イタリア 地域精神医療体制

ほんとうに親切にもてなしてくださった方々に申し訳ないけれど、私のイタリア精神保健福祉事情の感想は、古色蒼然専門職による地域精神保健福祉体制 20世紀の遺物 というよりあくまで精神医療体制か? 旧世紀の最善の良心的従事者による実践か??

池原さんのつてで、シチリア島の真ん中、とても美しい古都カルタジローネにいって様々なグループホーム見学させていただいたイタリアの南は精神医療改革遅れているというけれど、この地域はトリエステ同様78年に精神病院解体がなされた。もっとも結構な数20000人が私立の小さな精神病院(治療共同体と称する鍵のかかった施設)に入れられているとのことですが(1998年当時)

ここで案内してくださったこの地区の精神保健部門のドクターはバザーリあと一緒に働いていたこともあるという方、バザーリア派のポスターも貼ってあった。

ベッドは総合病院に8つそこも見せてもらったし数々のグループホームや司法精神病棟を解体したあとのそれに代わる治療共同体(公立)も見せてもらった。

どのグループホームも利用者ではなくて、いろいろ案内してくださったドクターとその職員の案内により部屋いろいろ見せてもらう、共通で使うスペースはともかく、なんと居室まで、開け放されて鍵がかかっていない、中はまるで兵営のように整頓、まるで生活の匂いがしないそれぞれ段階があって手厚いグループホームはほとんど施設というか病院、何より、トイレに鍵がかかっていて職員が鍵を開ける、

一緒にランチいただいたところでは、職員も一緒に食事っていうの強調されたけれど、プラスチック製のナイフとフォークで食事、お皿も全て使い捨てのプラスティック、私たちにだけ金属のナイフが配られた。

私立の治療共同体と称するところは閉鎖でしかも職員は白衣を着ていて、スティグマというか利用者と職員の分離が強烈と説明されて、その廃止に向けて今戦いっているということでしたが、それと違って、これらのグループホームは白衣を着ていないし、一緒に食事するんですよと言われても、する側の職員とか案内してくださった方は、自分のうちにかえれば食器は陶器で金属のナイフフォークで食事しているだろうし誰かが外国人を案内してベッドルームを勝手に見せられるなんて体験ないでしょう

協同組合が運営している素敵なレストランとホテル紹介していただいたけれど、なんとそこで働いている方のグループホーム、昼間はどなたも働きに行っていたどなたもいない、そこをスタッフが鍵を開け案内して、ベッドルームさらにベッドルームの棚まで開けてみせる、

されるがわの私としては身の置きどころない思い

もっとも一緒に行った一木さんは例えば喫茶店で隣になった人でも、話しかけてきて結婚は、子どもは、仕事はって聞いてくるって言うから、イタリア人のプライバシー概念私と全く違うのかもしれないし、私みたいに散らかして暮らす人達ではなくて、兵営かと思うくらい片付けて暮らす人達なのかもしれないけれど

でも違うなあそうでも、勝手にずかずか案内するってやはり違うし、何度も白衣を着ない意味なんて言われても、トイレの鍵が象徴しているされる側とする側の権力的な違い

他の地域でグループホーム見学した方はどうかしら、これってシチリアの特殊性かしら

訓練訓練治療治療、何年続くか知らんけれど、そういう意味では長期入院体制、慢性精神障害者創造体制としか私には見えない良心的専門職が陥る罠では、あるいは日本で賞賛する人たちはあくまでする側の権限で訓練矯正の体制を地域に拡大することを目的としているのか??

あるいは町を病院にして数年間の訓練強制を精神病院での入院にかえるのか?  年単位の施設での治療って長すぎるんじゃあないかしら、改革後30年近くたってもこの実態ということはイタリアの医療って古色蒼然では??   PAが全く触れられなかったし オートノミーって言葉何度も聞いたけれど、それって、掃除や炊事が自分でできることっていう意味みたいいずれにしろ言葉の壁は熱い、ここまでの情報も主に同行してくださった一木さんがおられたから得られた情報、彼女は教育分野でイタリア言ってイタリア語できるから、ほんとうにおせわになって、ツアコンまでさせてしまいました

一木さんに感謝

一木さんによるとイタリアの統合教育も世界で最初の実践ですが、医学モデルという批判があるとのこと、精神医療にしろ教育にしろ早く改革始まったので専門家主導医学モデルというところが拭い切れないのかもしれません、そこが日本の専門職をひきつけているのかも なんせすべての精神の社会資源の場は治療共同体であるべし、なんていう精神科医までいるわけで、まったくもう 一回り遅れてというか周回遅れの医学モデル復権がイタリア礼賛の背景にあるのかもしれません