寺尾真紀の「ツールの誘惑」<8・完>フォイクトが語るツール最終日の喜び レース後さらにシャンゼリゼを走る”名誉の一周”
7月24日、ピレネー3連戦最終日。そして今ツール最後の山岳決戦となる第18ステージ。ツールの旅ではおなじみの町、ポーのボーモン公園に、チームバスがずらりと整列した。ポー市内に宿泊するチーム スカイやガーミン・シャープ、ベルキン プロサイクリングチームの選手が自走でスタートに向かう姿も見られた。ふかふかの芝生にしつらえられたヴィラージュに立ち寄る選手も多い。仲間や家族とテーブルを囲み、カフェで1杯。でもその様子はどことなく物静かで、ひっそりしている。パリまであと一息だ、という興奮が、3週間蓄積されてきた疲労を癒すには、まだちょっと早すぎるのだ。
スプリンターは温存のために苦闘する
前日の第17ステージでは、後半70kmに1級山岳が3連続で登場し、超級のサンラリ・プラダデ頂上にゴールした。そしてこの日も、超級ツールマレーを越えて同じく超級オタカムの頂上に向かうビッグステージ。スプリンターにとっては、さらなる苦闘の1日だ。平坦基調となる翌日の第19ステージ、そしてシャンゼリゼを周回する最終日・第21ステージのスプリントに焦点を合わせ、山岳ではできる限り体力を温存する。
「とにかく制限時間内で最大限に体力をセーブする。昨日は山岳が連続したので上りのスピードを調節するのが難しかったけれど」
リクイガス・ドイモでデビューする以前からペテル・サガン(スロバキア、キャノンデール)を知るステファノ・ザナッタ監督は、この日も監督車でグルペットに並走した。アレッサンドロ・デマルキ(イタリア)が逃げに入ったときは、もう1台の監督車にグルペットを任せたが、基本的には彼がサガンを担当している。ピレネーでは、パワーメーターを利用して、トップグループのアベレージに対し80%~90%くらいを目安に走行するよう指示を出した。
「たとえば昨日の山岳ならば平均で340ワットから360ワットくらいのところを、280ワットから300ワットで上っているような感じ。というわけで、やり方によっては、消耗をある程度減らすことができるんだ」
オタカムの頂上では、ティージェイ・ヴァンガードレン(アメリカ、BMC レーシングチーム)が笑顔を見せた。フィニッシュラインを越える選手をチームのソワニエ(マッサー)が迎え、肩や背中に手を添えて、チームスタッフが待つ一角へ案内していく。選手たちは、渡されたタオルで体を拭き、乾いたジャージに着替え、飲み物やバゲットのサンドイッチでひとごこちつけてから、自走で麓のチームバスへと下っていくのだ。
勝つことこそ、ニバリにとっての恩返し
ティンコフ・サクソのビャルヌ・リース監督は、第18ステージを走り終えたラファウ・マイカ(ポーランド)に労わるような眼差しを向けた。すでにステージ2勝を挙げているマイカは、この日ニバリの後塵を拝したが、ステージ3位に食い込んで山岳賞ジャージのマイヨアポアをほぼ手中に収めた。チームオーナーのオレグ・ティンコフ氏は帰ってきた選手を捕まえ、最終峠でのできごとを事細かに尋ねていた。強烈な個性を振りまくティンコフ氏であるが、どこか憎めないのは、メーターが振り切れるほど自転車を愛してやまない気持ちがなんとなく伝わってくるからかもしれない。
「ニバリは強いけれど、容赦がない勝ち方をしますね」
ふらりとこちらに歩いてきたリース監督にそう尋ねると、ちょっと肩をすくめ、いつもの謎めいた笑顔になった。
「力がある、勝てる、だから勝つ。そこに、批判できるようなことは何もないからね」
レキップ紙の著名ジャーナリストであり、今ツールでは精力的にニバリの取材を行っているフィリップ・ブルネル(普段は決してフィニッシュラインに行こうとしない彼の黒ずくめの姿を、アルプスやピレネーの頂上ゴールで何度も見かけた!)はこう答えた。
「ニバリが気にかけたり、お返しをしたりするとしたら、若いころ自分を支えてくれたシチリア(故郷)の人たちだけなんだと思うよ。そしてこうやって勝つことこそ、彼にとっての恩返しなんだ。それがぼくの結論かなあ」
トップのニバリがゴールしてから30分以上経った頃、グルペットがオタカム頂上に到着し始めた。
「最近のグルペットは(アダム・)ハンセンや(ベルンハルト・)アイゼル、(アレッサンドロ・)ペタッキといったベテランが面倒を見ているようだよ」
ザナッタ監督がそう教えてくれていた。この日のグルペットにハンセンの姿はないが、スプリンターチームを中心とするいつもの面々が、げっそりやつれた表情でゴールしてきた。
頂上からスプリンターたちが下山すると、警察車両の先導により関係車両の下山が始まった。チームカー、オフィシャルカー、広告キャラバン、そのあとやっと、ステッカーを貼った他の関係車両の下山が始まる。今ツール最後の山岳が、ようやく終わったのだ。
目には見えないサガンの胸の内
7月25日、第19ステージのスタート地モブルゲのラルバネス通りでは、大きな街路樹がチームバスの上に影を作った。ミハウ・クフィアトコフスキー(ポーランド、オメガファルマ・クイックステップ)が笑顔を見せ、マチュー・ラダニュス(フランス、エフデジ ポワン エフエル)はファンのサインに応じて立ち止まる。
ガーミン・シャープのヨハン・ヴァンスーメレン(ベルギー)も、知り合いと言葉を交わしながら表情を緩めた。セバスティアン・ラングフェルド(オランダ)とトムイェルト・スラフトール(オランダ)は、いつも通りじゃれあいながらスタートに向かっていく。アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ベリソル)はハンドルの上に覆いかぶさるように慎重にブレーキの具合を確かめ、いつもの静けさでチームバスを後にした。
バス前方の座席に座るサガンに、ザナッタ監督がイタリア語で励ましの言葉をかけ、気遣うような表情でサガンを送り出した。ザナッタ監督は次のように話してくれた。
「マイヨヴェールを3年連続で獲得するというのはすごいことだよ。けれど、勝てなくてOKの選手なんていない。彼はまだ若い。プレッシャーに強いようで、弱いところもある。結構、堪えているんだ」
グルペットをまとめるアダム・ハンセン
アダム・ハンセンは、まだバーニー(ベルンハルト)・アイゼルからグルペット隊長の座を継承したわけではない、と前置きしつつも、こう説明してくれた。
「みんなをまとめる、まあ牧羊犬みたいな仕事だね。上りは早すぎず、下りは時間を稼ぐため、マックススピードで。平坦部分では、みんなが公平に仕事を分担するように調整する。速すぎる選手がいたら、スローダウンするように伝える。それぞれの上りでどのくらいの猶予があるかは監督が計算してくれる。ゴールで予想時間の15%(これより遅れるとタイムカットになる)が、たとえば35分だったとする。そして、ふもとから山頂まで10kmの上りがあったとする。時速15kmで進むと、40分かかる。うーん、それだとまずい。ちょっとペースを上げるか、おーい! というように、みんなに伝える」
「タイムカットが危ういときのために、グルペットの人数を増やさなくてはならないこともある。とはいえ、集めようとしなくてもたいていはズルズル下がってくるからね。監督が前にいる選手の数を把握しているから、たとえば前の10人と合流しよう、みたいに決めることもある。主力スプリンターのいるチームは監督車を送ってきているし、監督同志も協力するんだ」
タイムカットで失格になったことはない、とハンセンは言うが、制限時間外でゴールして救済措置で助かったことはある。
「2009年のブエルタだったかな。ナーバスな気分になるか? うん、なるよ。今、グルペットをまとめていても、そういう気分になることがある。もっと早く進まなくてはならないとわかっているのに、何人かのペースがどうしても上がらないことや、あとはそれぞれギリギリのところで走っているから、余裕がなくて、自分のことしか考えられない選手もいる。だから牧羊犬も簡単じゃないんだ」
グルペットでいつも一番苦しんでいる印象があるのは? と聞くと、「レンショーかな(笑)」の答えが返ってきた。
バスのなかで勝者を待つチームメートたち
今ツール何度目かの雷雨に見舞われ、ゴール前2.5kmのコーナーで落車が発生した波乱のステージは、ガーミン・シャープのチームメートのアタックがラムーナス・ナヴァルダウスカス(リトアニア)の優勝に結びついた。レースが終わって1時間近くが経過しても、ガーミンのバスだけが駐車場に残っている。表彰台、公式記者会見、そのあとに追加のテレビやラジオ局のインタビューを終えて帰ってくるナヴァルダウスカスを、チームメート全員が待っていたのだ。
長い手足をもてあまし気味にてくてく帰ってきたナヴァルダウスカスは、チームバスから飛び出してきた仲間たちに向かってぴょんとジャンプして見せた。そして、一番先頭にいたチャーリー・ウェゲリウス監督とギュッと抱き合う。続いてジャック・バウアー(オーストラリア)と抱き合い、ナヴァルダウスカスは「最初は、君が行くんじゃないかと思っていたんだ!」と告げた。
選手たちを乗せ、ゆっくり動き出したバスからは、興奮してわあわあ騒ぐ声が聞こえてくる。光に透けた窓ガラスから、肩を組んでぴょんぴょん跳ね回る若者たちの姿が見えた。
ツールを去るフォイクト「すべてを楽しみつくした」
7月26日の第20ステージは、54kmの個人タイムトライアル。マイヨジョーヌのニバリは朝に、ペローとバルデは前日の夕方に車で下見を行った。ピノーは朝のうちに車と自走を組み合わせた下見を行った。このステージで優勝することになるTT世界王者のトニー・マルティンは、チーム監督が撮影してきた車両搭載カメラ(Go Pro)の映像を、水曜から熱心に見続けていたという。
総合狙いでもTTスペシャリストでもない選手にとっては、このタフな54kmを乗り越えれば、パリへのパレード走行と、シャンゼリゼの周回レースを残すのみ。60番手、12時49分のスタートだったのが、今季で引退を表明しているイェンス・フォイクト(ドイツ、トレック ファクトリーレーシング)である。
どのレースに行っても「コンニチハ!」と元気よく声をかけてくれる彼の姿を見られなくなるのは淋しい。少し話を聞きたくなり、広報のティムにお願いして、バスの外に出てきてもらった。まだウォームアップも行っておらず、Tシャツ姿の彼は、いつも通りのリラックスした表情だった。
「キャリア最後の年にツールに来ることができて、本当にうれしく、そして誇りに思うよ。でも、ここ数日は本当につらかった。ピレネーとアルプスでは相当苦しんだし、雨も降った。終盤のクラッシュもあった。だから同時に、これで終わりにできることも、うれしく思うんだ。17回のツールのすべてを楽しみつくしたよ。でも、これで終わりでよかった」
たしかに、ゴールゾーンで撮影された写真の中には、フィニッシュラインを越えてくる彼の、険しく、やつれた表情をとらえたものがあった。
「来年の今頃は何をやっているだろうね。子供たちを連れてホリデーかな。または家の庭でバーベキューだ。もしかしたら、ツールのコース脇にテントを張るのもいいね。6パックのビールをたくさん持ってこないとね。まずしばらくは、「何もしなくていいこと」を満喫したいな。でも6人の子持ちだからね、そのうち仕事をして稼がないといけない。結局は自転車に関係することをやるんだろうな。選手とは違う形でチームと関わったり、機材の開発に協力したりね。あとは、自伝を書き上げないと。ちょこちょこいろいろなことをやってみて、この先自分が何をやりたいか、何に向いているかを探ってみたいんだ」
最後に、ツールでの特別な思い出を挙げてくれるようにお願いした。
「リーダーの(カルロス・)サストレがツールを勝ち、チームも1位になった2008年。あの年は9人全員でパリにたどり着くことができた。あれはとってもよかったね。それから、生まれて初めての、シャンゼリゼの“Lap of Honour”(名誉の一周)。初めてツールのシャンゼリゼにたどり着いたとき、誰もあの1周のことを教えてくれなかったんだ。だからレースを終えてバスに直行し、そこにあったピザをむしゃむしゃやっていた。で、ビールを開けようとしたとき、『きれいなジャージに着替えて、ほらこれからあそこをもう一回走るんだよ!』と誰かが教えてくれたんだ。びっくりしたよ。なんて素晴らしいしきたりだろうと思った」
「観客の人たちは、レースが終わったあとも、忍耐強くずっと待っていてくれるんだ。我々が新しいキットに着替えて、もう一度出てくるのをね。みんなの歓声を聞きながら、ゆっくり、ゆっくり周回できるのも本当に素敵なんだ。シャンゼリゼをもう1周できる、初めてそう知った瞬間、知らなかったからこその驚きと、大きな大きな喜びがあった」
“like a gift(贈り物みたいな)” 私がそう思わず口にすると、フォイクトは満面の笑顔になって大きく頷いた。
「そう! まさに、サプライズの贈り物をもらったような気持ちだったんだ」
ニバリがマイヨジョーヌを着て凱旋するシャンゼリゼの舞台で、フォイクトはツールのファンたちに別れを告げる。
日本にはない不思議な色合いのあじさいが咲く、まどろんだような田舎町。本当にここでいいのかなと思いながら車を進めると、ラウンド・アバウト(円形交差点)に「Depart(スタート)」の赤いサインがあらわれる。それが、ツール・ド・フランスの日常への入口です。銀色のフェンスに囲まれた、非日常の日常。選手ならば誰もが夢見る、ロードレースの頂点。そのレースの傍らで3週間を過ごしてきました。
ボルドーからパリに向かうTGV(高速列車)の車内でぱたぱたとキーボードを叩いていると、窓の外の風景は薄闇にふっと浮かびあがり、次の瞬間にはどんどん流れ過ぎていきます。この3週間のさまざまなイメージが脳裏に浮かんでは消えていくのと似ているなあと思いました。すべてが、つい今しがた起きたことのような、遠い昔に起きたことのような。
この3週間の経験を、このような形で皆さまにお伝えすることができて、とても光栄に思います。「ツールの誘惑」を読んでいただいて、本当にどうもありがとうございました。
(文・写真 寺尾真紀)
東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで4回取材を行っている。UCI選手代理人資格取得。趣味は読書。ツイッター @makiterao