▼燃えたぎる列島の中で
暑い。暑すぎる。あまりにも暑い。
7月24日から日本クラブユース選手権(U-18)の取材で群馬県を訪れた。日本有数の「酷暑の地」を堪能できる大会であるが、今年は特に強烈な(というか、凶悪な)暑さかもしれない。2日目に私が訪れた前橋総合公園では「37.2℃」という数字を記録していたが、風もろくに吹かぬピッチで体感する暑さはそれ以上だろう。
そんな状況で最後まで走り続けた選手たちには敬意を表したいが、大人の責任として、もう少し涼しい土地か、あるいはナイター開催可能な場所を探すべきだとも改めて思わされる。中1日あるいは中0日でこの気候。少々の暑さでへこたれぬタフさは確かにこの年代で養成すべきなのだが、これは「少々の暑さ」というレベルではあるまい......。
秋春制への転換論も、そもそもの"言い出しっぺ"においては、この日本の暑さをいかに回避するかに主眼が置かれていたように思う。想定されていたのは、8月末か9月の開幕である。その志は、よく分かった。欧州クラブとスタートの時期を同じくすることで選手の海外移籍と「買い戻し」と、新たな戦力獲得をスムーズにするということもまた、当初から大きな狙いだった。また、メディア露出という観点から、プロ野球とピーク時期をズラすことによる拡大効果も、大きな狙いの一つ。問題提起の初期において新聞社が秋春制に対してポジティブだったのも、これが大きかったのだと思う。経営的、あるいは運営的な目線でもあるが、理解できなくはない。
よく言われる列島の日本海側を中心に広く分布する降雪地帯のことは、まあ、頭になかったのだろう。代表の日程を巡る問題が出てきたのはまた後の話だ。オシム氏の「言っちゃった事件」が象徴的だったように、「代表監督が夏に決まる」日本の現状は、確かにJリーグの監督から代表監督を選ぶことを非常に困難なものとしているし、代表の強化日程とJリーグの日程をすり合わせるのが難しくなるのも必然である。ただ、海外組が多数派を占め、今後も増えていくであろう日本代表の現実を思えば(国内組は全員が控え選手という時代が来ても大した驚きはない)、「日本代表のためにJリーグが犠牲になる」という視点は賛同を得にくいだろう。
そもそもの問題として、この改革案において「(選手のために or 代表のために)冬にサッカーをやる」という視点はあっても、「冬にサッカーを観る」という視点は欠落していたとも思う。サッカーは自分でやるもの、あるいはVIP席で観るものという人たちにはなかなか持ちにくい視点なのだろうとは思う。推進派のサッカー関係者と話をしていると、その視点は根本的に欠落している。こちらが驚くほどに、「顧客目線」というプロの興行が絶対的に持たねばならぬ視点は、最初から存在していなかった。
▼凍り付くスタジアムで
夏のサッカー観戦は確かにしんどいと言えば、しんどい。それは冒頭に体感したとおりである。ただ、今日のJリーグにおいて夏場の試合はデイゲームではなくナイトゲームということで統一されるようになった。夏の夜に出歩くのは日本の文化的風土とも合致しており、実際に夏場の動員が低迷するということはない。ナイトゲームで「我慢できぬほどの暑さ」と遭遇することは、もちろん「我慢」のキャパシティに個人差はあれども、まあ、ないだろう。
だが、冬は別だ。
「このままいたら死ぬのではないか?」。それほどの寒さをサッカー観戦の最中に感じたことは一度や二度ではない。冬においては、総じて日本のスタジアムが夏の暑さをしのぐこと、芝の育成も考えて、「風通しが良いように」作られていることも災いする。昼にやっているからなんてことは関係ない。雨や雪の直撃を受けた場合、お年寄りや子どもに最悪の悲劇が訪れる可能性すら想定し得るだろう。Jリーグのスタジアムでスタンド全体を覆うようなマトモな屋根のあるスタジアムが一体いくつあるというのか。雨雪の日にうっかりやって来てしまった「一見さん」が2度とJリーグ観戦に訪れなくなるであろうことは何かを賭けてもいいくらいだ。
バスケットボールのようなインドアスポーツが「秋春制」を選択することは、ごく自然な考えだろう。だが、サッカーはアウトドアの、しかも全天候型のスポーツだ。降雪地帯の問題に特化されて議論されてしまっている「冬の開催」だが、「屋外で観るスポーツとして冬はどうなんだ?」という視点は忘れるべきではない。秋春制を導入した結果として、観客動員が激減したのでは元も子もない。数千円を出して冬の凍えるスタジアムでガタガタと震えながら試合を観る。そこにエンターテインメントはあるのだろうか?
もちろん、それでも付いてくるコアなサポーターはいるだろう。だが、コアなサポーターしか付いてこられない「産業」ではダメなんだとJリーグは考え始めているのではなかったのか。筆者は秋春制というより「冬季開催」がある種の自殺行為だと感じている。先日、「日本リーグ時代は秋春制だったから」なんて珍説も聞いたけれど、「では、日本リーグ時代はどのくらいのお客さんが来ていたのですか?」と聞き返したいところだ。
▼1年は365日しかないわけで
現状、秋春制への「ウルトラC」として考えられているのは、ウインターブレイクの導入である。12月末から2月途中までをリーグ戦閉幕、あるいは一部カップ戦を行うなどして過ごす案だ。その分だけ開幕が早まるので、7月末に始まって、5月に終わるリーグになると言われている。なるほどこの案なら降雪の問題はおおよそ回避できるし、寒い冬に観戦するつらさもない。めでたし、めでたし。
――いやいや、これでは「暑さを回避するための秋春制」という当初目的は雲散霧消してしまっているではないか。あちらを立てればこちらが立たずの典型例と言うべき状態だ。そんな矛盾を一緒くたに解決する施策は、恐らく一つしかあるまい。つまり、試合数を削ること。1部リーグのチーム数削減、あるいはカップ戦の縮小・廃止である。
現状でもすでに過密なJリーグのスケジュールは、来季からのスーパーステージ制(仮称)の導入によってより深刻に過密なものとなる。「選手のパフォーマンスのために」企図された秋春制によって過密日程になってしまうのでは本末転倒である。「どうしたって収まらない」とは、端的に状況を表現した原博実専務理事のJFA理事会記者会見における言葉だが、これはまさに然り。ACL決勝がホーム&アウェイ制になるという話もあり、この日程を空けるとなると、さらに日程が足りなくなる。
こうなってくると、もはや何を捨てるかという選択の問題だろう。内部的にはチーム数を大胆に削る"プレミアリーグ構想"もあるので、各クラブの思惑まで交差する複雑な議論となっているようだが(例によって、よく見えないけれど!)、18チーム制を維持する前提に立つならカップ戦を削っていくしかない。クラブにとって得る収入の小さい天皇杯の縮減(あえて極端なアイディアを言えば、J1クラブが撤退してJ2以下の大会として再編する)という施策が真っ先に思い付く。主管する都道府県協会にとっては収入減となるケースも出てくるだろうが、そこは日本サッカー協会に何とかしてもらうしかないだろう。
この「日本サッカー協会に何とかしてもらう」というのは、一つの方向性ではあるかもしれない。W杯惨敗とはいえ、まだまだ(Jリーグに比して)資金的な余力はあるのがJFA。「試合数削減で各クラブの収入は減ると思うけど、その分だけ日本代表戦の収入をJクラブに分配してもらう仕組みを作りました」ということなら、広く理解が得られる可能性はある。試合数の削減は「ACLで勝つ」ことを考えても重要なテーマであるし、代表チームの強化という意味でもJリーグが過密日程となっているのは好ましくない。Jリーグで育っていく選手あっての日本代表である。
日本代表の収入がJクラブに還元されるとなれば、Jリーグのクラブ、サポーターの代表に対する温度感も変わってくるはず。個人的には、その分配率については年代別代表を含めた(つまりユース以下に所属する選手も含めて)選出数・出場数に応じて変わる形式にするのもいいと思う。もちろん、A代表の分配率が最大だ。代表に選手を出すというのは、名誉であると同時に大きな負荷でもある。相互理解が得られる余地は、意外にあるのではないだろうか。
川端暁彦(かわばた あきひこ)
1979年、大分県生まれ。2002年から育成年代を 中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画し、2010年からは3年にわたって編集長を 務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴ ラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『月刊ローソンチケット』『フットボールチャンネル』『サッカーマガジンZONE』 『Footballista』などに寄稿。近著『Jの新人』(東邦出版)。