60s レナウン CM 1965年 シルヴィ・バルタン Sylvie Vartan 「ワンサカ娘」篇 - YouTube
1967年CM レナウン商事 イエイエ ACCグランプリ - YouTube
1960年代の若い女性の間で流行った「レナウン」。フランス人歌手のシルヴィバルタンの歌うCMソング「レナウン娘」は当時の流行の象徴として今も知られている。
レナウンのCMは1980年代くらいまで続いていて、外タレを起用したり、欧米風のイラストを出したり、とにかく欧米被れたいた。バブル崩壊後は業績不振に陥り、現在は中国山東省の企業の子会社となっている。
戦争で国全土が焼け野原になってから一転し、復興を成し遂げ、日本で大衆「女の子文化」が華やいだのが高度成長期のことだ。1970年には女性ファッション誌アンアンが創刊。表紙は白人女性で、出てくるモデルはみな欧米でロケした白人女性だった。翌1971年のノンノ創刊号も同じ感じである。創刊当時の読者たちは今や年金をもらう年齢になっているわけだが、これらの雑誌は購読者層が高齢化することなく今も発行が続ており、若い女性に支持され続けている。
戦後日本の女の子文化は戦後から一貫して抗日感情と密接だと思う。
日本人であることを否定し、欧米に同化したいという強烈な感情が、日本の女の子文化を豊かにしてきた歴史があるのだ。
たとえば、東京ディズニーランドは、開業以来、今も昔も日本の女の子に支持され続けているテーマパークだ。
もともと、ディズニーランドはウォルト・ディズニー氏が娘を遊園地に連れて行ったときに自分はちっとも楽しくなかったために大人でも楽しめる空間を作ろうと考えたのが出来たきっかけである。園内をぐるりとまわる機関車が走っているのはウォルト氏が大の鉄道マニアだからであり、エントランスから続く「メインストリートUSA」(日本名・ワールドバザール)はウォルトの幼いころのふるさとの街並みを再現している。フロンティアランド(日本名・ウェスタンランド)は西部開拓時代の華やかな様子を再現し、トゥモローランドでは宇宙開発や未来技術を予期させた。ディズニーランドが開業した当時のアメリカは、戦争に勝って華やいでいただけでなく、ソ連と宇宙開発を競い合ったまっただ中であることを考えると、そこがアメリカ人にとっての国威高揚的な場所であることもよくわかる。要は、ディズニーランドはアメリカ人の「鉄道ファンで愛国者のオヤジの空想」を徹底的に再現したテーマパークなのだ。
ちなみに戦時中のディズニーアニメには抗日的なプロパガンダ作品がいくつか存在している。
そんなディズニーランドが、日本に誕生して30年以上、「女の子なら誰でも行きたがるスポット」となり続けているのはけっこうすごいことだと思う。客層が女の子複数人連れの客や彼女にせがまれて連れてきたようなカップルが多いのは今も昔も同じことだ。日本の市場に合わせた脚色がいくらかあるにせよ(例えばレストランでの和食のメニューはアメリカのディズニーランドには当然ない)基本コンセプトは本家と全く同じなのだ。
思うに日本の女の子は戦後一貫して、この国の文化が嫌いだったんじゃないかと思う。概してみな日本人の民族性や精神を否定し、欧米と同化することで自己実現に変えていた側面があったのではないだろうか。
茶髪に染めたがる量産型女子大生も然りで、一部生まれつき茶髪という稀有なケースもあるとはいえ、多くの日本人は本来黒髪である。
中国人のあるブロガーは日本人女性の約8割以上が白人コンプレックスから髪を染めて、欧米崇拝に陥っていることを危惧する論評を書いている。中国をふくめた黄色人種の諸国と比べても、茶髪女性の割合が圧倒的に多いのは日本であり、政治問題や歴史感情から日本を厳しくみがちな中国の人でも心配するレベルなのだ。
アンアンやノンノの発行から40年経って女性雑誌のバリエーションは幾らでも増えている。しかし、赤文字系にせよ青文字系にせよ、その表紙に出ている女性はやはり茶髪であり、量産型女子大生にそうしたメディアは好まれて読まれている。
ブランドも同様である。
アースミュージックやイーハイフンでおなじみのクロスカンパニーは安くてかわいいを作れることから女子大生に絶大な人気がある。ロゴも内装も売っている商品もまるで西洋ブランドのようだが、岡山発祥の日本企業である。サマンサタバサも日本企業だが日本離れした雰囲気作りをしている。
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10代ギャルに人気のピンクラテの京都店はハリウッド映画に出てくる勘違いジャパニーズのような雰囲気だが、ブランドを運営するワールド社は昭和34年発祥の50年以上続く老舗日本企業だ。
ルミネやラフォーレ原宿といったファッションビルには、この手の欧米風味を装った日本企業の横文字のテナントがいくらでも入っているのだ。
最近、クールジャパンの一環として日本の女の子カルチャーである「KAWAII」を世界に売り込もうという風潮があり、政府もあらゆる手法で取り組んでいる。日本的な概念の否定から始まり、50年くらい発展し続けた戦後の女の子文化を、あろうことか日本政府が和食や伝統芸能などと並ぶクールジャパンとして全力で推しているのだから本末転倒である。
たとえば10代~20代女性注目の最新ファッションをひけらかす最大級のイベント「東京ガールズコレクション」は外務省や国土交通省が後援している。ランウェイはファッションモデルが歩くだけでなく、若い女性に人気のタレントがゲストとして登場したり、歌手のライブもあるという。コミケのような膨大な集客数を毎年記録している。
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しかし、そこで展開されている「女の子文化」はファッションにせよ音楽にせよもしかしたらグルメや化粧や雑貨やライフスタイル全般をみても、日本の伝統的な文化の流れは全く存在しておらず、日本人の精神性や民族性を徹底的に否定した、されども欧米には存在しないガラパゴスカルチャーの見本市なのである。
日本の女の子文化が波及している国は、かつて植民地を経験したアジア近隣諸国に限られているのが現状だ。日本らしさや東洋らしさが全くなく興味深さに欠け、しかも欧米人たちの文化の文脈とは異なるハイコンテクストに基づいているガラパゴス文化なため、欧米での知名度は少ないのだ。ヴォーグなどの欧米のファッション誌と日本の雑誌の同時期に発刊されたものを比較してみるとその表現性の「根本性の違い」は一目瞭然だし、ヨーロッパの伝統的な風景では日本人の若い女性はパッと見でもやたら浮いてしまうことに温度差の激しさがよみとれる。
KAWAII文化の欧米への波及は、オタク趣味をこじらせた熱狂的なアニメファンの少女が、その親日趣味の延長線上で染まるようなハイパーニッチなケースくらいしかありえないのだ。
日本の否定に基づき、表面的な欧米との同化を求めながらも、その文化の文脈は欧米の常識とは異なるガラパゴスという矛盾を抱えた女の子文化が形成された背景は何か。
それは多分、日本の男尊女卑にあると思う。
世界各国の女性の役員・取締役比率の比較を見ると、首位のノルウェーから、スウェーデン、フィンランド、フランスと続き、日本は44位である。ちなみに香港は20位で台湾は39位、韓国は43位だ。国会の女性議員の比率は世界最低レベル。各国における男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数では日本は135カ国中101位とあまりに低い。
「男は働き、女は家事」というような概念は、戦前よりはマシになったとはいえ依然として根深い。日本の女の子文化が抗日感情と一体化しているのは、おそらくそういう社会への抵抗意識があるのだと私は考えている。そうしたカルチャーが最も華やぐ10代後半~20代というと、結婚出産のベストタイミングでもある。ある日突然、自由な身が終わり、「主婦」として家事に束縛されるようになるのだ。好きで選んで誇りがあってやっていた仕事も辞めざるを得なくなるし、あるいはもし続けていても、男性のような出世コースをたどることは難しい。
もちろん、主婦になってもギャルを辞めない人もいるし、いまは若作りが当たり前の時代だから孫がいるのに「女の子文化」に没頭する人もいるだろう。そうした彼女らはなおさら、ハードな日本の日常から逃避するために日本離れした女の子文化を抜け出せずにいるものだと思う。
私は日本の女の子文化はクールジャパンだとは思わない。日本人的な本来の精神や感性が全く反映されていないものだし、かといって欧米人が作る文化の概念と同期したものでもない。それはむしろ、半世紀経っても克服されずにいる男尊女卑の悲劇が生んだガラパゴス文化のように思えてしまう。
そして、ああいったカルチャーは女性同士で「かわいい」を共有できても、男子にとってそれは好みになるものではない。むしろそのセンスが敬遠されがちで、ネット上にはスイーツ(笑)というネットスラングもある。
そうした男子の価値観は、日本人的な文化意識とのずれへの違和感であり、男性優位の社会構造の上から見下した差別的な意味合いもあり、女性の社会進出が国際的に見て後進的な現状を克服できないでいる自分たちへの自己嫌悪も入り混じる複雑なものなのではないかと思う。