“重篤”桑名正博が病室で反応した名曲秘話…薬物逮捕と再出発

2012.07.19


内田裕也ら多くの仲間が桑名正博の病床を連日訪れ、励ましている【拡大】

 15日に脳幹出血で倒れ意識不明の状態が続いている歌手、桑名正博(58)。入院先の大阪市内の病院には連日、ミュージシャン仲間が見舞いに訪れ病室が楽屋のようになっているという。桑名が若いころから目をかけてきたロック歌手、内田裕也(72)は、「スタンド・アップ!」と独特のエールを送り、アノ名曲に桑名が反応したことを明かした。

 桑名を見舞った裕也は17日、報道陣に囲まれると病室の様子をこう語った。

 「もうちょっとヤバイかなと思っていた。顔はピンク色で、呼吸器を着けていたけど、ちゃんと呼吸もしていた。だれかが『月のあかり』を演奏すると、心拍数が上がったんだよ。スタンド・アップ、桑名!」

 知る人ぞ知るカラオケの定番ソング。関西出身の40、50代の男性なら一度は歌ったことがあると言われる桑名のスタンダードナンバー「月のあかり」が生まれたのは、全国区人気になる前の1978年だ。

 「この街から出てゆくだけ−と別れを告げる歌詞は、地方から上京する学生やサラリーマンの胸を打つ。アルバム収録曲にもかかわらず、長年歌い継がれています」(カラオケ月刊誌編集長)

 実はそれだけではないヒミツが、この歌にはある。

 70年代に大阪でロックバンド「ファニー・カンパニー」として頭角を現した桑名。当時、意気に感じた先輩格の裕也が“東のキャロル・西のファニカン”として、矢沢永吉(62)のいたキャロルと並べてみせ、背中を押した。もっとも当時は、「“成り上がり”の矢沢に対して、父親が実業家で“ボンボン育ち”の桑名は器量不足」と揶揄する音楽関係者もいた。

 そんな中、東京のプロデューサーに見出された桑名は、77年にソロとして「哀愁トゥナイト」でデビュー。ヒットチャートを駆け上がろうとした矢先に大麻取締法違反とコカイン所持などで逮捕される。懲役2年執行猶予3年の有罪判決。東京での足がかりを全て台無しにした。

 「収監中に高い格子の窓から差す陽だまりから着想したのが『月のあかり』で、桑名の作った原形に盟友の下田逸郎が詞をつけた、“第二の原点”といってもいい曲なのです」(当時を知るレコード会社スタッフ)

 桑名自身、大阪府警の某署にいたときの思いを2007年の取材でこう明かしていた。

 「麻薬取締官が毎日、署まで迎えにきて、一緒に吸ってた仲間のことを言え、言われるねんけど、友だちを売ることはでけへんやん。取締官は『あほやな、桑名君がかばってる奴がしゃべったから、君がここにおるんやないか』言うけど、それは僕のルールに反する。そのうち、取締官があきらめたんか、『暇やろ』いうてギターを持ってきてくれるようになってん」

 足下を見つめ直し、這い上がった桑名は、79年7月にカネボウのCMキャンペーンソング「セクシャルバイオレットNo.1」で、オリコン1位を獲得。同年12月には日本武道館コンサートを成し遂げ、名実ともにナンバーワンになった。

 40周年を迎えたいま、「月のあかり」を楽しみにしているファンが全国で待つ。長男の美勇士(30)がフェイスブックで呼びかけた桑名を励ます「Inori Project」に「いいね!」と賛同するファンは19日朝までに5000人を突破した。

 

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