治大国若烹小鮮 ― おがた林太郎ブログ

前衆議院議員おがた林太郎(福岡9区)が、日々の思いを徒然なるままに書き綴ります。題は「大国を治むるは小鮮を烹るがごとし」と読みます。

NEW !
テーマ:

 数回前のエントリーで、こんなこと を書きました。内容をかいつまみますと、こんな感じです。


● 日展の審査で、書の世界のドンが天の声を出したと朝日がスクープを打った。

● それに対して、日展側が第三者調査委員会を作って調査した結果、そういう事実があったことが認められた。それに対して、文部科学大臣も「膿を出し切る」と言ったし、政府答弁書でも「遺憾である」とのコメントがあった。

● しかし、今月になって、日展は書のドンの関与はなかったという新たな報告書に関するプレスリリースを発表した。


 私は先のエントリーで、さすがにこの新たな報告書は「アウト」だろう、単に身内の大先生を庇うためのお手盛りでしかない、今後、日展は激震に見舞われるだろうといった内容の事を書きました。


 そうしたところ、日展のウェブサイトからプレスリリースそのものが消えていました。キャッシュが残っていたので、消されたプレスリリースをそのまま載せておきます。


【公益社団法人日展のウェブサイトから消えたプレスリリース】

古谷顧問の介入なし


第 41 回日展第 5 科・篆刻部門の鑑査における疑惑が新聞報道等により報じられ、これを受けて公益社団法人日展(以下、「日展」という。)は第三者委員会に調査を依頼しましたが、その報告書によると当該回の審査員ではない顧問古谷蒼韻氏の関与についての記述が不明確であるため、日展において改めて第 41回日展第 5 科・篆刻部門の鑑査において、古谷蒼韻氏の介入があったか否かについての調査委員会を設置しました。


しかるところ、この度調査委員会において同氏の介入はなかったとの結論を得、平成 26 年 6 月 30 日開催の理事会において、その調査結果が報告、承認されました。

【引用終わり】


 私が想像するに、これを見た文部科学省が公益社団法人日展を激しく叱りつけ、消させられたのだと思います。内向きの論理だけでなあなあで収めようとした日展に対して、「膿を出し切る」と言った下村大臣の怒り爆発といったところかなと思います。いずれにせよ、今、文部科学省と日展との間で「何か」が起こっているはずです。


 今、日展の文部科学大臣賞、日本芸術院賞、日本芸術院会員選考、すべて止まっています。「天の声」事件を受けて、文部科学大臣以下お役所が強い意向を示しているからそうなっているのですけども、その雰囲気を全く感じることなく、身内庇いのお手盛り報告書を出した日展という組織は相当な岐路に立たされていると思います。これぞ、「空気が読めない」の最たるものです。


 「こんなことをやっていたらお取り潰しに遭います。下村大臣の『膿を出し切る』という言葉は相当に深刻に受け止めた方がいいですよ。」と助言したくなるくらいです。

PR
いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 先日、東京の党本部にお呼びが掛かったので行きました。そして発言の機会があったので、集団的自衛権関係で概ねこんな話をしました。


● 現在の「集団的自衛権の行使一般を容認する解釈変更に反対」という見解、あんなものを我々に持たせないでほしい。政権が「行使一般を容認する解釈変更」をしていない以上、玉虫色であることはすぐに分かる。


● あんな見解を出している内は誰からも相手にされない。実際、国会では足元を見られているではないか。いわば、我々は「ボールのないところで思いっきり空振りをして来い」と言われているようなもの。


● 何故、そんなことが起きるかというと、誰もイニシャル・ポジションから動いてない状態で纏めようとしているからだ。結構、主張のウィングが広い中で、誰もがイニシャル・ポジションから動かなければ、纏める事が出来る方法はレトリックによってでしかない。正に現在がその状態。


● 政治においてレトリックが重要な役割を果たす局面がないわけではないが、本件は既に具体論に入っており、もうレトリックでかわすことは出来ない。


● 本当に纏めるためには、すべての人間がイニシャル・ポジションから降りなくてはならない。そこから目を背けてはいけない。とことん議論して纏まったらそれに従うという文化を醸成しなくてはならないと、野田前総理が言っていたが、その通りだと思う。その辛い作業から目を背けているうちは、絶対に強くなれない。


● そして、それはやれる。


 通じていればいいですけどね。

PR
いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 ベネッセの件、個人的にも何度か悩まされた「名簿取引ビジネス」が遂にここまで来たか、と暗澹たる気持ちになります。


 調べていてちょっと驚いたのは、私が昔、1年だけ講師をやっていた「鉄緑会」 という塾がベネッセの傘下に入っていたことです。簡単に言うと「東京大学を目指す塾」でして、本当にすべてがシステマティックに出来ていました。周囲で教えているのは、そういう勉強の手法に慣れている開成、灘、筑駒、駒場東邦卒の大学同窓生ばかり。中学・高校と超我流でしか勉強したことがなかった大学1年生の私にとっては、それ自体が驚きでした。そして、 「そんな自分が講師をやっていていいのか?」と疑問を持っていました。


 入学直後に学生課で見つけた「週1回3時間、時給4000円強」という高報酬に釣られてやりましたけど、その時給は「教えている時間だけ」でして、それ以外の準備とか採点とかは無報酬なので、結果としてそれ程のパフォーマンスの良さはありませんでした。ただ、貧乏学生にとっては「月5万前後の報酬」はありがたかったです。


(今はウェブがあるので大分違うのかなと思いますが、当時の経験から「受験に関し、東京と地方では情報量が違う。」と思います。東京にいると「何をやれば目標に到達できるか。」に関する情報が溢れています。少なくとも私の時代は地方出身者にそういうのはなくて、頭をゴチゴチぶつけながら試行錯誤して、時々全国模試で自分の位置を確認する、これだけでした。その差は今でもありますよね。その分だけ地方出身者は不利なのです。)


 まあ、そんな懐かし話はともかくとして、蘊蓄を一つ。本件は所掌官庁が経済産業省(商務情報政策局サービス政策課)でして、今回も経済産業省がすべての対応をやっています。フツーに考えると、「塾って教育産業だから文部科学省かな」と思うでしょうが違うのです。


【経済産業省組織令】

(サービス政策課の所掌事務)
第八十五条  サービス政策課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一  経済産業省の所掌事務のうちサービス業に関する総合的な政策の企画及び立案並びに推進に関すること。
二  経済産業省の所掌に係るサービス業に関する事務の総括に関すること。
三  経済産業省の所掌に係るサービス業の発達、改善及び調整に関すること(資源エネルギー庁及び製造産業局並びに他課の所掌に属するものを除く。)。
四  博覧会、展示会その他参考品及びこれに類するものの収集及び展示紹介に関すること。
五  生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律の施行に関すること。


 勿論、何処にも「塾」なんていう言葉は出て来ません。しかし、この所掌事項の中で「塾」を読み込んでいるのです。


 これは、非常に雑に説明しますと、かつて塾の業界団体が存在を認知してもらおうと文部科学省に行ったら、「うちは公教育だけしか所掌しない。」と撥ね付けられ、仕方なく経済産業省に駆け込んだら温かく受け入れてくれたという歴史があります。


 霞が関の常識では、他省庁が堅いことを言うと、経済産業省がそこに入ってくるという掟のようなものがあります。「産業としての医療機器」という概念を厚生労働省が撥ねつけたら、そこに経済産業省がいたというのも分かりやすいケースです。その他にも、通信に関する経済産業省と総務省(旧郵政)のバトルは有名です。


 ということで、公益社団法人全国学習塾協会 という団体は経済産業省との関係がとても深いです。元々の設立が、通産大臣による許可でスタートしています。今は公益法人改革で、主務官庁は内閣府ですけども、色々な指導、権限関係はすべて経済産業省です。すると、とても不思議なことが起きます。例えば、この団体がやっている「読書作文コンクール」 、後援は文部科学省と経済産業省なのです。普通、誰が聞いても「読書作文」と言えば文部科学省だと思うでしょうが、ここにも「塾」という世界を通じて経済産業省が入っています。


 昔は、塾、予備校、通信教育的なものがあまり盛んでなかった事から文部科学省も甘く見たのかなと思います。その後、教育の分野にこれらの産業が事実上不可分な形で入っているのは御承知の通りです。今、文部科学省は、教育分野に経済産業省が(塾等のサービスの視点から)口出しできる状態になっていることに歯軋りをしています(外務省時代、直接の担当ではありませんでしたが、何度か間に挟まれて苦労しました。教育サービスの国際会議に経済産業省がいることが、文部科学省はたまらなく許せないようでブスーッとしていましたね。)。


 今となっては、公教育は文部科学省、塾等は経済産業省という縦割りが確立しています。「変なの」という気がしないわけでもありませんが、かといって、経済産業省には塾産業に関する知見が貯まっていますしね。今更、変えられないのです。

PR
いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 毎日、地域回りをしていると、一番印象的なのが「空き家」の問題です。普通に地域を回れば、公選職にある人間なら誰でも問題意識を持つでしょう(人口が増えている地域ではそうでないかもしれませんが)。


 以前も書きましたが、固定資産税の問題は大きいですね。今の日本の制度は、人口が増えることを前提に出来ています。つまり、土地が足らない日本で人口が増えていけば、土地の有効活用をしなくてはなりませんから、平地で寝かせている土地には高い固定資産税が掛かるようになっています。逆に言えば、家屋が立てば(有効活用すれば)固定資産税は減免されます。


 これ自体は、人口が増え続ける限りは合理的な制度なのですけども、人口が減っている世の中では予期せぬ結果を招きます。つまり、家屋を解体するインセンティブを害して、空き家を放置する効果があるのです。家屋を解体して平地にすると固定資産税が上がってしまうので、空き家であろうともそのまま放置してしまうのが合理的だという判断になります。家屋を解体するのには、普通の場所であれば坪2万円、重機を入れにくいところなら坪3万円と言われたことがあります。100万円近く払って家屋を解体したら、固定資産税が上がってしまうというのであれば、誰も解体などしません。それが日本中で起こっているように思います。


 これに加え、私はもう一つ荒唐無稽なことを考えています。というのも、地域を回っていると「ここ、とても住みやすい地域なんだけどな」と思う場所に空き家が多いというパラドックスに出会うことがあります。そういう場所でよくあるのが「土地が細切れになっている」ということです。折角の良い土地が、例えば、空き家と小規模駐車場ばかりになっているというのはとても残念なことです。ある程度、土地が纏まれば新たな住宅地開発もできるのになと思うことは少なくありません。今後、日本のあちこちでコンパクトシティの方向性を目指さざるを得ないでしょう。その時に、コンパクトシティとして住居整備をする障壁は除去しておきたいと思うのです。


 色々と聞いてみると、結構難しいのが「相続等を経て権利関係が複雑化している」ということです。遺言がない状態で、民法上の規定に基づいて相続が行われた結果として、相続したご本人も意識していない状態で土地や家屋に対する権利が生じていることがあります。なので、一つの空き家を処理しようとすると、そのすべての関係者を追わなくてはなりません。この手間がとてつもないことになっているのが現状です。行政書士の方と話すと「数ヶ月掛かった」、「関係者が外国にいて書類のやり取りに苦労した」、そんな話は稀ではありません。その結果として、「纏まった土地」を作り出すことが難しくなっています。


 ここからが荒唐無稽なのですけど、空き家について何らかのかたちでこの権利関係の整理を簡略化することが出来ないのかなと思います。例えば、権利者のすべて又は一部が直ちに判明しない土地については、一定の手続き(例:一定期間の公示)を経れば行政代執行による整理が可能になるというのが分かりやすいです。それが出来れば纏まった土地を生みだすことができるんじゃないかな、と思える場所はかなりあります。


 所有権に制限を掛ける法改正をやらないと出来ません。当然、憲法上の問題が生じます。スタンダードな法律の考え方からすれば荒唐無稽であり、とてもやれる話ではありません。やり方を間違えると、悪徳業者が巣食う可能性すらあります。しかし、それくらいの強烈なことを考えたくなるくらい、本来コンパクトシティに必要な住環境として整備するのに相応しい土地が細切れで放置されています。


 この件、荒唐無稽だからこそ自分なりに追ってみたいと思います。大学で殆ど民法系を学んでいないので、素地がない所からのスタートではありますが。

いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 兵庫県議会議員の政務活動費の関係で、あまり指摘されないことがあります。


 それは「実際に報告書や領収書の写しを見た人が殆どいない。」ということです。ココ にある通り、閲覧したかったら、平日に神戸市内の兵庫県議会まで行かなくてはなりません。ちょっと一般の方が見に行くのは骨が折れます。仮に兵庫県の丹波や豊岡(日本海側)あたりの方が見たいと思っても、事実上無理です。


 それは、政務活動費、資産公開、政治団体の収支報告書、すべてがそうです。認められているのは「(足を運んでの)閲覧」だけなのです。例外的にウェブ公開があるのは、総務省届けの政治団体の収支報告書くらいでしょう。各都道府県レベルでウェブ上での公開を定めているところは殆どないと思います。


 多分、今回のようなことが起こる背景には「どうせ多くの人が見ることはない」という漠然とした判断があるからのはずです。こういうものは、情報公開の圧力が普通に掛かれば、自ずと一定程度は正されていくものです。報告書のみならず、領収書の写しまで「ウェブでの」公開対象にすれば更に圧力は増します。


 なお、これを言うと「国会議員の文書通信費(月100万円)はどうなんだ?」と言われます。あれは「ザル」の最たるもので、歳費と同じ口座に入ってくるので、個人財産形成にすら使い得るものです。実際、あれを貯め込んでいた議員を知らないわけではありません。


 現職時代、私は「最低限の情報公開くらいはしよう」と思い、文書通信費はすべて自分の政治団体に個人寄付をしていました。なので、使途は私の政治団体の収支報告書を通じて、ある程度は分かるようにしています(ただ、全体の中に紛れ込んでいるので、何をどう使ったかまでを切り分けることは出来ません。)。それが十分でないことは分かっていますが、現行制度の中で出来うる事はここまでです。しかも、上記のように、私の政治団体の報告書も福岡県庁まで行かないと見られません。


 多分、政治団体の収支報告書、政務活動費、資産公開等を領収書までウェブで情報公開すれば、日本の政治とカネの問題はかなり改善するでしょう。裏から見れば、今は「どうせ都道府県庁まで来ないと見られないのだから、大して見られることもなかろう。」とたかを括ることが出来るということです。

いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 先日、外務省人事がありまして、そろそろ私の同期が幹部名簿に入ってきたなと思っているところです。1994年入省ですので20年選手です。


 人事を見ていると色々なサインがあるな、と思っていましたが、一つだけ挙げると「北方領土交渉を官邸直結でガンガン進める。」という意図を感じました。


 新欧州局長は、私が外務省に入った際の直属の上司でした。「いやー、しこたま叱られたもんだ。」と懐かしく思い出します。それはともかくとして、同局長は、第一次安倍内閣の総理秘書官で、直近も内閣官房の領土・主権対策企画調整室長で総理側近の一人です。北方領土、竹島の領土問題や、尖閣諸島をめぐる動きについてはプロ中のプロです。そして、それを支える新欧州局参事官はロシア課長経験者です。


 岸田大臣は今、ウクライナを訪問していますが、今、日本外交はウクライナ情勢関連で、対露外交では微妙な綱渡りを強いられています。対ウクライナ制裁も「お付き合い」はしていますが、実体的には査証関係のものに止めており、「見た目だけ制裁」の状態です。北方領土交渉を念頭に置いていることは間違いありません。


 かつてそれなりに関わった北方領土交渉、「ヒキワケ」を口にしたプーチンの頭にあるのは恐らくは歯舞・色丹の「2」でしょう。しかし、それではダメです。交渉は「2+α」からスタートして、何処まで「4」に近いところまで行けるかです。


 どう考えても、今回の人事は北方領土シフトです。早速、秋のプーチン訪日が待っています。この1年くらいが勝負だと思います。

いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 最近、TPP関係はあまり書いていませんでしたが、それなりに交渉が進んでいるようです。そんな中、こんな記事 を見ました。


 気になったのは後半部分。与党の責任者が、フロマン通商代表に「今の制度の下でアメリカ産のコメや小麦を大量に輸入している。今より自由化を進めてしまうと、他国のコメ、小麦が入ってきてアメリカ産が売れなくなる。」というような内容の事を伝えたようです。


 こういうアプローチが私はあまり好きではありませんが、ただ、戦略としてこういうプレゼンをするのはありだと思います。ただし、こういうやり取りをしたことを外向きにメディアに対して言うのは上手くないですね。2つの視点からダメです。


 まず一つ目は、「今、日本は国際法違反をやっています。」ということを高らかに宣言しているのです。今のコメや小麦の輸入体制は、農林水産省による一元輸入(国家貿易)という形式です。細かいことは書きませんが、現在の通商ルールの中では、国家貿易は商業的考慮のみに基づいて行うとなっています。


 しかし、ここで与党責任者が言っていることは、「今の日本の輸入体制は、おたくを事実上優遇している。」ということでして、商業的考慮のみには基づいていないことを言っています。現在の通商ルールの中では、完全にアウトです。誰か指摘してあげた方がいいと思いますね。


 まあ、とはいえ、これ自体は比較的マイナーなことですのでが、もっと深刻なのは「それを公に言ってしまうと、実際にそういうアプローチが取りにくくなる。」ということです。


 アメリカという国は、(実際にはかなり違いますけども)「自由貿易」を標榜している国です。その基本的な理念系のところは何処まで言っても外さないでしょう。実際、記事にもある通り、下院議員とのやり取りでは「すべての関税撤廃」を求められています。


 そういう中、表向きに「今の関税割当枠の中で、あれこれと操作していく方がおたくにとって有利。」と言われても、表向きに「そりゃ、いいですね。」なんて言えるはずもないのです。むしろ、日本側がそういう思惑を持っていることが明らかになる中、それに乗ろうとすると、アメリカの交渉担当者は心の中では「そうかもしれないな。」とは思いつつも、国内の自由貿易派からの批判にさらされる以上難しいでしょう。ましてや、会談後、日本が表で内容を披露してしまわれては尚更です。


 こういう話は「裏」でやるものなのです。表で「フロマンにガツンと言ってやった。」的な手柄にすべきものではありません。


 多分、農林水産省辺りから受けたブリーフで、そういう話があったのだと思います。この話は通商ルールの世界にいる者からすると当たり前のことなのですけども、初めて聞いてみると「へぇ」という印象を受けるでしょう。ちょっと「通」になった気分になれます。そして、そういう通ネタを、対アメリカで披見したくなったのでしょう。


 「裏」でやればいいというと、秘密交渉を促しているようでお叱りを受けそうですが、何でもかんでも公開すればいいというものでもありません。この手の「自由化を制限する中で、おたくに有利な条件を確保する。」的なやり取りは、交渉の裏でガシッと握りに行き、最後の最後で「こうなってしまいました。」ということにしておくのが一番いいのです。


 国内向けに「私はガツンと言ってますよ。」というサインを送りながら、国際的には「国際法違反」を高らかに宣言し、かつ、交渉実務上もそのアプローチを取りにくくする・・・、何処に国益を見出しているのかとセンスを疑いたくなります。

いいね!した人  |  コメント(3)

テーマ:

 あまり注目をされない新聞記事でしたが、こんな記事 が目を引きました。社団法人日展のHPに出ていたこのプレスリリース のことです。


 経緯を書くと、昨年秋に朝日新聞が「日展書道、入選を事前配分、09年『篆刻』、有力会派で独占」というスクープを打ちました(ココ )。何かというと、日本有数の芸術展である日展の入選作を決めるに際し、書道分野で「天の声」があったという内容でした。「天の声」を発したとされるのは、日展顧問で日本芸術院会員の方と報じられていました。


 これを受けて、日展は第三者委員会を設置して調査をしました。調査書 によれば、「事前配分があった」という事実を認定して、再発防止策等の提案がなされています。更に、書道以外でも同種の事例がなかったかを調査する第二次第三者調査委員会が設けられ、その調査書 では、書道以外ではそういうことはなかったという結果が報告されています。


 第一次第三者委員会の報告書が出た後、下村文部科学大臣は「膿を出し切る」という発言を記者会見 でしておられます。かつ、先日もこのブログで紹介した大久保勉議員の質問主意書答弁 で政府は、事前配分があったとの報告がされたことについて「遺憾である」と言っています。それに加え、日展の文部科学大臣賞、日本芸術院賞等、本件スクープで出てくる方が関与する各種授賞ものはすべて止まっています。文部科学省が待ったを掛けているはずです。下村大臣がまだ「膿を出し切る」と判断していないと考えることが出来ます。


 そんな中、今回のプレスリリースです。簡単に言うと、これまでの二次に亘る調査委員会とは別の調査委員会を設けた上で調べた結果、書の世界のドンに当たる方は一切の関与がなかったと判断するという内容です。


 私は率直に読んでみて、「スゴい」と思いました。まず、プレスリリースの中を見ても、「調査委員会のメンバー」、「調査委員会のミッション」、「報告書の内容」等、何もないのです。単に結果だけが書いてあるだけで、アカウンタビリティーとしてはゼロです。これで世間に何かを発表するというのは、どんな組織でもあり得ないことです。


 また、その内容についても、スクープを打った朝日新聞には「そんな事実はなかった」と言い、第一次調査委員会の報告を否定し、そして同報告書を踏まえて発言した下村大臣に対して「あなたは勘違いをしていた。」と言い、これまで止まっていた各種授賞も「止めたこと自体が根拠のないことだった。」と言っている、そういうふうに私には見えます。あちこちに喧嘩を売りまくっているようです。


 日展側にそこまで喧嘩を売っている意識はなくて、単に「天の声自体はあったが、それは日展顧問からのものではなかった。」というのであれば、もっと踏み込んで「では、誰が天の声を発したのか。」という詰めが必要ですが、それについても何の言及もないですね。非常に「身内庇い」の内向き論理だけで出されたプレスリリースにしか見えません。


 直感的に、これは「アウト」だと思います。身内の「大先生」を庇うために、これまでの経緯をすべて否定する動きを日展はしています。それがどういう結果を招くのかを綿密に判断しているとはとても思えません。まず、下村大臣は烈火の如く怒っているのではないかと思います。また、きっとスクープを真正面から否定されてしまった朝日新聞は大々的な反撃に出るでしょう。遠からず、また朝日一面でドカンとスクープ第二弾が出るのではないかと思います。


 この10年くらい、それまで「聖域」とされていた分野にどんどん社会のメスが入るようになっています。何となく直感的に、この芸術の世界にもその波が来るのではないかと思います。近い将来、「日展」はこれまで以上の激震に襲われると予言しておきます。

いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 文化庁の文化審議会は、「長崎の教会群とキリスト教関連資産」が世界遺産候補に推薦されることになりました。いち早く推薦されている「明治日本の産業遺産」に続き、九州からの推薦になります。


 長崎(と熊本)の教会群については、案件作りに苦労した跡が伺えます。推察するに、浦上天主堂を外したというのは大きな決断だっただろうなと思います。原爆で破壊されたが再建され、規模的には日本で一番のカトリック教会です。ただ、文化財指定されていません。結果として、国内での十分な保護体制のところで引っかかったのだろうと思います(浦上天主堂関係者がきちんと保護していないという意味ではなく、そこに国のコミットがないという意味において。)。長崎のキリスト教関係者からすると、思いの深い浦上天主堂だと思いますが、あえて世界遺産登録の観点から拘泥しなかったというのは個人的には英断だと思います。


 結構、世界遺産で重要なのはこの「絞り込み」です。ともすれば、たくさん盛り込みたくなるのです。ただ、そこで何でもかんでも入れてしまうと、審査の際の心証が悪くなったりします。「あえて、入れない」という決断はとても辛いものですけども、ストーリー作りの際にそこをやり切れると案件が締まってきます。


 ただ、この長崎の教会群はそれなりに難しいところがあります。旧五輪教会堂のある五島市久賀島や、江上天主堂のある奈留島はかなり過疎が進んでいます。旧野首教会のある野崎島に至っては無人島です。世界遺産になって観光地化された時にどうなるのか、ということは課題です。実際、奈留島のキリスト教信者の皆様はかつて「江上天主堂の世界遺産化反対」の決議を出したこともあるくらいです。最も尊重されなくてはならないのは、信者の皆様の静かな環境での信仰だという視点は忘れてはなりません。


 それらを踏まえた上で、今後の見通しを言えば、私は「相当に有力」だと思います。私は外務省でユネスコを直接担当したことはありませんが、フランス語研修だったので何となく雰囲気は分かります。あと自称「世界遺産マニア」でして、これまでに行った世界遺産は(超マイナーものを含めて)70を超えます。概ね「世界遺産というのはこういうものだ」という相場観は持っています。


 まず、ユネスコの本流はアングロ・サクソンではありません。1970年代後半から80年代にかけて、セネガル人のムボウ事務局長による放漫運営+南北対立煽りみたいな政治的な動きが横行して、英米は脱退していました。1995年に渡仏した私も、当初「ユネスコ」と聞くと「ロクでもない組織」という印象が強かったです。(事実関係は知りませんが)予算の半分以上は本部パリで使われているとか、得体のしれないアドバイザー的な輩が巣食っていて、悪い意味でのサロン化しているとか、そういう印象でした。1997年に事務局長になった松浦晃一郎さんのミッションの中で大きかったのは内部の行革みたいなものだったと理解しています。


 ということで、ユネスコではフランス、スペイン、イタリア辺りが本流です。相当に幅を利かせています(自ずとそれらの国の世界遺産の数も多い。)。そして、この3ヶ国はすべてカトリックの国です。そういう国から見て、この長崎(・熊本)教会群がどう見えるかと言うと、「宣教した後、鎖国250年。公的には教会なし、聖書なし、神父なしの『3なし』で、基本的に口承で信仰を繋いだ。そして、幕末の開国後に宣教師が入っていったら、そこに古き良き信仰の姿を発見した。」ということです。


 対象資産の建築物はすべて明治以降に建てられたものですが、こういうストーリー性が背景にあることによって、その辺りの「新しさ」というハンディは容易に払拭されるでしょう。このストーリーだけで、ユネスコ本流の3ヶ国の専門家は感動してドンとOKのハンコを押すのではないか、そして、その3ヶ国がポジティブな反応をすればまあ間違いないだろう、というのが私の見立てです。

いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

 まず、一番最初に言っておきますが、今日書く話は論理的には因果関係が薄弱な内容です。ただ、かなりの信念を持っている内容でもあります。


 最近の人口減を受けて、日本の中で「自然増(出産増)」と「社会増(外国人)」の議論がされています。今日は「社会増」について書いてみたいと思います。


 日本の国内でよく聞かれる議論に「『有能な』外国人『だけ』どんどん来てほしい。」というものがあります。私には「なんと、虫のいい話を。」と思えてなりません。なお、私は「有能な外国人」という表現が好きではありませんが、物事を簡略化する観点から使わせていただきます。


 まず、日本人、特に学生が外国に出て行かないのに、「有能な外国人」が日本に入ってくることは無理だと思うのです。ましてや、「入超で」入ってくることなど絶対に無理です。


 ここからは根拠薄弱なのですけど、こういうのはある程度「出」と「入」とで均衡とまでは行かなくても、ある程度釣り合いが取れている必要があります。そして、今、諸外国における日本人留学生の数は激減しており、アメリカの大学では中韓の学生が日本人を席巻しています。


 金銭的な問題があるのは分かりますが、それ以上に、国内に蔓延する「内向き感」も大きく影響しているように思います。「日本の中がそれなりに心地いい」のだと思います。その結果として、「何も無理して海外でチャレンジすることまでない」と考えるのなら、日本はどんどん国際的な競争に取り残されていくでしょう。この差は、今後、確実に国としての足腰という意味でボディーブローのように効いてきます。


 こういうふうに言うと「日本人の有能な人材の海外流出」という批判があります。それは間違ってはいませんが、どんどん外国に出て行き、世界でチャレンジする学生が増えれば、最終的には日本にプラスに働くでしょう。

 例えば、高校生はもう日本の大学だけを目指すのではなく、大学からどんどん外に出て行けばいいと思うのです。卒業後はそのままその国で活躍するも良し、将来的に日本に戻ってくるも良しです。その裏返しとして、日本に入ってくる「有能な外国人」も増えてくるでしょう。(しつこいですが)因果関係は示せませんけども。


 「日本からは有能な人材は外に出て行ってもらっては困るけど、『有能な』外国人には来てほしい。」、こんな虫のいい話をしている限り、日本に「有能な外国人」がたくさん来ることはないでしょう。


 あと、もう一つ「有能な外国人『だけ』」というのは、これまた無理があります。勿論、主権の行使として誰をどういう形で入国させるかという所には、国の政策がなくてはなりません。その上で、ある程度は間口を広く開けないと「有能な外国人」も入っては来ません。また、「人口減」への対処まで考えるのであれば、「全体としての間口」が広がる中でしか、「有能な外国人」を含む外国人の数は増えていかないでしょう。


 こういう社会増の話をすると、時折激烈な反応が返ってきます。私も「社会増」など考えずに済むなら、それで良いと思います。しかし、「人口減」はまず経済全体へのデフレ要因です(もっと言うと、人口構成の高齢化は消費減の働きをします。)。経済成長を考えるのであれば、需要を維持する必要があります。そして、国の借金、社会保障負担、これらを賄うためには一定程度の人口増とそれに伴う経済成長が絶対に不可欠です。その視点なしに、「社会増」の議論を排除するのは無理な話です。


 ただ、いつもこの議論をしていて、まだ自分自身で判断しきれていないことが一つあります。それは「日本が本格的に社会増政策に乗り出した時、日本社会はその衝撃に耐えられるだろうか。」ということです。例えると、家の右隣から朝「アッラー・アクバル」というお祈りが聞こえてきて、左隣から濃厚なインドカレーの香りがしてくる環境、私は全然気にいたしませんが、私の両親の世代にはかなり厳しいかなという気がします。


 その衝撃は相当なものがありますけども、その一方で私は「日本文化の強さ」を信じています。「一世」の方が社会に完全統合されるのは難しいかもしれませんが、二世、三世になってくれば日本文化に統合されてくると信じています。その過程で、異文化との融合を通じて、また新しく高められた日本文化の姿が見えてくるかもしれません。


 「『有能な』外国人『だけ』どんどん来てほしい。」、耳当たりは良いですけども、それは虫が良すぎます。

いいね!した人  |  コメント(4)

[PR]気になるキーワード