中国で沸騰、「なぜ日清戦争に負けたのか? 」
東洋経済オンライン 7月26日(土)8時0分配信
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1895年、日清戦争の勝利を記念し東京・日比谷に造られた凱旋門(提供:MeijiShowa.com/アフロ) |
120年前の7月25日、日清両国の海軍が仁川の沖合で激突した。いわゆる豊島沖海戦である。これによって日清戦争(中国では”甲午戦争”)の火蓋が切られた。両国が正式に宣戦を布告したのは8月1日だが、中国では7月25日が日清戦争が始まった日として認識されている。そのため、25日には中国の主要メディアがこぞって日清戦争敗北の意味を振り返る特集記事や論説を掲げた。
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■ 「中華民族の偉大な復興」という目標
日本ではほとんど知られていないが、中国では今年に入ってから、さまざまなメディアが「甲午戦争」を振り返るキャンペーンを張ってきた。
習近平国家主席も、「甲午」の意味合いを強調している。6月9日には中国科学界の重鎮を集めた演説で「今年は甲午の年だ。このことは中国人民と中華民族にとって特別な意味を持つ。我が国近代史上においても特別な意味がある。……そしていま、われわれは中華民族の偉大な復興という目標にかつてなく近づいている」と述べた。ここでの主要なメッセージはイノベーションの重要性を訴えることにあるのだが、そのインパクトを増すために「甲午」が使われているのだ。
「中華民族の偉大な復興」は習政権のキーワードだが、その原点には「甲午」の敗北があった。中国人にとって清朝崩壊のきっかけとなった「甲午戦争」は決定的に重要なのだ。それだけに、メディアで取り上げられるさいにも屈辱の歴史を振り返り、国民に気合いを入れるような論調が多い。
そのなかで出色なのが、国営通信社・新華社による劉亜洲・空軍上将(上将は将官の最高位)へのインタビューだ。国防大学の政治委員である劉将軍は、対外強硬派としての派手な言論活動で知られる。戦略論から小説の執筆までこなす異色の軍人だ。
夫人は李先念・元国家主席の娘である李小林氏で、劉将軍はいわゆる「太子党」(共産党幹部の子弟グループ)の人脈に連なる。中国人民対外友好協会の会長を務める李氏は習主席の幼馴染みとされ、政権中枢に直結するキーパーソンとして日本政府もマークしている。そうした背景を持つ人物の日本観は、習主席を取り巻く人々の発想を探る上で興味深い。
劉将軍によれば、日清戦争は近代史上において中国軍と外国軍の武器、装備の差が最も小さかった戦争だった。にもかかわらず惨敗した理由は、両国の近代化への取り組みの違いにあるという。日本はすでに国民国家になっていたのに、清国は西洋のモノは取り入れても、意識は前近代のままだったというのだ。これは、別に珍しい考えではない。
■ 3.11があったから尖閣を国有化?
彼は一歩踏みこんで、大事なのは「国家戦略」だという。「中国には何世代にもわたる長期的な大戦略や、それを実行しようという意思が欠けている」。一方、日本には大陸を征服するという明確な戦略があったという見立てだ。劉将軍は「歴史上、日本には2つの特徴がある。一つは強い政権が成立すれば朝鮮半島の征服を目指すということ。もう一つは、大きな自然災害のあとには外国への武力行使を求める声が高まるということだ」と主張する。尖閣国有化もそうした日本の伝統的な行動様式に沿っているとの解説つきだが、このあたりは日本人としては首を捻りたくなるところだ。よく日本では「中国には長期戦略があるが、日本にはない」といった論評があるが、先方からは逆に見えるらしい。
最終更新:7月26日(土)8時0分
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