【スピーカー】
現代アーティスト ドゥルー・カタオカ 氏
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TEDxTokyo – ドゥルー・カタオカ 05/15/10 – (日本語)
芸術は世の中すべてのハブだった
ドゥルー・カタオカ(以下、カタオカ):道行く人に、突然アーティストの名前を訊いてみてください。「そのアーティストにはどういった作品がありますか?」と訊いたら、多分、ぽかーんとした顔をされるでしょう。ニューヨークだったら警察を呼ばれるかもしれません。
でも、道行く人に現在のテクノロジーにはどういったものがあるのか尋ねてみると、ステーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツといった返答が返ってくるでしょう。これは、芸術は現代にとって重要でないが、テクノロジーは現代にとって重要であるということでしょうか? 私はそうは思いません。
芸術は社会的、テクノロジー的なもの、科学的なものと私たちを結び付けるものでした。喫緊の社会問題や、科学、そして宗教、こういったものを結びつけてきたんです。
でも、今、この役目を担っているのはテクノロジーです。テクノロジーによって、遠くにいても通話や会話ができるようになり、ソーシャルネットワーク、Wikipediaといったものが私たちをテクノロジーへ巻き込んでいます。
そうしたテクノロジーを使って現在、私たちはコミュニケーションを取っています。芸術でもそういったものを取り戻さなければなりません。そして今から説明するのは、芸術が学ぶべき8つのレッスンです。
芸術家は頭が良くないフリをする
ウェディング・クラッシャーズのトッドの話をします。
テクノロジーの話になると左脳、右脳の話題が出てくると思います。芸術家は感情的であり、頭が良くなくてもいいとか、そういった話になってくると思います。逆に、科学者は頭は良いけど、感情はまったく動かないといったように考えられていたりします。
でも、技術的、芸術的、歴史的な人たちは、ある意味で、サイエンティストともいわれているんですね。
これはトッドなんですけれども、彼は芸術家なので、エキセントリックでちょっと人と違っていて、感情が溢れているし、一カ月に一回しかシャワーを浴びないという変わった人なんですけれども。こういった人が芸術家と思われているのが一般的ですね。
実際これは、芸術家自身がそういった認識をさせようとしている向きがあります。こうやって、芸術家たちは変わったことをして、メディアに取り上げてもらおうとしているんです。彼らはまず「学校の成績が良くなかったんだよ」という風に説明したりします。頭が良い人が、芸術家になろうと思いますか? そうは思いませんよね。変わった人がなるのですから。ですから、芸術は今、人が不足しているんです。
一方でテクノロジーを担う技術者は本当に評価が高いです。オタクの人が安息の地と言われている場所に集まってくるんですね。でもアーティストはどうかというと、集まっては来ないです。
批評家の存在が人を芸術から遠ざける
2つめのレッスンです。小学校2年生がサーバをいじることができると思いますか?
できませんよね。これは描けると思いますか?
描けますよね。それではこういったことはできるでしょうか?
これは実は、白い絵なんです。非常に評価が高い絵なんですよ。ニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)にある絵なんですけれど、小学校2年生は、これを見て、
「私にも描けるわ」と言うと思います。
道を行く人には、アレは2年生が描いたものと同じように思うかもしれません。そしてアートの批評家は「君たちは教育を受けなかったから、そう見えるんだよ」と言うと思います。でも、それは、小学校2年生をはじめとした人たちを、芸術からとても離してしまうことになります。裸の王様みたいなものですね。
芸術家はスティーブ・ジョブズを見習え
レッスン3。「可愛くなることを恐れるな」ということですね。
スティーブ・ジョブズはMP3プレイヤーを可愛く作り、世界でたくさん売りました。
そして、デスクトップやタブレットといった周辺機器に応用していったんです。しかし、芸術の世界では、「醜いことが、新しい可愛さ」といわれています。これは絵画なんですけれども、
美しく描こうと思って描かれたものではありません。実は象の糞、そして、浮いている部分は女性の性器をポルノ雑誌から切り抜いたものです。ね、格好いいですよね。芸術と言うのは可愛ければいいというものではないんです。美しくあることも、ないことも恐れてはいけないんですね。そこに美しさと品位があれば良いんです。
アップル社はこういったことをパワフルにやっています。可愛いければその製品を好きになりますよね。買って、話して、使って、友達に見せる。好きじゃないとしません。MP3が大量に売れたことは、芸術家がアップル社から学ぶべきことがあるということです。
芸術は実用的でなくてはならない
レッスン4ですね。『便利なものを使いましょう』ということです。
テクノロジーは実用的です。人との関係を保ったりします。ところが、芸術はただ壁にかかっているだけです。
私はアーティストなので、こんな話をさせてもらっています。
でも芸術は常に壁にかかっているだけではないんです。芸術は中世時代、皆が礼拝に集まるゴシック様式の大聖堂にもありましたし、宮本武蔵という古来の剣士は芸術である水墨画によって、実際の戦いのための精神集中をしたといわれています。実用的な部分を馬鹿にしてはいけないと思います。
デザインや建物、洋服、といったもの。芸術家はそれらに、本来の繋がりを取り戻さなければなりません。生活の中、考えの中、リビングルームの中に再び取り入れていかなければなりません。
ファッションはコミュニケーションツール
レッスン5です。
『21世紀にはポータブルに(身に着けるように)しよう』ということですね。私たちは起きている時間の75%、活動をしています。皆さんは、活動中どういったアイテムを持って行きますか? 携帯電話、ノートパソコンなんかを持って行きますよね。通勤から長旅まで、ところで、そんなとき皆さん絵画を持って行きますか? 像を持って行きますか? 持って行きませんよね。私も持っていきません。
私が持って行くのはファッションです。私はファッションが大好きで、実はこないだもファッションショーの審査員をしたんですが、ファッションは人の関係性を語るものですよね。
女性も男性も外出時には着るものを選ばなければなりません。そして、出会ったら何を着ているのか見ますよね? 服装は喋る前に見ることができます。皆さんと非常に早くコミュニケーションが取れるものなんです。ですから本当にパワフルでイメージを構築するものです。
コピーを受け入れるべき
レッスン6。「印刷技術の受け入れ」ですね。
科学者はヨハネス・グーテンベルクに感謝しているはずです。なぜかというと、小説とか科学書、そういうものが印刷技術でコピーできるようにしたからです。それは多くの人に届けられます。大量生産を可能にし、安く、多く、コピーし送り届けることができます。そうならなければ、現在のように技術は普及しなかったでしょう。
もちろん芸術の中にも、グーテンベルグの精神性は生きています。
彼の前の時代でも、少なくとも人の心の中には芸術は残っていました。コピーですけれども、例えば、レンブラント(レンブラント・ファン・レイン※17世紀のネーデルラント=オランダの画家)の複製画があるとします。それはオリジナルより劣るという考え方はあります。複製は良くないという考え方です。でも、芸術も多くの人に受け入れられるためにコピーを受け入れていくべきだと私は思います。
CDはコピーだからといって馬鹿にしませんよね。DVDもオリジナルじゃないからといって馬鹿にされることはありません。複製がオリジナルを超えることもあるかもしれません。
関連するコンテンツと結びついたとき超えたひとつものができると私は思います。
スーパーマンはもういない
レッスン7です。「スーパーマンはもういない」。
過去17年間、ノーベル物理学賞は複数の人たちにより受賞されてきました。そして、過去10年間、医学賞もそうです。これは、コラボレーションの結果だからなんです。しかし、芸術をスーパーマンに例えると、彼が自分自身で全てやってしまいます。
ウォーホール(アンディ・ウォーホル=20世紀のアメリカのアーティスト)が、スーパーマンがこう言ったと言っています。
「やったー。僕の強力なひと吹きで森林火災を消し止めたぞ」と。でも、スーパーマンはもういません。もうすべてやり尽くされ、私たちは全て見てしまいました。
本当のクリエリティビティとは、違った分野、違った理念の交差点で、つまりコラボレーションから発生します。芸術もやっぱり範囲を広げ、コラボレーションすべきでしょう。サイエンスとかテクノロジー、音楽、そういったものと繋がってコラボレーションする必要があると思います。アーティストたちは、ベンチャー企業の企業家たちのようにさまざまなものを共有していくことが必要でしょう。
夢を与えよう
最後、レッスン8です。「人に夢を与える」。
インターネット、ビデオ、ゲーム、遺伝学、生理化学……。それらは、すばらしい未来を夢見させてくれます。
芸術もそうだったのですが今はそうではないんです。私たちは、人々の生活の中で卓越した場所に私たちの芸術を再構築していかなければいけないと思います。ありがとうございました。