内容としては人のこと殴ったなら殴り返されること覚悟しとけよ、それは匿名のネットでも現実でも変わらんのだからなって内容だと思います。
そりゃ当然のことで、内容的にはガッテン承知がいったわけなのですが、俺はリンク先で表現されていた「うんこ」について何か書きたいと思います。
さて、俺のうんこは臭いです。さらにうんこを出す時にはあからさまに汚い音と共にきったねーもんが俺から排出されます。
よくネットに公開する誰得でもない記事をオナニーと喩えたり、誰しもが不快に感じるであろう記事をうんこと喩えたりしているのをよく目にします。かく言う俺の書く記事もこのどちらかに当てはまるのかもしれませんが、今回それは置いておくとして。
ではなぜ誰しもが不快に感じるであろう記事がうんこと喩えられるかというと、まぁ説明の必要もないでしょうが迷惑だからです。だって俺が出したうんこって本人ですら臭いとか汚いとか感じるものですから、たとえばそれが誰しもが使う公道上にばら撒かれてたら不快でしかないでしょう。
でもたまに、そういう汚物が趣味の人っているんですけど、さてそんな人たちでもどんな汚物でも良いのか、あるいは誰の汚物でも良いのかということが問題になってきます。
言うまでもなく誰のどんなものでもいいわけではないですよね。
俺にそんな趣味がないことは先ず念頭に置いといて欲しいんですけど、仮にそんな趣味があったとしても綺麗な女性のうんこしか受け付けることは出来ないんですね。
もっと言うとその汚物が芸術的な形を成していなければ受け付けることは出来ない。
汚物はどこまで行っても汚物なわけで、それは覆しようもない事実なんですね。だったらそれが他人に受け入れられる可能性を考えると、きちんと見せるに適した造形を象っていることと、それを見せる範囲を限定しているってことがマナーなんじゃないかなと思うんですよ。
例え芸術的な造形のものであっても、うんこであることに変わりはないわけで、それに興味がない人にとってはただただ臭いだけの迷惑物質でしかないんですよね。
んでまぁ普通うんこはトイレに流すんですけど、それだって結局のところ下水道菅を通り処理施設に流れ込み、誰かの手によって濾過されみんなの迷惑にならない形で処理されるんですよね。
じゃあネットに排出されたうんこは誰が処理するかって基本的には排出した本人で処理するしかないんですよ。
だって自分が世に発した記事の削除権限とか公開範囲権限握ってるのは自分だけなんで。
わりと頻繁に見たくなけりゃ見なければ良いって理屈が言われてますけど、自宅前の公道に誰かの野糞が落ちてりゃ嫌でも見てしまうじゃないですか。
それが自分の趣味の範囲外のうんこなら怒るのも無理はないと思うんですね。
ここまで話を具体化せずに進めてきたわけですけど、せっかくなんで最後まで具体化せずに結論を書くと、自分のうんこを臭くて汚いものだと再認識すべきだし、無意識だろうがそのうんこを人ん家の前の公道に置きざりにしてることがあるってことは念頭に置いといた方が良いよねと思いましたし、それで怒った人からの言葉を絡まれたとか迷惑だみたいな被害者意識的発言って、うんこ置かれた人からすると挑発としか受け止められないと思います。