荒野

前から思ってたけど無頼派ってそんなに無頼でもないよねだって結婚してたりするし、しかもお見合い結婚とかでなかなかに堅実、と堕落論を読んでいる私の顔を覗きこんで言ってきたその人には親もきょうだいも妻も子もなかった。
無頼というのは私生活ではなくて作風のことではないのですかと答えた時にはもう背を向けてすたすた歩き去ってしまっていてなんだか、
へんな人
だと思った。
私のともだちはその人を飄々としている、と言い、また別なともだちは、あの人のまわりだけ風がスウスウ吹いている気がする、と言った。
大勢で集まっている時でも、ひとりで荒野に立っているような感じがする人だと、私なんかはそう思っていた。にこにこして来る者拒まずみたいな雰囲気を醸し出しているくせに、来た者に常に一定の距離をとりつづけるようなところもあってなんだか、
むずかしい人
だとも思っていた。
シャボン玉をしていたら煙草を吸いながら近寄ってきて、私の手からストローをとりあげて煙入りの白いシャボン玉をつくって見せた。もういっこ作ってよと頼んだらいやだよと笑いながらどこかに行ってしまって、つまらなかった。
あの人が女の人を好きになったり結婚したりするところ、まったく想像がつかないね、と皆が言うので、そうだね、と答えていたけど、答えたあとはいつもちくちくと痛かった。
それからまた別な日に誰か年輩の人がその人に、親もきょうだいもいないのはさぞおさびしいでしょうからはやくお嫁さんを貰いなさいなと言ってる場面に出くわして、あんな私的なことをよくもまあずけずけと、といやな気分になりながら聞き耳を立てていたら、その人は「親やきょうだいがいても、さびしい人はいるでしょう」などと言って、それから私を見て「そうでしょう」と笑ったから、心の中を見透かされているみたいで腹立たしくなって、それきりあんまりその人とは話さなくなってしまった、なんだか
こわい人
だと思ってしまったのだった。

実のところは、へんな人でもむずかしい人でもこわい人でもなかったのかなと今頃になって思ったりしている。
ほんとに、今頃になって