「コミュニケーション能力」という言葉には2つの意味がある。1つは「波風を起こさない能力」という意味で、もう1つは「腹芸をする能力」という意味だ。両者は意味合いとしてはかなり遠いが、とりあえず同じ記号で表されている。
「波風を起こさない能力」というのは、誰かが考えを述べるたびにおだてて気分よくさせてみたり、誰かが自慢を始めるたびにおだてて気分よくさせてみたり、誰かが怒るたびにおだてて気分よくさせてみたり、そういう行動に疑問を持つ奴をコミュニティから排除したり、誰かが赤信号の横断歩道を渡ったら後をついて渡ってみたり、クラスでいじめられている奴がいたら一緒に蹴りを入れてみたり、大統領が殺せと言ったら殺してみたり、クソゲーだけど金を貰っているので9点付けてみたり、blogでひたすら晩飯のメニューを書いたりするような能力の事を指している。「多数派に埋もれる能力」とか「長い物に巻かれる能力」と言っても良い。いわば「多数決によって構成された『空気』という神の名のもと、異端を死刑にする宗教」である。一般的に空気が読めるとか読めないとかいう問題はこの能力の有無を問うている。
一方で「腹芸をする能力」とは、ある結果が欲しいと思った時に、一体どうやったら他人を意図通り動かしてその結果に導けるか、という事を考え実行する能力を指している。もちろんこれは洗脳して言う事を聞かせるというような意味ではなく、相手の思考パターン、人間関係、利害関係、「メンツ」の構成要素、資産、弱点、脅迫材料、暴力などを吟味した上で、意図通り動かすための最良のアプローチを実行するという意味である。この時思考の符号化(文章/音声化)能力及び復号化能力が問われる(どちらかだけが上手いケースというのはおそらく存在しない。符号化能力が高い奴は必ず復号能力も高い)。相手との差によっては「他人を支配する能力」と言い換えても良い。腹芸をする能力がない人間が相手の場合は「支配」であり、そうでない場合は「腹芸」になるという事だ。これは現代社会が文系/体育会系支配になった決定的原因である。商人と政治家が強大な権力を持ち、職人や技術者がゴミ溜めに追いやられたのは、後者がこの能力に乏しかったからである。
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詰まるところ、コミュニケーション能力とは、本質的には単なる多数決システムか、あるいは行動支配手法の別名でしかない。字面から「自分の意図を正確に相手に伝える能力」などと思い込んでしまったら終いである。この言葉に限った事ではないが、本質が汚い物ほど美しい名前が付き、何者かの意図によって意味が曖昧に「され」やすい点に注意すべきだ。言霊の怨霊はいつでも殺意に満ちた目でこちらを見つめている。
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