日常に、一番大切なことを組みこむと幸せになれる

夢を探求しているときは、心は決して傷つかない。それは、追及の一瞬一瞬が…永遠との出会いだからだ /パウロ・コエーリョ 『アルケミスト』


アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

  どうすれば幸せになれるのか?

  こんな問いを立てること自体が、こっ恥ずかしいことのように思われます。ただ、そのことについての1つの答えが、最近の生活の中で、少しずつ動き出してきたので、書きとめておきます。

日常の中で

  とても壮大な書き出しでしたが、ここからは現実的で味気ない話しになるかもしれません。僕は、ダイエットとして、入浴中に筋トレをしたり、通勤電車の中で吊り革を持たずに立ったりしていました。それに加えて、先週から、通勤電車の中で、自分が一番大切にしている仕事についての英語文献や資料を訳すようになりました。方法としては、プリントアウトした英語を、iPhoneの辞書を使いながら訳して、裏紙にペンでメモしていくという方法です。(しかも、立った状態で。iPhoneへの入力も考えたのですが神経を使って集中できないので、帰宅後にタイプするようにしました)
  以前から通勤中に読書をしていたので、やることが大きく変わったわけではありません。それでも、日々の中にちょっとした充実感が出てきたように思います。

重要なことに触れられないまま日々は通りすぎていく

  ふり返ってみると、自分のライフワークに取りくもうと思い立って、昨年から活動してきましたが、日々の業務や生活に追われて、ライフワークに関する取りくみを全くせずに一日が終わることもありました。そういう日が続くと、後ろめたさや逃げている感覚、進んでいない感じがして、とっても気持ちがどんよりとしていました。明確に自覚できてはいなかったのですが・・・。
  かといって、その日々に別に楽しいことがないわけじゃないんです。飲み会があったり、マンガ読んだり、ネットサーフィンしたり、スポーツしたり。嬉しいことやリラックスできることはあって、それでも、ふり返るとパッとしない日々になってしまっていたのです。
  その原因を考えると、ただ1点「本当に大切なことをしてこなかった」ということだけだと思うのです。

いちばん大切なことに、いま、手をつけることもできる

「まとまった時間」はもう永遠にやってこない

  ぼくはついつい、「腰を据えて取り組む時間がないから」、「短時間でできるほど簡単なことではないから」と、自分にとって重要度の高いものほど後回しにするクセがあります。その態度には、少し肩に力が入りすぎていて、空回りしていたのかな?と今は思います。
  たとえどんなに大きな問題であったとしても、5分間考えることは可能です。解決はできなくとも、1ミリメートル先に進めること、昨日までとは違った状態にすることはできるのかもしれません。
  余計な力を抜いて、世界を変えるような、そんな取りくみ方ができるのではないか、と思うようになってきました。
  それは、「死を見つめる心」で岸本英夫が言っていたように、

  生き甲斐ということは、むしろ、一つの目標をもって、その目標に心を打ちこんで、一筋に進んでことの中にあるのだ、ということに気がついたのであります。
  そう気がついてみますと、手負いの猪のように、あばれ廻っているだけでなくて、心が、しっかりと、一つの方向にむかってすわっているかどうか、ということが、大切な問題になってまいりました。

岸本英夫『死を見つめる心』がスゴイ – 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜 岸本英夫『死を見つめる心』がスゴイ - 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜

  ということがとても、実感を持って分かってきました。それは、愛が実態として存在しているのではなくて、日々のやりとりの、その繋がりの後ろに存在しているように、自分の大切にしていることに触れ続ける中に、価値観や幸福といったものが顔をだしてくるのだと気づいたのです。
  そして、それは今の僕にとっては通勤電車の中に立ちながら、紙とペンを持って英語を訳していくことで、表していくことができるのではなないかと思います。本当にやりたいこと、時間がないから、権限がないからと、見ないようにしていたことに、緊張や不安も通り抜けて、さらりと触れてみると日常は違った顔を見せてくれるのかもしれません。

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