第一次大戦100年:ユダヤ人「多民族の一員に」

毎日新聞 2014年07月27日 22時55分

 オーストリア・ハンガリー帝国(当時)がセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まってから28日で100年を迎える。民族自決の流れが加速した時代に、逆に一市民として多民族国家の帝国に溶け込むことを望み、戦場に赴いたのがユダヤ人だった。帝国の首都が置かれたウィーンのユダヤ博物館では、オーストリア軍に加わった約30万人のユダヤ人兵士に焦点を当てた特別展を開催している。【ウィーン坂口裕彦】

 「私は、すべての兵士が忠実であってほしい」。会場に入ると、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の言葉が真っ先に目に飛び込んできた。皇帝は、反ユダヤ主義を掲げたウィーン市長の就任を拒否するなど公平な態度を貫いた。ユダヤ人が進んで帝国軍に身を投じたのは、皇帝への強い忠誠心からだった。

 会場では、兵士たちが家族にあてた手紙や戦場の様子を描いた絵画を紹介。最前線で祈りをささげる兵士の姿を撮影した写真もあり、当時を振り返ることができる。

 大戦後、帝国は解体され、ユダヤ人はよりどころを失った。皮肉にもウィーンで青年期を過ごしたヒトラー率いるナチスドイツが台頭。1938年にオーストリアはドイツに併合され、大戦を生き延びた兵士の多くが、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲になった。

 企画を手がけたマルカス・パトカ学芸員(48)は「勇敢な戦歴も、全てを破壊したナチスの前では幻のようなものだった。国家の象徴だった皇帝に尽くした人々の行動と挫折から、平和の尊さを知ってほしい」と語る。

 【ことば】オーストリア・ハンガリー帝国

 中世の欧州で広範な領域を支配した神聖ローマ帝国が消滅した後、中心的存在だったハプスブルク家が1804年に事実上の後継国としてオーストリア帝国を創設。1867年に帝国内のハンガリーを共同統治者とするオーストリア・ハンガリー帝国へ改組した。ドイツ、イタリアと「三国同盟」を結び、第一次大戦に参戦したが、敗戦時に帝国は消滅した。

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