Letter from Kyoto

今はトロントにいます。

京都人としてプライドなんてものは果たして存在するのか

ブログの名前をこんなにしておきながらなんですが、僕の家は祖父母の代から京都で、二代目三代目というのは京都ではいわゆる新参者になる。それも幼少の頃どこかで聞いただけの話で誰かに確認したわけでもなく「新参者ですねえ」なんて言われたこともない。

誰が京都人なのか

なんかこう、京都についての偏見というのは、それが真実であるか嘘なのか人によっても地域によっても世代によっても違うため、「そうじゃないんです」と勝手に否定するわけにもいかず、「そうなんですよ」って答えている人が本当に京都人なのかどうかなんてわかったもんじゃなく、当然僕が見たものが京都の全てではなく、京都の全ての地域に住んでいたわけでもなく、京都で働いていたわけでもない(仕事で行ったことは何度もある)。だから、自分が京都生まれで京都育ちだとしても「本当の京都人はこうなんですよ!」と自信を持って言えない。全ての京都人がそうではないから。

京都に対する偏見について

それでも京都に対する偏見というのは、僕が見た範囲聞いた範囲の中で「これはどうも京都に対する悪意が強すぎるんじゃないか」と思わせられることが多い。何をそんなに怒ることがあったのか、何をそんな辛い目にあったのか知らないけれど、京都という町は文化が違うから、面食らうことは多いと思う。それは何も京都に限ったことではなく、大阪もそうだし、東京でも下町に行けばそうなんじゃないか。北海道や沖縄にだってその地域独特の文化があるだろう。そして、それに対する好き嫌いもあると思う。例えば、会津の人が戊辰戦争の影響で薩長の人をいまだに恨んでいるとか、話を聞けば理解はできるけど僕にはどう頑張っても共感できない。異文化とはそういうものだ。

異文化だという認識の無さ

京の文化が嫌いという人に無理に好きになってもらうことはできない。しかしそれは、性格が悪いとか陰湿だとかいう人格の問題ではなく独自の文化の問題なのだ。例えば、インドでは左手で飯を食わないとかそういうルールとかマナーの話を聞いたことがある。本当かどうかは知らないけれど、あれと同じ。そういったルールに違って左手で頭触られたらそりゃあインド人だって怒るかもしれない。京都の人に嫌がらせをされた人というのは、たいていが文化的なタブーを犯しているんじゃないかと思う。

「俺らが悪いって言うのか!?」「そんなもの知らないから仕方がない、向こうが悪い」と思う人も多いだろう。それで済ませるかどうかは本人に任せる。アメリカでポケットから右手を出したら警官に撃たれたとしても、同じように「俺らが悪いって言うのか!?」「そんなもの知らないから仕方がない、向こうが悪い」と言えるだろうか?でも内容としては同じ話なのだ。

僕個人としては、京都が好きだと言ってくれる人は好きであってくれたら嬉しいし、いけ好かないと思う人に好きになってもらおうとは思わない。ただ、その人が仮にタブーを犯していたなら、「お前が失礼なことしておいて逆ギレか」と思うだろう。タブーを犯すということは法律でも何でもないが、欧米圏で鼻をすすることや、先進国でも些細な事でもいくらでもあり、それをやった人間に対して「知らないんだから仕方がない」とは誰も言ってくれない。単に「無作法なやつ」としての扱いを受けるだろう。

本当に何もやっていない場合

中にはタブーを犯していない人だっているだろう。これは京都人に直接教えてもらわないとわからないことなので自分では気づけないことになるが、タブーを犯していないにもかかわらず嫌がらせを受けたという人も実際いると思う。それは単に悪い人に当たっただけだ。運が悪いとしか言いようがない。世の中にはいくらでも悪い人がいる。たちの悪い人、最悪な人、それは京都に限らずいくらでもいる。京都にはたまたま文化的制約が多すぎて知らず知らずのうちにタブーを犯してしまい、迫害を受けたからといってそれは何も京都人が悪いわけではない。そして、タブーを犯していないにもかかわらず被害を受けたからといって、その人が京都人だから悪かったわけでもない。

やり方の問題

「間違いがあったら言ってくれたらいいのに、対処の仕方が気に食わない」という人もいるだろう。タブーを犯した人に対して現地人がいちいち指摘してくれるケースというのは、世界中を探してもそうそうないんじゃないかと思う。国境を越える際にそのような注意を教えてもらったことがあるだろうか。そういうのは自ら調べておくことで、また自ら現地で学ぶことだったりする。タブーに対してはっきりと批判したりしないのは日本人全体に言えることで、何も京都人に限ったことではないだろう。まわりくどい、というのは確かにあるが、それも含めて文化なのだ。 
京都人の遠回し表現について - Letter from Kyoto

京都人のプライド?

これは一体京都を擁護できているのかどうか定かではないが、京都人のプライドなんてものは、僕には存在しない。ただ、京都人としてのアイデンティティはあるんじゃないかと思う。僕は大学を卒業するまで20年以上ずっと京都に住んでいた。大学でも京都出身の人は少なかったが、その後大阪で就職して転勤などもあり、5年以上も京都を離れていた。京都から一歩外を出てみると、京都人は結構珍しいようで、その頃から自分を京都人と自称するようになった。それまでずっと京都にいたから、僕にとっては当たり前過ぎた全てのことが、京言葉も含め他の地域では珍しかったらしく、そこに至ってようやく自分は京都人であるという事を認識した。たまに地元に帰ると懐かしい。洛外で都人と話すと懐かしい。これはプライドなんてもんじゃない。ただの郷土に対する愛着なのだろう。だから、京都が罵倒されていれば悲しく思う。京都人がこき下ろされていれば怒りも湧く。同様に、京都人が同じようなことをしていればダメだなあと思う。ただ僕はステレオタイプなイメージを逆手に取ってそういうキャラを演じることはあるけど、あれは洒落だ。

歴史と伝統、文化を大事にしているということはあっても、それが個人のプライドには結びつかない。あくまでアイデンティティでしかない。遷都がどうとか、本気で考えている人はいないんじゃないかな。どうでもいい。お茶漬けの話なんかは外からしか聞いたことがない。そういった地域性の偏見や慣習、文化みたいなのはどこにでもあるだろう。何も京都が特別ではない。