンバーは電通の社員さんたちと星マリナ氏、そして私・瀬名秀明となった。鏡明さんはアドバイザーのようなかたちで当時からしばしば会議に参加して下さっていたが、正式なメンバーになるのは後のことである。
 主催者は日本経済新聞社が適切だろう、という案を出したのは鏡さんである。星新一さんの『妄想銀行』『盗賊会社』は日経新聞の連載をまとめたものであるから、星新一とのつながりもある。星マリナ氏はこうした過去の繋がり、友好関係を重視する人であったから、日経さんへのアプローチに賛成した。なんとか日本SF作家クラブ50周年である2013年のうちには星新一賞を設立したい、できればホシヅルの日である9月6日(星新一さんの誕生日)か、星さんの命日である12月30日を起点としたい、という皆の共通した思いがあった。

 そうしたなか、着実に進んでゆく事案もあった。電通さんは当初から、ジュニア部門を設けてはどうか、という案を提出して下さっていた。星マリナ氏もこれには賛意を示した。ちょうど星新一さんの弟子である作家の江坂遊さんが『小さな物語のつくり方』(樹立社)を出版しており、第二弾も発売されようとしていた。二巻目はショートショートの書き方を教える側の極意も書かれており、教本として有用なものであった。
 そこで主催者や協賛企業が決まる前に、私たちは協力団体の要請を始めた。その1で書いたように、いずれにせよエヌ氏の会や日本SF作家クラブには協力団体として名を連ねてもらわなければならなかったし、電通さんに話を持って行く前の公立はこだて未来大学と関係をうまく調整するためにも、快く協力団体に入っていただく必要があった。
 そうして私の仲介で、公立はこだて未来大学学長の中島秀之さんや教授の松原仁さんが電通メンバーとコンタクトし、協力体制を整え、かつ一般社団法人 情報処理学会と一般社団法人 人工知能学会への便宜も図って下さった。ロボット関係では阪大の浅田稔先生にご仲介をお願いし、一般社団法人 日本ロボット学会と特定非営利活動法人 ロボカップ日本委員会の協力参加が決まった。
 ただし難しい側面もあった。たとえば浅田先生は乗り気で、どんな協力ををすればよいのかと積極的に電通さんに尋ねてくださったのだが、電通さんはどうもそういう社風なのか、自分たちのよく知る相手とでないと、突っ込んだ交渉をしたがらないようなのである。なので彼らの直接の知り合いではないロボット学会やロボカップなどは、単に名前を借りるだけで、ほとんど放置してしまうことになった。私はそれが残念でならなかった。

 一方、星マリナ氏はジュニア部門の講習会をやりたいと願い、知己のある世田谷文学館に声を掛けていた。世田谷文学館は2010年に「星新一展」をやったところである(今年も夏に「日本SF展」をおこなう)。星マリナ氏がかつてメールでも告白したのだが、この世田谷文学館のキュレイターである中垣理子氏は、星マリナ氏の意見を100%聞く、驚くべき人であった(それをあっけらかんと主張する星マリナ氏もすごいと思った)。よって世田谷文学館も協力団体となり、ここでジュニア向けイベントが開催されることになった。
 私自身は、星新一賞は日本全国区、いや世界規模の賞を目指すのだから、世田谷だけでなく各地の文学館や科学館でも同様のイベントを開くべきだと思い、その意見を委員会メンバーに訴えた。ところが関心を持ってくれる人はいなかった。電通さんも世田谷文学館には足を運び、仲良くなったようで、ここでのイベント開催には積極的だった。このころから私は少しばかり、実行委員会のあり方に不審を抱き始める。
 ジュニア部門も電子応募でよいか、それとも原稿用紙での応募も受け付けるべきか、というのは悩ましい問題だった。私は星マリナ氏へ、中垣さんに相談してみることを提案したが、いまはもう少し多数の人からちゃんと意見を聞いて星マリナ氏に伝えるべきだったと反省している。中垣さんならばきっと子供たちのパソコン事情などもデータを示して詳しく教えて下さるだろうと期待したが、そうしたデータを交えての話はなく、印象論が多かったようだった。
#星新一賞の応募文字数が1万字になった経緯は以前に書いたが、最終的な決め手になったのは、星マリナ氏が中垣理子さんや小松左京事務所の乙部順子さんと話していたとき、中垣さんが「1万字というのが星新一さんらしい」と、ある意味無責任な感想を述べて、これが星マリナ氏の心のなかでは力強い根拠となってしまい、それで結局決まったのである。中垣氏は実際に1万字でどのくらいの小説が書けるのか、おそらくはわからなかったと思う。
#つけ加えておくが、決して中垣さんは悪い人ではない。私はむしろキュレイターとして実力のある人だと思っているし、以前にも「史上最大の手塚治虫展」で協力している。ただ星マリナ氏との関係性はもう少し慎重であってもよいと個人的に思う。

 私は協力団体が情報系・工学系に偏っているのが気になったので、もっと多彩な分野の学会に声をかけた方がいいと主張したが、あまり関心を持ってもらえなかった。ただ一度、星マリナ氏が「恐竜学会があったら入ってもらいたい」というので探したところ、「恐竜学会」という名前のものはないが類似したものはあった。それらに飛び込みで協力要請してもよかったはずだが、星マリナ氏はそうせず、イラストレーターの真鍋博氏のご子息である恐竜学者の真鍋真氏へコンタクトを試みた。最初は真鍋真氏が勤務する国立科学博物館でもイベントをおこないたいという案があり、私も賛意を示したが、イベントをするための資金がないという。不審に思いながらも、私はサイエンスコミュニケーションに関わるいくつかのベンチャー企業の名を挙げ、ふつう科学イベントはスタッフも多数必要なのでこうしたところに頼みながらやるものだと諭した。結局、国立科学博物館ではイベントができず、協力団体のみの関係に収まったと思う。

 JAXAの広報とは、電通さんのコネクションがあった。そこである程度の話は進んでいたようだが、当時の立川敬二理事長に直接プレゼンし、協力の承認をいただくことが必要であった。私はある仕事でJAXAと数年やってきた経験があり、立川先生はもちろん知っていた。そこでこの件に限っては私も電通の人たちといっしょにJAXAへ行き、立川理事長にプレゼンした。「瀬名くん、きみもいいことをやるじゃないか」と立川先生はおっしゃって、興味深げに30分のプレゼンを聴いて下さり、その場でJAXAの宇宙飛行士を審査員に出そう、と提案してくださった。この電撃発言にはJAXA広報の人も驚いたようだが、野口聡一さんが選考委員になったのはそういうわけである。


《下読み料と賞金》
 主催者は日経さんに決まりそうだ、しかしまだ確実なことがいえない、というもどかしい時期が続いた。私たちは事前にいくつかのことを話し合っておく必要があった。
 たとえば下読み委員に対する謝礼金額である。ここまで明確に書いてこなかったが、星新一賞の最大の特徴は、出版社が主体ではなく、あくまで広告代理店が主導したという点にある。実は新井素子会長の時代に、日本SF作家クラブ「新人賞検討委員会」メンバーは、新潮社に出向いて「星新一賞」の打診をしている。だがすでに新潮社さんは多くの賞を抱えており、編集者はそれらで手一杯であって、丁重に断られていた。そのため星マリナ氏は、電通さんと組んだ後も、新潮社さんには協力を要請しようとはしなかった。
 ただ、いちばん星新一作品を出しているのは新潮社さんであり、一度は新潮社さんに説明会を開く必要があった。そこで電通本社に新潮社の部長・編集長クラスの方々にご足労いただき、電通さんからいま進めている星新一賞の性格について説明をおこなった(私も同席した)。

 新潮社さんは、あまりにぶっ飛んだ星新一賞の案に驚きを隠せなかった。そして一般的に出版社が文学賞を開催する際の注意点などを語り始めた。選考委員の先生方にどのような気遣いが必要なのか、受賞した新人をどのように育ててゆくのか、といったことである。
 実はここに、大きな問題があった。電通さんは広告会社であるため、イベントを仕掛けるのはうまい。しかし星新一賞で受賞・入選した人たちを、その後どのように育ててゆくのか、というプランが完全に欠如していたのである。私は当初からこのことを指摘し、重大な問題だと繰り返し議題に挙げていた。文学新人賞の最大の広告効果は、そこで選ばれた新人が活躍し、多くの読者に親しまれることである。「ここの新人賞に応募すれば、自分もベストセラー作家になれるかもしれない」というブランド性が次の応募者を引き寄せ、話題をつくるのだ。そういった感覚が、電通さんにはよく理解できないようだった。
 このことは星マリナ氏も同じで、なにしろ最初のうち、副賞は「電通の1次試験が無条件で合格できる資格」がいい、などといっていたくらいなのである。

 ただ、これは鏡明さんも強く主張していたことだが、星新一賞は理系文学≠フ賞なのだから、受賞者が必ずしも既存の文芸業界に巻き込まれる必要はない、と思った。星新一賞を獲った次はノーベル物理学賞を獲る、そんな子供たちが出てきていいじゃないか、というのが鏡さんの主張であり、私もそれには大賛成だった。というのも私がデビューしたてのとき、大学院生で論文も書かなければならなかったが、早く次の作品をといわれて板挟みになり、非常に苦労した経験があるからだ。
 ただ、私と鏡さんで少し意見が違う部分もあった。私も受賞者・入選者が必ずしもすぐに既存の文芸業界に巻き込まれる必要はない、と思った。だが、もしその人が小説を書き続けたいと強く思うなら、それが実現できるキャリアパスを、実行委員会や主催者側はちゃんと用意しておくべきだ、と主張した。もしその受賞者が文章ではなく映像で今後勝負したいなら、CMプランナーやディレクターの道が拓けるようにしてあげる、それが星新一賞にとって何より大切なことだと、私は口を酸っぱくしていった。
 だから実は新潮社さんが来たときも、私は途中で口を挟み、星新一賞の受賞者は必ずしも皆さんがおっしゃるようなキャリアパスを進むわけではない。だがもし小説家になりたい人が出てきたら、ぜひ協力してほしい、といった。私にしてはかなり強い主張で、新潮社の人たちも真剣に聞いて下さった。
 新潮社さんは老舗の出版社らしく、さまざまな業界内のことに注意を促した後、自分たちとはまったく感覚の違う賞だから、こちらのことは気にせず進めて下さい、といってその会合は終わった。

 受賞者の正賞はホシヅルトロフィーにするという案はごく初期のころに出され、皆で賛同した。副賞の賞金金額は、電通さんが最初30万円といった。私はその場で「たった30万円? 気前よく100万円出しましょう」と反論した。そのころには私もさまざまな公募新人賞の要項を調べていて、どの賞が何枚で賞金がどれくらいか、応募人数がどんなものかなど、ある程度頭に入っていたのである。こうした情報は逐一実行委員会のメンバーに提供していたが、あまり関心を持たれなかったのは残念である。電通さんも、星マリナ氏も、他の文学新人賞との比較という観点を持ち合わせていなかったように思える。
 下読み選考委員への謝金も、私がハヤカワSFコンテストの下読み料金を調べ、この文字数ならいくらが適当かをこっそり早川書房の(当時)SFマガジン編集長だった清水直樹さんに教えてもらい、「少なくとも早川さんと同等か、早川さんよりは高い値段で行きましょう」と主張したw。もし下読み委員の方々が今回それなりの謝金を受け取っていたとしたら、それは私が強硬に主張したためであるw。

 こうした諸費用に関して、当初から電通さんはふしぎと金額を渋っていた。それが謎だったのだが、会議を重ねるにつれて私にも仕組みがわかってきた。
 やがて特別協賛企業としてIHIさんが決まり、私の感覚では途方もない予算が手に入ることが知らされた。後にJBCCホールディングさんや東京エレクトロンさんも協賛企業に加わり、年間予算は潤沢すぎると思われるほどになった。ここで明確な金額は明かさないが、通常の出版社がおこなう文芸新人賞の、およそ6倍から10倍の年間予算である!
 ところが電通さんは、賞金金額がそんなにたくさんは捻出できない、イベントも金が出せない、という。それは、主催者さんに広告料として多くが支払われるためなのだと知って愕然とした。2013年7月7日、日経新聞に日経「星新一賞」の全面紹介が掲載されたことをご記憶の方は多いだろう。あれは何と自社広告ではなく、日経さんが協賛企業から広告料を取って、全面広告として出したものなのであった。
 さすがにこのやり方は斬新すぎて、私は賛成できなかった。だが電通さんと主催者さん、協賛企業さんの間でそう決まったのだから仕方がない。せめて受賞者や入選者の人たちによい未来が拓けるよう、実行委員会の私としてはできることをやらなければならないと思った。

 ただ、そのころには私も疲弊していた。1月のゲンロンカフェで初めて一般に告白したが、2013年3月1日に日本SF作家クラブを辞めたときはまだ、私の精神状態も無事ではあったと思う。だがその後も実行委員のひとりということもあって、星新一賞の会合には参加していた。星新一賞の体裁が整うまで、あともう少しというところだったが、私は次第に疲れてゆくようになった。夜は眠れなくなった。星マリナ氏のさまざまな「きまぐれ」にも対応できなくなりつつあった。
 5月に中編「ミシェル」を書き終えてから私は小説が書けなくなり、6月、小説現代の中編「瞬きよりも速く」をなんとかぎりぎりで送稿した後、私は床屋に行って髪を切り、そして心療内科を受診した。私はうつ病と診断された。以前に体調を崩したと書いたのは、このことである。


 いまは抗うつ薬を飲んでいるので安定しています。どうぞご心配なく。小説も書いています。
 ちょっと数日休んでから、もう少し想い出話を続けますね。
【追記】書名が間違っていたのをご指摘いただきました。ありがとうございます。
posted by 瀬名秀明 at 01:17| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2014年03月26日

日経「星新一賞」の想い出(その1)

 私が初期に実行委員会メンバーとして参加した日経「星新一賞」の第1回受賞作品集が、日経ストアからダウンロードできるようになった。それを機会に、いままで星新一賞に関して体験してきたことや、個人的に思ったことなどを記録しておこうと思う。SF業界ではこうした回想録がなかなか公にならないので、後に歴史を振り返るときとても苦労することが多いというのが実感である。だからあくまで私個人の回想録として、と断った上で、項目立てて書いてみたい。


《設立の経緯》
 「2013年の終わりに際して」(2013.12.28付)で述べたように、もともと日本SF作家クラブ主催の日本SF新人賞が2009年に休止したため、何とかそれを復活させたいというクラブの意向で、新井素子第15代会長・井上雅彦第19代事務局長のもと、「新人賞検討委員会」が発足したことに始まる。ちなみに委員会を設立できる権限は会長が有する。
 SF長編新人賞であり日本SF作家クラブが積極的に応援していた小松左京賞も、2009年に休止していた。そのためSFを対象とする新人賞が一気に減り、関係者の間に危機感があったわけである。

 ところが「2013年の終わりに際して」で述べたように、日本SF作家クラブは、内部で仲良く議論することは得意だが、外部に積極的にアプローチして、スポンサーを見つけ出すということができず放置されていた。ただし長編新人賞は「小松左京賞」、短篇新人賞は「星新一賞」と名づけたい、というアイデアが小松左京事務所の乙部順子さんからあり、この話は生きていた。
 いったん休止した「小松左京賞」を別のスポンサーで再開するのは難しい。そこで私はまず「星新一賞」に的を絞った。私が会長になることがきまった時点で、学術団体のメセナ活動との連携を期待し、大学や学会、科学施設などに話を持ち込んだ。公立はこだて未来大学がよい反応を示し、事務員がひとり確保できる程度の協賛金が集まるなら、大学内に事務局を設置してもよい、情報処理学会や人工知能学会などで後援できる、という話がまとまりつつあった。こうした場にはもちろん星ライブラリ代表の星マリナ氏も同席し、それらの議論に賛同している。これら打ち合わせの成果のひとつが、いま公立はこだて未来大学を中心に進められている「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」だ(当初は私も顧問としてメンバーに入っていた)。星マリナ氏は星新一さんの次女。星新一さんの著作権継承者は妻の香代子さんだが、体調が優れないため近年は星マリナ氏が代理人として表に出るようになった。

 さて大枠が決まり、私もほっとしたところで、具体的にスポンサーを探す作業に入ろうとした。公立はこだて未来大学の松原仁教授の弟さんである松原健二さんにも話を伺い、有望な企業を紹介してもらおうともしたが、昨今のIT・ゲーム業界は移り変わりが激しく、文学新人賞のように長く続けたい事業のスポンサーには向かないのである。
 そんな折、星マリナ氏が突然、「自分の友人の女性が電通を知っている。電通に話を持ちかけてみたい」といい出した。いったん、私はそれに反対した。広告業界が深く絡むと、星マリナ氏の意向が充分に反映されなくなってしまう怖れがあり、星マリナ氏の不満が増えると考えたからである。いま考えれば、これも星マリナ氏の「お友だち感覚」であり「きまぐれ」であった。しかし結果的に星マリナ氏は友人を通して電通さんに話を持ちかけ、同時期に電通顧問のSF作家・評論家の鏡明さんにも連絡を試みた。そこで私も了解し、星マリナ氏の意向に賛成したのである。ここで日本SF作家クラブ主催のSF新人賞という当初の目的は、大きく方向転換を迫られることとなった。
 星マリナ氏から「鏡さんが外国に行っているのか、連絡が取れない。瀬名さんが連絡してくれ」という主旨の話が来た。鏡明さんは日本SF作家クラブの会員だが、会員名簿には自宅住所しか載っていない。仕方がないので山田正紀さんに連絡先をうかがい、鏡明さんの事務所に電話して用件を伝え、2012年4月12日、私が汐留の電通に出向くことになった。
 そこで星マリナ氏の友人経由で話を受け取った電通の社員さん数名と、初めて顔を合わせることになる。彼らは株式会社電通の「コミュニケーション・デザイン・センター」という部署の人たちで、広告だけでなくいろんなことをやる人たちであった(後で知るが、早川書房編集部の塩澤快浩さんと組んで、早川のSF作品を海外に売り込んでいた人もこのうちのひとりであった)。
 電通の方々は、ひとつの案をすでに用意してあった。この案は事前に鏡明さんにも話して「瀬名さんと相談してごらん」といわれていたものらしい。そこで彼らが出したキーワードが理系文学≠ナある。
 通常、理系の人は自分のことを理系とはいわない。理系というのはたいてい文系の人たちである。だがあえてSFではなく理系文学≠ニ名づけたところに私は斬新さを感じたし、従来のSFコミュニティのしがらみから抜け出した新しい分野を開拓できると思い、大いに賛成し、その場で多くのアイデアを話し合った。私自身、デビューのころ理系ホラー≠ニレッテルを貼られ、SF業界からも、文学業界からも異端視されて、辛い思いをしたことがあった。世界中には文芸新人賞がたくさんある。だが理系≠キーワードにした文学賞はないだろう。世界にひとつくらい、そんな斬新な新人賞があってもいいはずだ。従来のSFの概念さえ超える、挑戦的な賞になるだろう。そう期待してその打ち合わせは終わり、ハワイに住む星マリナ氏にもさっそくメールで報告した。星マリナ氏も理系が好きな女性であり、この案には当初大いに賛成していたと記憶している。後に証拠を示すが、この案には鏡明さんも大賛成していた。むしろいちばん過激なアイデアを主張していたのは鏡さんだったかもしれない。

 さて「星新一賞」と名のつく賞に対して、多くの星新一ファンにはそれぞれ理想とするかたちがあるだろう。星新一というからにはショートショートの賞でなければならない、と考えるファンやSFプロパーも少なからずいるはずだ。しかし電通の提案した理系文学≠ニいうキーワードに、星マリナ氏と鏡明氏と私が賛同したことで、「星新一賞」は理系文学≠フ賞としてデザインしてゆくことが決まった。ならば理系文学≠ニは何か、なぜ「星新一賞」に理系文学≠ネのか、なぜSFやショートショートの賞ではないのか、ということに、論理的に答えられなければならない。

 実は「星新一賞」が電通と組んで理系文学≠フ賞としてようやく設立できそうだから協力してくれと、私が2012年春に日本SF作家クラブ「新人賞検討委員会」に話したところ、一部の会員から猛反発をくらった。それまでの経緯もきちんと私が逐一報告していたにもかかわらず、である。上述のように、彼らの一部には「星新一ならこうだ」という固定観念があり、理系文学≠フ賞という斬新さに残念ながら理解が得られなかったのである。SFコミュニティは保守的だと私は感じた。この件は泥沼化し、新井元会長もおろおろするばかりで頼りにならず、星マリナ氏にとってもこの件はトラウマとなったようで、このとき反対した会員をいまも許してはいないだろう。結局「星新一賞」は独自に動き「新人賞検討委員会」は別途新人賞の立ち上げを検討することになった。私はその時点で「新人賞検討委員会」に見切りをつけたが、案の定、私が会長職を辞任するまで、「新人賞検討委員会」はまったく活動をせず、成果も上げることはできなかった。(ただしいま日本SF作家クラブのウェブページを見ると、「現在、新人賞をリフレッシュして再スタートする準備期間にはいっております」と書いてある。私とは無縁に、頑張ってほしい)

 そうしているうち、「新人賞検討委員会」メンバーであった早川書房編集者の塩澤快浩氏が、突然「ハヤカワSFコンテスト」を起ち上げると「SFマガジン」誌で宣言した。これは日本SF作家クラブ事務局側にも寝耳に水の話で、私も吃驚したが、やはり日本SF作家クラブとして応援すべきだし、星新一賞とよい関係を築いてゆきたいと考えた。そこで好意的な意味で星新一賞の電通メンバーと星マリナ氏に「ハヤカワSFコンテスト」の応募要項を知らせ、協力関係を築きましょうと呼びかけたのだが、ここで星マリナ氏が激怒した。第2回の募集記事を見ても「受賞作品は、日本国内では小社より単行本及び電子書籍で刊行するとともに、英語、中国語に翻訳し、世界へ向けた電子配信をします。」とあるが、もともと星マリナ氏は「星新一賞」の受賞作を英語と中国語に翻訳して出版したいと考えており、そのことは議事録として「新人賞検討委員会」の掲示板にも載せてあった。そして塩澤快浩氏は日本SF作家クラブの会員であり、「新人賞検討委員会」のメンバーでもあったのである。星マリナ氏は、塩澤氏にアイデアを盗用されたといって激怒したのである。
 わたしはすぐさま塩澤氏に電話し、「ハヤカワSFコンテスト」の要項について詳しく問い質した。英語と中国語への翻訳に関しては、星マリナ氏がそのようなことをいっていたのを、すっかり忘れていたのだということが、口調からもよくわかった。だが私は会長として「クラブの会員で新人賞検討委員会のメンバーでもあるあなたが、クラブに事前の報告もなしに新人賞を起ち上げたのは、倫理的にもどうかと思う。星マリナ氏に直接連絡してお詫びしてほしい。またクラブ事務局にも、事後でよいから新人賞を起ち上げた旨の報告書を出してほしい」と要請し、この願いは叶えられた。星マリナ氏は最初激怒していたが、実際にその応募要項が掲載された「SFマガジン」誌を入手すると、たった2ページの告知なので拍子抜けした、といって、関心を失ったのである。こうした調整は、いままで公にはしなかったけれども、私がやっていたのである。星マリナ氏の対応には気苦労が多かった。

 星マリナ氏は、私のことを友人だと考えるようになり、気軽にその日思いついたことをメールしてくるようになった。たとえばこんなことがあった。祖父の小金井良精の胸像が東大医学部にあるらしい、それを見てみたいといい出した。そこで私はウェブを調べ、小金井良精の胸像が東大に3つあることを突き止め、それぞれ今どこにあるかも調べ、東大医学部の事務局に電話して、ご遺族が胸像を観たいといっているが許可してもらえるか、とお願いした。
 そうした一連のことを、日本に来た星マリナ氏に伝えたら、「私はちょっと東大に入って、胸像を見られればそれでいいのだ」という。「星薬科大学など外部の人は出入りし放題だ」と。私は「本来大学には自治というものがあり、勝手に他者が入ってはいけないものなのだ」と諭し、「この事務員に連絡すれば見学させてもらえる」と伝えた。原型のものは現在、ある医学部研究講座の所有物となっており、建物のなかに入らないと見られないのだ。星マリナ氏は面倒を嫌がり、興味を失ったようだった。こういうことも私がやってきたのである。

 さて「星新一賞」を理系文学≠ニ定義づける作業である。そもそも理系≠ニは何か? このニュアンスも明確ではない。星マリナ氏は「英語にSTEM fieldsという言葉がある、これが理系だ」といった。science, technology, engineering, mathematicsの総称である。だが英語のwikipediaを見ると、medical scienceはSTEM fieldsに含めない、と書かれている。私の感覚ではSTEM fields≠ニは理系≠ニいうより日本語の理工系≠ノ近いような気がした。そこで私は星マリナ氏に「医療系は含めなくていいのか」と問うた。星マリナ氏の回答は不明瞭であったが、医療系・看護・介護系も「星新一賞」の理系≠ノ含めるべきだ、と私は主張した。実際、そのようになったと思う。私自身は、科研費の申請に用いられる分野細目表を電通さんや星マリナ氏らに提示し、明らかな文系分野を除く、総合系と理系分野を理系≠ニすればよい、と主張した。研究者ならこうした分類法のほうがしっくりくるはずだからである。だがこのあたりは星マリナ氏は関心を示さず、結局曖昧なまま進んだように思う。

 星マリナ氏の理想とする受賞者像は、おそらく次のようなものだったろう。理系の大学か大学院に通う明晰な若者で、科学と小説を愛し、どちらでも世界で通用するような才人。将来、科学者としても作家としても颯爽と活躍できる人。ミチオ・カクのように、テレビの科学番組でも活躍し、わかりやすく、ユーモアを交えて先端科学を伝えられる人。私もそうした側面には賛同していたから、星マリナ氏に協力を続けたのである。日本の文芸シーンや科学シーンが変われば面白いという期待もあった。
 ただ当初、星新一賞実行委員会のメンバーに、純粋な理系出身者は私ひとりだけだったのである(当時、実行委員会メンバーは電通の社員さんたちと、星マリナ氏と、私・瀬名秀明。鏡明さんはアドバイザーのようなかたちで会議に参加しており、後に正式なメンバーとなった)。だから理系のイメージや常識に関して、話が合わないことも多々あった。
 すでにご本人がツイッターでほとんど告白しているのに等しいので述べるが、最近『夢巻』(出版芸術社刊)で単行本デビューしたショートショート作家の田丸雅智さんは電通の社員であり、後に星新一賞実行委員会のメンバーとなった人物である。彼は東大大学院工学系研究科出身で、だから星新一賞実行委員会で理系出身者は私と田丸さんのふたりだけだった。
 田丸さんが2013年2月につくった資料をここで示そう。勝手に載せてしまうが、重要な資料だと思うので、許して下さい。

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「発想力」と「洞察力」の掛け算。これが星新一の理系文学≠ナある、というのが私たちの考えだった。星マリナ氏もこれにはっきりと賛成した。私たちが星新一賞で受賞させたいと思うのは、こうした星新一の精神を受け継ぐ、新しい理系文学なのだとこのとき決まったのである。
 ただ、残念なことに、電通さんは各協賛企業や主催者に賞の性格を説明する際、せっかく田丸さんがつくったこの資料をあまり丁寧に説明しない傾向があった。たぶん下読み選考委員の方々にも、こうしたことは伝わっていなかったのではないか。これが後々混乱を招く一因にもなったように感じる。

 さて、さらに問題は山積していた。このように決まったとしても、星新一ファンのごく一部や、SFコミュニティのごく一部は納得しないかもしれない。「いや、ショートショートの賞でなければだめだ」と主張なさるかもしれない。そのことを心配した星マリナ氏は、「SFコミュニティがこの星新一賞を一丸となって応援してくれるという総意がほしい」といい出した。これには私も難儀した。
 いくつかの方策が考えられる。まずエヌ氏の会、日本SF作家クラブに星新一賞の協力団体へ入ってもらい、お墨付きをもらうのである。この場合、「理系文学とは何か」と訊かれたら「SFです。広告代理店の戦略で理系文学≠ニいっています」といえばよい(この案は星マリナ氏自身が出した)。日本SF作家クラブはたとえ「新人賞検討委員会」が何といおうと、もう別途進めることになったのだから、あとは総会で了承を取ればよいだろう。問題なのは、星マリナ氏が、全国にあるSFファン団体のすべてからも総意を取りたい、といい出したことである。
 実は私が日本SF作家クラブ会長のとき、SFWJ50(日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクト)は各地のSFファン団体とも交流を深めながら進めるべきだと思い、ウェブで調べて、連絡先のわかるところには私自身がメールを出し、協力していきましょう、こちらからも進捗状況を逐一伝えます、と連絡した。だが返信がきたのは3分の1程度であり、反応は薄かった。しかもSFWJ50の起ち上げ日というべき2012年10月6日のジュンク堂池袋本店のセレモニーが、「京都SFフェスティバル」と重なったということで、KUSFA(京大SF研)出身者のSFファンの人から、日本SF作家クラブが喧嘩を売ってきたなどと冗談交じりにツイッターで書かれたりして、私は実のところかなり傷ついていた。

 星マリナ氏は、自分が何かの総意を取りたいと思ったら、それができるのだというふしぎな信念を持つ人だった。サーフィンの世界では、世界中のサーファーの総意がどうやら取れるものらしい。その経験を敷衍しているようだった。しかし総意を取るとは簡単なことではない。相手が組織化された学会なら理事会を通せばすむことだが、いったい日本中のSFファンの総意≠どうやって取れというのか。私が『星新一すこしふしぎ傑作選』(集英社みらい文庫)を編んだときも、どこまでの記述が許されるのかという点について、日本の児童文学界と集英社の総意を知りたい、と私にいってきて困らせた。
 そこで私は、もとエヌ氏の会会員で、日本のSFファンダム事情にも詳しい評論家の牧眞司氏の名を上げ、彼に相談してみたらどうかと提案した。私は牧氏がきっと適切なアドバイスをして、星マリナ氏にもよい忠告を与え、物事をうまく運んでくれると考えていた。牧氏が星マリナ氏に甘いwということは知らなかった。
 こうして星新一賞設立への道は進んでゆく。

 思いがけず、ずいぶん長くなった。今回はここまで。

【追記】タイポをご指摘いただいたので直しました。ありがとうございます。
あと些細な部分で突っ込みがあったので、小金井良精の胸像部分に一文追記しました。
posted by 瀬名秀明 at 16:56| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2014年03月25日

星新一賞受賞作

日経「星新一賞」の受賞作、もう日経のサイトからダウンロードできるじゃないか!
しかし選評は載っておらず、最終審査会の司会進行役を務めた鏡明さん(星新一賞実行委員会メンバー)の総評が載っているだけであった……。これでいいのかなあ。
【追記】ごめんなさい、選評は各篇の後ろに載っていました。目次には書いていないので、改めて最初から読んでいってわかった。うーん、しかしこの程度の分量なのか……。次回に応募する人の参考になるのだろうか……。星新一賞については、思うところをいつかまとめて書こう。
posted by 瀬名秀明 at 20:06| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2014年03月19日

仕事

【書評】図書新聞/2014.1.25号/「科学技術へのたゆまぬ「勇気」こそ」p.1
【書評】週刊朝日/2014.1.31号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「中絶を選んだ主人公の心情は」p.87


【解説】山下卓『ふたり』/徳間文庫/2014.2.15/ISBN978-4-19-893800-0/本体570円/「解説」pp.199-205/帯オモテ・ウラ推薦文
【書評】週刊朝日/2014.2.28号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「動物にも「失神」があるのはなぜ」p.93
【書評】IMA/2014 Spring(Vol.7)/特集 イメージの中の動物たち「Phenotype」/「心と科学の間に横たわる写真」p.60


【インタビュー】Dream Navi/2014.3/両方の力をバランスよく身につける 文理のボーダーを越えよう「著名人にインタビュー 文理のボーダーを越えた人たち」/取材・文=國天俊治、写真=阿部雄介「作家・薬学博士 瀬名秀明」pp.60-61
【インタビュー】讀賣新聞/2014.3.11/文化「文芸」/佐藤憲一「愛に昇華した「虚無回廊」」p.17
【記事協力】かわくらメルマガ/vol.40(2014.3.11)/新刊ピックアップ/伊藤靖「震災後の未来を創る物語−−瀬名秀明『新生』」/年表作成:瀬名秀明、協力・年表中文責:河出書房新社編集部「『新生』年表」
【インタビュー】日本経済新聞/2014.3.12夕刊/中野稔「SFが未来をつくる」p.16
【インタビュー】朝日新聞/2014.3.18夕刊/文芸・批評/中村真理子「技術の進歩で倫理が変わる 魂が複製される未来を描く」p.3
【書評】週刊朝日/2014.3.28号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「絵画療法を軸に心の治療を辿る」p.101
【帯推薦文】田丸雅智『夢巻』/2014.3.30/ISBN978-4-88293-458-5/本体1400円/帯ウラ推薦文
posted by 瀬名秀明 at 14:59| 仕事の記録 | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

きまぐれな星ライブラリ

角川つばさ文庫で『きまぐれロボット』という本が出るんだそうだ。ふーん。
私が『星新一すこしふしぎ傑作選』(集英社みらい文庫)を編んだときには、既存の文庫版の表題作を採らないでくれと星ライブラリ(星新一作品の著作権継承者らによるごく小さな組織)の代表者にいわれたのだが、またきまぐれで変わったのか。それとも角川文庫の表題作はOK、新潮文庫の表題作はNG、などといいわけをするのだろうか。

私が『星新一すこしふしぎ傑作選』編纂時に星ライブラリの代表者から求められた縛りは次の通りだ。

イラストに関しては、編集部側が候補のイラストレーターを星ライブラリ側に提示したところ、
・アキバ系のイラストはNG
・知的であり、メルヘンチックであってほしい
・細部にわたって美しさがあるといい
・SFっぽさが感じられること
・天才で頭がよさそう
と、いきなり上記5つのオーダーリストとともにダメ出しが来た。

編纂内容に関しては、
・(星ライブラリ代表者側から、今回初めていい渡された制約として)文庫表題作は除く。
・(星ライブラリ代表者の個人的な要望として)新潮文庫、角川文庫の両者からバランスよく収録してほしい。
・(星ライブラリ代表者の個人的な要望として)今までほとんど注目されなかった作品を選んでもらったほうが嬉しい。例として「オアシス」「墓標」「雪の女」。
・(星ライブラリ代表者の個人的な要望として)新発見されたエッセイ「うきなす」を入れてくれると嬉しい。(←実は、発見自体はずいぶん古いことだった。星ライブラリ代表者が勘違いしたらしい)
という要請が星ライブラリ側から示された。
加えて編集部内での話し合いにより
・なるべく多くの著作から選び、星新一作品の魅力を伝えられるようにする。
・競合相手である講談社青い鳥文庫と角川つばさ文庫の収録作は省く。
・全体で200ページほどとする。
ということになった。結果、瀬名に厳しい制約が課せられたわけである。
星ライブラリ代表者の「個人的な要望」とは、「こうなってくれるといいなあ」といったニュアンスのことを、代表者から個人メールで受け取ったということだ。編纂担当者に対する圧力であるが、こちらも立場上、無視するのは難しい。


しかしこれに限らず、星ライブラリとの仕事上の問題点をよく洗い出してみると、結局は星ライブラリ代表者のきまぐれで周囲が混乱しているだけであり、また代表者は小さいときから多くのSF関係者に愛されて育ったため初対面の誰もが自分のことを知っているという体験を重ね、きまぐれな決断をしても周囲が許してくれると勘違いしてきたようだ。またこうした振る舞いに対して星新一ファンやSFコミュニティの人たちが適切なアドバイスや忠告をできない状況も、極めて問題であると感じた。
このようなことから、星ライブラリを今後ビジネスパートナーとして積極的に信頼することは難しくなった。現在、私は星ライブラリと関係を絶っている。

私は星新一作品は好きだが、星ライブラリのきまぐれは苦痛だ。
『星新一すこしふしぎ傑作選』は、私が編纂したという気がまったくしないので、印税も解説原稿料もすべて受け取らず、慈善団体に寄附した。

日経「星新一賞」の入選者・受賞者の皆さまは、星ライブラリのきまぐれにどうか惑わされることなく、おのれの信じる道を進み、日本の「理系文学」を豊かなものにしていっていただきたいと切に願う。第1回の受賞者の皆さまが、これからの日経「星新一賞」の価値と、理系文学の未来をつくるのである。決して星ライブラリがきまぐれでつくるものではない。どうか頑張ってほしい。


【追記】2014.3.12
星新一賞実行委員会は、受賞者の「遠藤慎一」さんが作家の藤崎慎吾さんだと知らなかったそうだ。へえ、実行委員会の面々は遠藤慎一名義の科学記事も読んでいないのか! よくそれで理系文学の賞の運営をやっているな。私がいたならすぐにピンときただろうに。
posted by 瀬名秀明 at 18:40| 読んで書く、書いて読む | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

これからの講演

【トークイベント】はるこん2014/2014.4.12(土)〜13(日)/大森望・日下三蔵・瀬名秀明「第5回創元SF短編賞結果発表会」2014.4.12(土)12:00-13:30/瀬名秀明・大森望・なつこん実行委員会「なつこんGoH瀬名秀明に聞く--なつこんに行こう!」2014.4.12(土)15:00-16:30/日下三蔵・牧眞司・瀬名秀明「日本SF短篇51」2014.4.13(日)10:00-11:30/ピーター・ワッツ×瀬名秀明対談企画「意識とは何か」2014.4.13(日)11:30-13:00/海野螢×瀬名秀明対談企画「ロボットはロマンティックか?」2014.4.13(日)14:30-16:00/サンピアンかわさき
posted by 瀬名秀明 at 21:14| 仕事の記録 | 更新情報をチェックする