2014年07月26日

「あさイチ」でのこと

 今週水曜日の「あさイチ」の「母が重たい」特集に出演して、たくさんのメッセージをいただきました。みなさま、あたたかいお言葉ありがとうございます。

 番組の最後に読まれた批判FAXに傷ついた、悲しくなった、という方も多かったです。
批判FAXというのは、
「そこまで育ててもらったのにそんなこと言うのは母親に甘えてるだけ」とか
「母親だって大変なんだから、愚痴くらい聞いてあげなさい」とか
そういうのです。(「愚痴くらい」というのは番組で読まれていたか分からない、私が見ただけかも)
ツイッターでも反響がすごくて、
「『母が重たい』なんて簡単に言わないで」
とかも見ました。

 それに対して放送中にもっとうまく反論できたらよかったなと思ったんだけど、その批判FAX聞いている時どうしてもボーっと頭が真っ白になってしまった。
 普段、「母親に甘えてるだけ」系の“辛辣”な意見ってほとんど私のところには来ない。「毒母ミーティング」でもアンケートに書かれてたりすることもない。どこかで見ることがあっても、体の中に摂取しない、っていうのを自然とやってるんだ、と思いました。
 それは、「母親の愚痴くらい聞いてあげなさい」と言ってくる人に対して、私から言うことは何もないからだと思う。そういう人に分かってもらわなきゃいけない必要が今の私にはない。

 それに「あさイチ」の中で、「母親に4時間も愚痴を聞かされる生活はもうやだ」とか「病気になってしまった」とかってVTRが流れて、それを1時間半くらいかけてさんざん見たあとに、「愚痴くらい聞いてあげなさい」というメールやFAXを送ってくる感覚が私にはもう分からない。「『母が重たい』なんて簡単に言わないでほしい」と言われても、私(私だけじゃなくてみんな)まったく簡単に言ってないし、簡単に言えるようになったわけでもないんだけどなあ〜と思うしかない。っていう感じ。

 「自分は母に甘えてるだけなんじゃないか」っていうのは15歳くらいから31歳までの16年間、自分のやりたいことや将来について考える時間を割いてまで毎日のように考え尽くしたし、「母親だって大変なんだから、愚痴くらい聞いてあげなさい」という言葉からはもはや矛盾しか感じない。母親だって大変、母親だって一人の人間、母親だって悪気はない、だから娘は愚痴くらい聞いてあげなさいって、じゃあその娘は「大変」でも「一人の人間」でもないというのだろうか。娘だって、何時間も愚痴を聞かされる日々を何十年も続けるのは「大変」だよ。

 もしテレビでそういうトラブルを紹介していて、その相手が「実母」ではなくて「近所のおばさん」とか「親戚のおばさん」とか「姑」だった場合、同じような批判メールやFAXを送ってくるだろうか? 「実の母親」というお題になったとたん、「実の母親なんだから」という理由を述べる人は、もうその人自身に「実の母親」というモノに対してのこだわりや拭いきれない固定された観念があるだけとしか、思えなーい。
 
 という風に、批判メールをよこしてくる人に対して「なんだかよく分からない人たち」という印象もあるんだけど、すごく自分と近いところにいる人たちなんじゃないかという気もした。

 こないだ、7年近く通ってる美容院の人に「実は漫画家で、新刊が出ました」って「ママだって、人間」を渡した。次に行ったら「『ママだって、人間』がすごく面白くて、『母がしんどい』も買って読んだんだけど、ごめんなさい『母がしんどい』はぜんぜんわかんなかった!」と言われた。

 「本当の話なの? あんなお母さんいるの? あんなことあるの? としか思えなくて、どうしても分からなかった」と言われ、その美容師さんの母との関係について話してくれた。その親子関係が、暑苦しくなく冷めすぎてもいない“普通”の関係で、ああ、そうかそういう人には分からないんだなあーって思った。

 分かってもらえないことにまったくさみしさもかなしさもうらやましさも感じることなく、フラットに「へー、そうなんだ」と思えた自分がなんとなくうれしかった。「母がしんどい」を出す前の私なら、消え入りたくなったかも。ていうか、7年も髪を切ってもらっててやっと自分の漫画を渡したりできたのは、心のどこかで美容師さんの親子関係を感じ取ってて、「きっと分かってもらえない」ってことに怯えていたからで、それがどうってことないって思えるまでになったから、私は自分の漫画を渡したのかもしれないなって思った。
 分からない派の人の感想は他にも「遠くの国での戦争の話みたいだった」というのがありました。大変なんだろうなあ、っていうことだけはボンヤリ思う、みたいな感じ。

 なので、「『母が重たい』なんて言ってはいけない! 理解できない!」と辛辣でヒステリックな拒否反応を見聞きすると、どこかに何かすごくひっかかるものがあって言ってるんじゃないかなとどうしても思ってしまう。

 今やってる「昼顔」ってドラマがすごく面白いんですけど、第2話で印象的なシーンがあった。貞淑な奥さんのフリして実は男と遊びまくってる人妻(吉瀬美智子)が、地味な人妻(上戸彩)に「あなたも不倫しちゃいなさいよ」と、けしかけるところ。

 吉瀬は上戸彩に「あなたは本当はもう分かってるはずよ! 夫が自分をもう愛してないことを!」と言う。言われた上戸彩は、本当はセックスレスなんだけど「自分は夫と愛し合ってる! あなたと一緒にしないで!」と言い返すんです。吉瀬は「自分に正直になって解放しろ、都合よく生きろ、ラクになれ」っていう説得をして、上戸彩はそれに抵抗して「不倫なんかいけないこと、私はそんなことしたいと思ってない、夫と仲がいい」と主張するんです。

 もし、私があさイチに批判FAX送ってきた人と会話するとしたら、興奮した最後はこの吉瀬美智子的な発言になりそうだなと思いました。
 「あなたは本当は分かってるはずよ! 自分も『母が重たい』って言いたがってるってことを!」みたいな感じ。「母が重たいなんて言ってはいけない! 私は母と仲がいい! あなたと一緒にしないで!」と言い返されたりして。
(ちなみに「昼顔」では吉瀬にほだされて上戸彩は不倫への一歩を踏み出してました)
 なので、批判FAXを送ってくる人は、実は「敵」ではないような気もした。

 あと、批判意見を久々に見て思ったのは、「セクハラ」の問題にそっくりだなーということ。
 セクハラって言葉は1989年に流行語大賞になった(セクハラが流行語ってなんだよ!)んだけど、最初っから「男に悪気はない」とか「そのくらいいいじゃないか」とか、何が問題なのかみんな分かってなかった。今年の「セクハラやじ騒動」の顛末を見ても、セクハラというものを真から理解すべき人たち(男、政治家)がまったく分かってない、ってことが浮き彫りになった。
 だけど、昔に比べたら今は「セクハラをしたら社会的制裁を受ける」「セクハラはいけないことだ」という認識は定着していると思う。表面的にでも、「セクハラ」と呼ばれる行為は慎まなければならない、という“常識”はできつつある。
 だからもし今テレビでセクハラを取り上げても、その番組に送られて来た批判FAX「そのくらいいいじゃないか」「男だって大変なんだからお尻触るくらいさせろ」とかは、わざわざ読まないと思う。

 だけど、この「母が重たい」「母がしんどい」問題は、テレビなどで多く取り上げられ始めたのが2012年、たったの2年前。まだまだ、テレビでは「『母がしんどい』って言ってる人がこんなにいますよ」という紹介まではできても、「『母がしんどい』って言っちゃいましょう」と言い切ることは、テレビ側には難しいことなのかなと思う。
 それで、やっぱひとつの“新しい”考えが広がっていくっていうのはそういう批判意見も聞くことが多くなるってことだし、今までは「体に摂取しない」で済んでたけど、聞いてそれに対して反応する、っていうのも必要になってくるのかなと個人的に思いました。

 でも、ありきたりな批判(「親を大切に」とか笑)が来ない場所はあります。アダルトチルドレンの自助グループや、小川雅代さんと信田さよ子先生と私でやってる「毒母ミーティング」や、私が主催してる「母からもらって困ったものを話す会」など。やっぱそういう場所で栄養をたくわえて、日ごろの生活を送るって感じじゃないと、すげえ疲弊すると思います。
 
 そして「あさイチ」で改めて思ったのは、「娘を感情や物品のゴミ箱として使用する」ことが、母親だからって許されるわけがない、ってこと。この当たり前のことが、実は世の中では当たり前じゃないってことがつらい原因だったんだなーと思いました。
posted by tabusa at 08:21| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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